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noteがXより炎上しにくい理由は?「透明性の錯覚」から紐解いてみる
Xではわずか140文字が火種になるのに、noteの長文は案外平和ですよね。
そこにnoteの居心地の良さがあると思いますが、何故違いがあるのだろうと思ったりしませんか?
私はGrokで遊ぶ用のX(旧Twitter)アカウントを持っていますが、実はまだ一度も投稿したことがなかったりします。
正直、「え、なんでこんなことで炎上するの?」という状況を見ると、ちょっと怖くて、怯えている部分があります(メンタルが弱いので…)。
もちろん、noteに対して、Xが炎上しやすいのは、アクティブユーザー数の違いだったり、Xのアルゴリズム由来の拡散力の高さだったりがあるかと思います。
ただ、本質的にXは短文によるミスコミュニケーションの発生のしやすさがあって、そこには「透明性の錯覚」が大きく影響しています。
ということで、今回はこの観点を軸にして、Xとnoteの違いについて触れていきたいなと思います。
✅透明性の錯覚って?
まず、「透明性の錯覚」というのは、社会心理学者であるトーマス・ギロヴィッチが唱える認知バイアスの一種で、大きく下記の2つのパターンがあります。
気付かれてほしくない感情が相手にばれているんじゃないかと思っても、実際にはばれていない。
気付いてほしいと思っている感情が、実際には相手に伝わっていない。
このような自分にしか知りえない情報に基づいて、物事を捉えてしまうことを指しています。
つまり、伝えたいと思っている意図も、伝わっているかもしれないという懸念も、どちらも自分が思っているほど、相手は汲み取ってくれないということですね。
よくある具体例としては、プレゼンなどでの緊張状態。
発表のときにかなり緊張してると、「あー、きっと周りの人に緊張してるのバレバレだ…」って思ったりしますよね?
でも、実際のところ、周囲の人はそこまで気づいてなかったりします。自分の内面は、思ったほど外には見えてないのです。
もう一つ具体例を挙げると、自分が病気やつらいことで苦しんでいても、その状況が周囲には伝わっていなかったりすることが挙げられます。
そうすると、「こんなに苦しいのに、なんで分かってくれないのか?」という周囲を責める思いに繋がったりすることもあるでしょう。
✅Xで炎上が起こりやすい理由
では、こういった「透明性の錯覚」がXでの炎上とどうかかわってくるのか?
これには、Xが持っている特性が関係してきます。
短文ゆえの情報不足: Xは140字という短い文字数が最大の特徴です。単的な反面、そこまでの背景だったり、文脈だったり、言葉のニュアンスが省略されがちです。
瞬間的な拡散力: リツイートやいいねによって、良くも悪くも情報が瞬時に拡散されていきます。誤解だったとしても、速い速度で拡散されるということです。
この二つの要因の組み合わせによって、炎上という観点では、透明性の錯覚が悪い方向に作用します。
実際の例を見ていきましょう。
タカラトミー炎上事件です(リンクは参考です)。
これは、2020年にタカラトミーが、当時人気だった「#個人情報を勝手に暴露します」というハッシュタグに便乗して、「とある筋から入手した、某小学5年生の女の子の個人情報を暴露しちゃいますね……!」とリカちゃん人形に関する各種情報をツイートしたものです。ウケると思って、企業が悪乗りでやっっちゃったやつですね。
結果として、多くの保護者層から反発されて、炎上し、ツイート削除に至っています。
ここで言うと、「#個人情報を勝手に暴露します」というハッシュタグを使えば、ネタとしてユーモアに受け取ってもらえるだろうと思いこんでいたことが、透明性の錯覚に基づくものです。
背景として、「#個人情報を勝手に暴露します」をネット大喜利的に使うのが一部で流行っていたのかもしれません。
また、投稿者本人や、あるいは社内などの身内でウケていたという背景もあったのかもしれません。
でも、そういったネタであることの背景や、この内容に至った文脈が、短文だとどうしても抜け落ちてしまう。そして、読み手全員がそんな背景を知っているわけもなく、情報量にギャップが生まれる。
その結果、読み手も当然ネタとして受け取ってくれるはずだという「透明性の錯覚」が、ミスコミュニケーションを生んでしまっているんですよね。
このように短文由来の説明不足と、その誤解が急速に拡散されることによって、炎上に至りやすい構造がXは抱えているのかなと思います。
✅noteで炎上が起こりにくい理由
一方のnoteはブログ的な側面が強いので、長文投稿が中心で、更に写真やイラストなども効果的に使えるため、文脈や背景を丁寧に共有しやすい環境になっています(もちろん、つぶやきもありますがメインではないので)。
また、Xはタイムライン上に流れてくれば、自然と全文が目に入りますが、noteで流れてくるのはタイトルくらいなものです。全文読むには、クリックして記事を開いたうえで、更にじっくりと内容を読むという能動性が必要です。
つまり、書き手にとっては、その内容の背景や意図、自分の感情を伝えることが十分に可能で、読み手にとってもそういった詳細な説明を受け止められるだけの土壌がある。
このように、noteでは透明性の錯覚が生じにくかったり、あるいは起きても影響が少ない設計になっているわけです。
✅とはいえ、noteでも油断は禁物
ここまで「Xに比べるとnoteは炎上しにくい」という話をしてきましたが、決して安全地帯というわけではないと私は思っています。
それは、下記の3つの理由からです。
長文を書いたからって「分かってもらえる」保証はない
読者がどんな背景を持っているかは分からないので、ギャップは0ではない
どんなに詳しく説明したとしても、あっさり読み飛ばされたり、誤読されることもある
noteで、自分の思考や感情を3000字くらい綴っていると、ついつい「こんなに書いたんだから、理解してくれているでしょ」と思ってしまいがちです。
だけど、相手の読み方や受け取り方はどうしてもばらつくので、どんなに丁寧に書いても誤解は生じるんですよね。
というわけで、「書き手が思うほどには、読み手は自分の考えを理解していないかもしれない」という事実を、心に留めておきたくことが大事なんじゃないかなと思います。
✅ まとめ:炎上しにくい≠炎上しない
今回は、「透明性の錯覚」という視点から、Xとnoteにおける炎上の違いを考えてきました。
Xは、情報がバズりやすい反面、本意が伝わりにくく、透明性の錯覚によって誤解が生じやすい環境です。
一方、noteは長文で文脈を共有しやすく、読者もじっくりと文章を読むため、透明性の錯覚の影響を受けにくいと言えます。
もちろん、これはあくまで一つの見方で、世の中には他にも色々な炎上要因があります。
それでも、この「透明性の錯覚」を意識していくことで、書き手と読み手のミスコミュニケーションが減って、炎上しにくくなるのではないかと思っています。
詰まるところ、何かを書く際には「自分の思いを丁寧に伝える努力」 と同時に 「相手の受け取り方は千差万別」という認識 を持つことが大事だということですね。
それではまた。
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