人間関係が疲れる理由
こんにちは。いつかは誰かに頭の中を見せてみたい願望を持つアルパカ社長です。
恐らく見せたところで納得できる人はいないでしょうが、全然関係のない事がいくつもポンポンと飛び交っています。なので会話の途中に「???」という顔をよくされます。なんで今それが出てきたみたいな。長い付き合いのアルパカ社長夫人ですら理解できないようです。
私達は人との関わりを円滑にするためにと、相手のことを理解しようとしたり理解してもらおうと努力します。しかし多くの場合その努力がストレスになって辛くなっていくものです。
その最もたる要因は「理解できるはず」という前提にあります。そもそも自分以外の人を理解するなんてことは親子でも不可能です。双子でもです。どこまで行っても相手の理解とは予測に過ぎないからです。人はその予測が難しいと「理解できない」と言います。当たり前です。あなたの理解度にも偏りがあるからです。
しかし世の中には理解しづらい破天荒タイプの人とも仲良くできる人もいます。そんな人たちは本当に破天荒な行動を理解しているのでしょうか?
答えは「そんなわけはない」
あなたの周囲の親友を思い浮かべてみてください。あなたはその親友を理解していますか?なぜ今の仕事を選んだのか、なぜいつも遅刻してくるのか、なぜあんな派手な車を選んだのか、なぜコーヒーにミルクだけ入れるのか、なぜいつも寝グセを直さないのか、どんな食べ物が好きなのか、何色が好きなのか、アウトドア派?インドア派?
理解なんて言い出したらキリがありません。恐らく全てを理解していることはないでしょう。それでも仲の良い友人とはうまく行くものです。
それは理解しようとしていないからです。理解できない言動をイチイチ理解しようと努めないのです。要するに諦めています。あいつはそーゆーやつだからと。
私もアルパカ社長夫人からは突然変なことを言い出すやつだと諦められています。逆に「なんでそんなこと突然言い出すの?」とか理解しようとされると余計に居心地が悪くなります。
人はお互いがお互いに理解しようと努力しなくても許される環境が居心地がいいのです。
お互いの理解度が高い夫婦が長続きするわけではありません。むしろ理解度が高いほどちょっとしたズレがすれ違いを生みやすいのです。
職場での人間関係も同じです。理解される努力や理解する努力は亀裂につながります。周りからあいつはそーゆーやつだと諦められた時から人間関係がラクになるものです。
人を理解するなんてことは幻想です。
理解するのもされるのも諦めましょう。
とってもラクになれます。自分が自分でいられるようになります。