自然、空気のよう
春を待っている
みんな春を待っている
厳しい寒さはあっても
厳しい暖かさはない
厳しい暑さはあっても
厳しい暖かさはない
春に厳しさはないのだ
挨拶ポエムからこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。相変わらず寒いですね(気温のことですよ!)。こうも寒いといろいろ調子悪いというか狂っちゃいますよね。まあでも春さえ来てくれれば概ね解決すると思いますので、もう少しの辛抱なんだと言い聞かせています。
さてさて、最近はというかいつも鳴かず飛ばずな意志雄ではありますが、自分って一体なんだろうと思うことがたまにあります。漫画家?随筆家?YouTuber?ISHIFES主宰者?デザイナー?輝き人…?どれもしっくりきていないのは、どれもしっくりいっていないからだとはわかっております。特にYouTube漫画「スニーカー好きのタコ」はすごいですよ、毎回15回くらいしか再生されなくなりましたからね(笑)。だけど、なんというか、楽しいものは楽しいので次も作ってしまうのです。思えばずっとこんな調子だったなと。日々の4コマ漫画だってもうあまり読まれてないというか、日常に溶け込みすぎていちいち反応しなくなるのはとてもわかるような気がします。私自身もはやどの方向を向いて描いているのかもわかりませんから。しかしそれは、人間が意識して空気を吸っていないように、みんな意識して意志雄の漫画を読んでいないということ、つまり、意志雄を自然に受け入れていることなのだと前向きに考えるようにしております。ということで、私は自然の一部になりつつあるのかもしれません。落合陽一さんが言う、人と機械,物質と実質の間に多様な選択肢を示す”計算機自然(デジタルネイチャー)”のように、人と意志雄、物質と意志雄の間に多様な選択肢を示す”意志雄自然(意志雄ネイチャー)”が、私のアイデンティティなのかもしれません。大丈夫、私も何を言っているのかわかっていません(笑)。
意志雄ネイチャー。ついさっき生まれた言葉ですが、なんだかとてもしっくりきています。「世の中お金じゃない」という問いに対する答えにもなっているのではと感じました。石田意志雄は何者なのかと聞かれたら「ネイチャーです」と答えようと思いますが、そうすると説明が長くなりそうなので、いろいろ省いて「空気のような者です」と答えようと思いました。で、今また思いついてしまったのですが、そうなると、エアジョーダンよろしく、「エア意志雄」もいいかなと。
なんだかよくわからない話になりましたが、今からレディオの収録でもしたいと思います。それでは。