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会話も人生も「生放送」
偶然がいくつも重なったご縁から、こんな対談をさせて頂いた。
あの時の一言、あの時のほんのひらめき…そんな一瞬一瞬のつながりを振り返ると感慨深く、頂いたご縁に感謝!
いつもは私が招かれる形のKATAEさんのラジオの場で、今回は、私がナビゲーターとして、音楽療法士・けるぼんさんのお話を聞くことになった。
けるぼんさんと私は、ある一つの歌を通してnoteでつながったご縁。
あれから半年。
今回のラジオでは、音楽が記憶エピソードに強く結びついていることや、音楽は人の根源的なところに働きかける、など聞きたかった話が盛りだくさん。
私自身、うっすら感じていた「音楽の不思議な力」は、ホンモノだったんだと裏付けされて、合点がいくことも多かった。
中でも、目からウロコだったのは、
「私たちは生まれながらに体の中にリズムや音を持っている音楽家」
というけるぼんさんの考え方。
私はつくづく実感した。
まったく同じトークが二度とできない、生まれない
今回3者のトークとなったけれど、録音の前後に話す雑談のようなトークを、今これ録音しておけばよかったのに…!
と何度も思う。
じゃあ同じことをもう一度話してみよう、とトライしても二度と同じことを再生できない。
再生しようとすればするほどギクシャクする。
「同じような」感じになったとしても、「同じ」にはなれない。
普段でも、
「あ、今いいこと言った、もう一度言って!」と言われても、ほんの数秒前のことなのに、もう出てこない、なんてこともザラ。
シナリオを気にせず、自然に話した会話が一番良かったりする。
とはいえ「音声コンテンツ」として第三者に発信する場合は、ノープランだと、話が支離滅裂になったり、茫洋となりがちで、よほどの話術がない限りは、時間内にわかりやすく話をまとめることは難しい。
かといって、シナリオをがちがちに作り過ぎると「頭が」持っていかれ、自然なトークリズムが崩れてしまう。
きちんと準備をして体にしみこませた上で、程よく手放すのが理想なのだけど。
トークは、その瞬間にしか起きない化学反応かも
やっぱり、一番初めにその話題に触れたときの「合わせよう」「聞こう」「話そう」とする、お互いの波長がバシッと合った瞬間の新鮮味には、かなわないのかもしれない。
まさに、お互いのリズムや呼吸、声のトーンや響き…。
出会い頭のような、その瞬間だけの波長もある気がする。
それは二度と同じことができない不思議さ。
たとえ同じ「言葉」を言っていたとしても、声の調子、言い方、タイミングが異なれば、異なる響きになって相手には伝わる。
再び「同じ言葉」を意図的に言おうとすると「セリフ」になってしまい、とたんに興ざめ。
会話の場合、相手に伝わっているのは、「言葉」だけではなくて、呼吸やリズム、トーンや響き、沈黙や相槌の間合いも含めたタイミングなど、言語そのものだけではないなと、あらためて気づかされた。
いい意味で、一定ではなく不安定なもの。
だから全く同じ「化学反応」は起きづらい。
人間が"マシーン"ではない証拠でもあって、私はそこがいいなと思う。
文明の利器として録音機能があるから、編集や調整をしたくなるけど、
本来は、私たちの会話は、覆水盆に返らない「ライブ生放送」で流れている。
そこに一番の魅力があると思う。
考えてみれば、人生だって巻き戻しできない「生放送」。
同じことを再現したい、と夢見ても、そうはならない。
失敗しても転んだとしても、そのおかげで「化学反応からの次」がある。
残酷でおもしろい。