それでも生成AIには辿り着けない、人だけが持つ「ありふれたオリジナリティ」とは?
最近のAI生成物を見ていると、「ここまで出来るならAIで良いじゃん…」と思ったりすること、ありませんか?
特に、画像生成AIの分野だと、少し前に話題になったGoogleのimagen3なんかは人物や風景がリアルすぎて、見た目だと中々AIだと判別できないレベルにきています。しかも生成時間も数秒程度で大して掛からないですし。
画像以外にも、昨年は、テキストやコーディングの高品質化・高機能化が順当に進み、更に生成可能な分野も、音楽や動画生成と広がりを見せています。
年末には、OpenAIから動画生成AIのSoraが一般公開されたのは記憶に新しいですよね。
恐らく、この流れは今後も変わらないでしょう。
そうなると、「AIに出来ないことって何?」と悲観することもあるかもしれません。
では、このままAIが進化し続けたら、クリエイターの仕事ってなくなるんでしょうか?
結論としては、昨年、色々と生成AIを触ってきましたが、そうはならないんじゃないかと思っています。
そうならない最たる理由として、人の持つ創造性、つまりオリジナリティにあると思うんですよね。
ということで、今回は「生成AIにはない人間だけのオリジナリティ」についての話です。
✅そもそも「オリジナリティ」って何なの?
まずオリジナリティの定義を突き詰めると、「新しい価値や視点を生み出すこと」になるかと思います。
対して、生成AIは膨大なデータセットを学習していて、それらを元にして作っているので、完全に新しいものは生み出せません。
生成AIが綺麗な画像を作ってくれても、立派なテキストを作ってくれても、結局は既存のものの組み合わせの範疇を出られないからです。
もちろん組み合わせの妙によっては、一見オリジナリティが高く見えるものは作れます。
一例を挙げると、下記の生成画像なんかはあまり見かけないテイストになっているので、独特に感じられるかもしれません。
ただ実際は、アニメ調のイラストに、ポップアートのテイストや印象派を適度に組み込んだプロンプトで生成したものであって、結局はありものの組み合わせです。
このように、生成AIは、学習したデータセットを統計的に処理して、確率的に再構成しているだけなので、本質的には従来の枠組みを超えることができません。
例えば、印象派というスタイルや、ポップアートというスタイルを、0から生み出すことなんかは、人間には出来ても、生成AIには出来ないわけです。
つまり、従来の枠組みを超えた真に新しいものを創出することによって、生成AIを上回れるオリジナリティを獲得できるというわけですね。
かくして人間のオリジナリティは守られました。
めでたしめでたし。
✅誰もが持っている「ありふれたオリジナリティ」
という論調で、オリジナリティのハードルを限界までぶち上げられると、「ちょっと待ってくれ」ってなるのではないでしょうか。
ここまでの話は、生成AIのアルゴリズムを考えると、何も間違っていない正論です。
正論ではあるのですが、そのレベルのオリジナリティって、そうそう容易くは出せませんよね。
例えば、あなたの描いたイラストは、流行りの絵柄から一歩先を行っていますか?
あなたの書いた小説は、これまでのどこにない新奇な視点を描けていますか?
あなたの書いたコラムは、誰もまだ触れていないテーマに挑戦していますか?
あなたの紡いだ音楽は、いつものコード進行を超えた新しさを感じさせますか?
私には胸を張ってYESだななんて言えないなって思います。
確かに、既存の枠組みを超えたオリジナリティを、生成AIは生み出すことが出来ない。けど、大多数の人間も同じで、既存の枠組みを超えることなんて、通常出来ない。
では、既存の枠組み内の創作を人間が行っても、生成AIを超えるオリジナリティなんて出せないんでしょうか?
それもないですよね。
例えありふれた日常を描いたとしても、その人にしかないオリジナリティを感じることってあるのではないでしょうか。いわば、その人の人生経験や感情を通しているからこそ生まれる創作物が。
そしてそれは同時に、生成AIでは再現困難なものでもあったりします。
じゃあ、「既存の枠組みを超えていないが、生成AIでは再現できない、誰もが持っているありふれたオリジナリティ」って何なんでしょうか?
ということで、ここからが本題です。
私が思うに、上記のオリジナリティを出すポイントは、3つあると考えています。
それは、「①ストーリー性」、「②感性」、「③ディテール」です。
📖ストーリー性
ここでいう「ストーリー性」とは、作品全体を貫く「大きな意図や方向性」のことを指しています。
人の書く小説や漫画なんかは言うまでもないのですが、一枚のイラストであっても、人物の感情、服装、ポージング、背景、モチーフとなる小物など、多様なものが意図を持って配置されていますよね。そういったものも含めた概念です。
生成AIでも、それっぽい出力をすることができますが、「学習データの分布に従って次に来る可能性の高いパターンを出力している」だけなので、生成物が大きく複雑になるほどに、全体を通した一貫性が低くなります。
そのため、小説で言うなら、物語の全体的な流れ、登場人物の成長、伏線の回収といった部分に難が出てきます。更には整合性が取れないこともあったりします。
言うなれば、生成AIは大局観に乏しいのです。その部分部分で局所最適化していることの弊害です。
人が作る創作においては、作品全体を通して特定のメッセージやテーマ性、つまり強いストーリー性が備わっているので、生成AIでは模倣しにくい領域になってきます。
また、さらに言えば、ストーリー性には、その人の主義主張、要は個人の哲学的なものに基づいているので、必然としてオリジナリティが高くなってきます。
📖感性
感性というと、やや抽象的に感じられるかもしれませんが、要するに「自分の心が動く瞬間」をどう捉えるか、に集約されます
例えば、朝焼けの瞬間を見たときに、そこに感動を覚えるかどうかは人によって違います。また、同じ人にとっても、富士山を漸く登りきって見れた朝焼けと、普段に家から眺める朝焼けで、心の揺れ動き方は全然違いますよね。
そのとき感じた感情、は人間しか持っていないものですし、その人独自のものになるわけです。
そういった人生経験、情動の動きを積み重ねることによって、人は独自の感性を磨き上げ、その感性に従いながら、私たちは何かを創作しています。
つまり、人間が作る創作の表現には、自身の人生観や感情といった感性が内包されているわけです。
翻って、生成AIには内面がありません。
感情表現はもちろん出来ますが、データセットを元とした平均化された、定型的な出力に留まります。
感性に基づいた新しい表現や物語を作ることはできないのです。
そのため、人間の持つ、時にはどうしようもないほどの感情の振れ幅を、時には偏りきったものの捉え方を、生成AIに再現することは難しいのです。
そして、そういった部分にこそ、人の持つ深みがあります。
📖ディテール
最後にディテールですが、これは文字通り、「細部の表現」を指しています。
より咀嚼して言うと、その人が持つ「こだわり」になります。
例えば、どうしてもしっくりこない表現や展開があるときに、何度も何度も書いては消してを繰り返して、「あーでもない、こーでもない」と悩み抜くことがありますよね。
そういった「こだわり」を持って、半ば妄執的なまでに、作品の細部を作り込む。このことが、創作物にその人独自の雰囲気を生み出すことに繋がります。
何故なら、こだわるポイントも、こだわり方も、作者固有の性格からくるものであって、誰にも真似することが出来ないからです。
こうして「細部へのこだわり」によって作りこまれた世界観には、固有のオリジナリティが表出し、同時に創作物としてのリアリティが出てきます。
更に言えば、ディテールに意味付けできるのも、人間ならではのことです。
例えば、小説において、天候の描写が今後の展開や人物の心情を示唆したり、何気ない仕草を伏線として仕掛けたり…。
これらが積み重なり、ストーリー全体の文脈に対して、重層的に絡みあい、構造化していくことによって、作品に「厚み」が出てくるわけです。
こういった多層構造化も、生成AIには難しい部分です。
✅人とは違う生成AIのオリジナリティ
じゃあ、生成AIにはこのようなオリジナリティが作れないからダメかと言うと、そういうことを言いたいわけでもありません。
学習データを「確率的」に組み合わせることが、人間にとって盲点になりやすい視点や表現を生み出した場合、結果的に、そこには組み合わせの妙としての独自性があるはずです。
こうした偶発的な部分を上手く活かして共創していくことが、オリジナリティの観点からの生成AIの使い方になっていくんじゃないでしょうか。
✅まとめ︰「熱」によってオリジナリティが生まれる
ここまで見てきたように、生成AIにないオリジナリティを発揮できるのは、次の3点の複合的な要因にあると思っています。
大局観と一貫した意思で作品全体を見通すストーリー性
深い情感や人生経験に基づいた感性(情緒・情動)
細部にこだわり、多層的に構築されるディテール
これらが相互作用することで、作品内部に連続性と意思を伴った意味付けが生まれ、受け手にとって「新しさ」を与えることが可能になるわけです。
また、そもそも人が創作するときには、どうしても受け手に伝えたい何かがあるはずです。
それを、あなたなりの「熱」を込めて作りこんだならば、そこには否応なくこれらの要素が含まれて、生成AIにはないオリジナリティが宿るはずです。
たとえ、それがあなた自身にとってはありふれた表現や物語であったとしても、他者にとっては必ずしも「ありふれてはいない」のだから。
✅最後に
ということで、今回は長々とオリジナリティの話をしてきましたが、この話も生成AIには作れないはずです。
何故なら、私の試行錯誤を以てストーリーラインを構築し、私の感性を以て切り口の選定と描写を行い、私の経験と推敲を以てディテールを作りこんでいるからです。
そうすれば、「生成AIとオリジナリティ」という、割とありふれたテーマであっても、自分なりのオリジナリティは出せているんじゃないかなって思っています。
そろそろ、オリジナリティオリジナリティと繰り返し過ぎたせいか、オリジナリティがゲシュタルト崩壊した挙句、オリジナリティが陳腐化しそうなので、オリジナリティの話はこの辺で終わりにしたいと思います。
なお最後になりますが、
実は、ここまでの話はChatGPTに、
「オリジナリティのある文章で『生成AIとオリジナリティの関係性』についての記事を作成してください」
というプロンプトで作ってもらったものです、
ということもないので、ご安心下さい。
それではまた。