二兎追った先にあるもの
熱中することが何もない人間は腐る。
今、昼寝で見ていた夢の中に出てきた私が、私に向かって言い放った言葉だ。
私はこの数ヶ月間、noteを離れていた。
noteを離れていたということは、自分の気持ちに言語化することができずにいた、ということだ。
しかしこの数ヶ月間で、私の人生はとても豊かになった。
私は、元彼に執着することをやめて、新しい自分を探していくうちに、新しい恋に出会った。
新しい想い人は、周りを常に明るくさせる太陽みたいな人で、私はその眩しい笑顔に惹かれた。
しかし同時に、彼の中の孤独感にも気づいてしまい、同じような境遇ということもあり、この人はずっと幸せであってほしいと願い続けるようになった。
また、いつもは大学の講義なんか適当に済ませ、試験も適当にしていた私が、ついに自発的に勉強を始めた。
講義のまとめ、過去問をとくといったインプット・アウトプットが成立した無駄のない勉強だ。
受験期を思い出して、久しぶりに勉強が楽しかった。
他にも、兼ねてから興味のあった「和声」についても勉強し始めた。
将来的に楽曲分析や作曲などもしたいと思っていたので、初めのステップということで和声を勉強し始めたのだ。
ピアノで弾きながら勉強する、という新しいスタイルでの勉強もなかなか面白いもので、「勉強」というよりは音と戯れる「遊び」のような気持ちでできた。
もちろん、ピアノも弾いて、サークルにも打ち込んで、友人ともたくさん遊んで、とにかく充実している。
充実している、
はずなのに。
何か足りない。
何かが足りないのだ。
多分それは、全ての物事が中途半端で、一つも「全身全霊で熱中」していないからだ。
私は、全部をしすぎて、欲張りで、中途半端な人間になってしまったのだ。
一つの物事に失敗する、苦しめられることから逃れて、
別の物事を始めてしまっているせいで、何一つ達成感や満足感が得られない。
私は何のために、今までこれらをしてきたのか、分からなくなってしまった。
興味のあることは、全部すべきだ。
全部すべきなんだけど、でも全部していたら全部中途半端になってしまう。
二兎追うものは一兎も得ずなのだ。
まずは、目先の自分から向き合わなければならない。
苦しいものや辛いものから逃げてばかりの自分に。
変われたと思っていたけど、結局何一つ変わらないままなのはもう懲り懲りだ。