聞き取りの中で考える「翻訳」①建築家印牧洋介さん(2/3)
3. スケール感によるゆらぎ ー アルヴァロ・シザのサンタマリア教会の扉
身体に染み付いた感覚の違いによる空間認識の「揺らぎ」について考えてみると、この建築を訪れた時のことも思い出しました。
ポルトガルのマルコ・デ・カナヴェゼス(ポルトの東)にある、アルヴァロ・シザ Álvaro Siza Vieira(1933-)という建築家が建てたサンタマリア教会 IGREJA DE SANTA MARIA(1996)です。
この外観からは用途が不明な建物は、正面に約10メートルの高さのとても細長く大きな扉を備えています。この扉は祭祀用で、普段は右側の塔の下にある小さな扉を使います。
この教会にはさまざまな魅力がありますが、今回は、この扉の巨大さに注目します。 西欧と日本の建築の、一般的な構法の違いから考えてみます。
日本で一般的な、柱や梁を使って屋根を支える木造建築と違い、西欧の建築、特に木材の少ない地中沿岸などでは、石造りやレンガ作りの家など組積造と呼ばれる構造を採用した建築が多く建てられてきました。
この構造では壁全体で床や屋根の荷重を支えるため、日本の柱や梁といった線材で支える建築と比べて壁に大きな穴を開けることに適していません。どうしても開けたい場合は構造的な補強をしたり、計算をし直す手間が発生します。
東大寺の南大門の門の高さは、全体では25メートルほど、そのうちくぐり抜ける開口部の高さは約6.5メートルほどです。それに対してシザのサンタマリア教会は、高さ約17.5メートルのうち扉の高さは約10メートル。 壁のサイズに対するこの教会の開口部のサイズが相当大きいことがわかると思います。
もう少し視野を広げて周りの家々等の環境とその「扉」との関係に着目すると、どのように感じられるのでしょうか。この扉は、組積造建築の街並みに囲まれた写真を改めて見るとやはり巨大ですが、それでも「扉」として感じられる気がします。
建築を構成する柱・床・窓・扉といった要素は、かたちと大きさがセットになって人々に「慣れ」た感覚を与えており、それは土地や風土によって異なります。そのどちらかが失われていると人々が潜在的に持っている「慣れ」が働かなくなる、つまり「扉」を「扉」として訳せなくなってしまう。
シザは教会を市民に目いっぱい大きく開いていきたいのと同時に、親しみやすい「扉」として認識可能な、ぎりぎりまで大きいサイズ、プロポーションを狙ったのだと思います。
教会のユーザーは市民です。個々の収入、身分関係なく様々な層のユーザーがいます。そのようなユーザーから親近感を獲得するためにも、ただ巨大な開口部ではなく、なじみのある「扉」と認識されることが重要だったのだと思います。ここでは、人々が扉として「翻訳」できる限界のサイズを追求するシザの意思が私には感じられます。
4. 図法によるゆらぎ ー ジョン・ヘイダックのドローイング
図面など、建築空間を言語以外の図や絵として表現する方法を「ノーテーション」と呼ぶことがあります。ノーテーションという言葉は直訳すると「記譜法」ですが、音楽や舞踊の分野などでも使われ、スコアを書くことなどを意味します。
建築分野でのノーテーションというと、平面図や立面図などの実務的な図面や抽象的なドローイングなど、図と絵を用いた様々な方法を指します。
作曲者や振付家の意図を演奏者またはダンサーに伝えるために五線譜にとどまらない様々な記譜法が生み出されてきたように、建築分野でも建築家が、施主や施工者、建築を学ぶ人など、色々な相手に対して空間を伝えるための手法を生み出してきました。
中でも私が学生時代に衝撃を受けたのは、ジョン・ヘイダック John Quentin Hejduk(1929-2000)というアメリカ人建築家の「ダイヤモンド・プロジェクト」というドローイングです。
ここでは本来空間のイメージをより具体的に伝えるために用いるアクソノメトリック図法が、逆にあえてイメージを曖昧に、また様々なイメージが浮かぶように使われているように感じます。
通常四角い平面図をアクソノメトリックで投影すると45度方向に3次元の空間が立ち上がるのですが、彼の場合はもともと45度に振れたダイヤ形の平面図を投影する。すると本来高さを示す線が平面上にあるのか立体を示しているのか判別がつかなくなる。
この一本の線が2次元と3次元の間に宙ぶらりんになる図法は、図法による空間解釈の揺らぎ、といえるのではないでしょうか。
5. 建築言語によるゆらぎ ー カルロ・スカルパのクエリーニ・スタンパーリアの庭
最後は建築言語のゆらぎについてです。
ヴェネチアを中心に活躍したカルロ・スカルパ Carlo Scarpa(1906-1978)という改修を多く手がけた建築家による庭を紹介します。スカルパは自身の作品を近代建築以降の建築言語で語られることをあえて避けたがった人です。
建築言語というのは例えば柱、壁、床、天井、階段といった、ごく一般的に流通している建築を説明するための言葉の集合のことを指しています。一般的な建物について他者に説明する際にこれらの言語を我々は組み合わせて使いますが、スカルパの場合は柱と思っていたものが別の方向から見ると壁に見えたり、階段と呼びたいけれど床が重なっているようにも見えたりと、建築言語で説明しようとするとどうにも逃げられてしまう感じがします。
彼の空間を我々の言語で置き換え、つまり「翻訳」して表現しようとするとするりと抜け落ちてしまう。それを防いでかたちに言葉を当てはめようとすると、もっと原型的な立体を示す単語、例えば円・球・直方体といった建築の部分としては原始的すぎる言葉で説明するしかなくなってしまう。
彼の発言を追ってみると、そのような設計の先には自身の空間を規格化された寸法によって縛り付けたくない意志があったようです。
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印牧 洋介(かねまき・ようすけ)
2007 早稲田大学理工学部建築学科卒業
2009 早稲田大学大学院修了(古谷誠章研究室)
Fondazione RENZO PIANO 奨学生と して渡仏
RENZO PIANO BUILDING WORKSHOP PARIS
2010 安藤忠雄建築研究所
2012 坂茂建築設計
2015 印牧洋介設計
2016 東京藝術大学教育研究助手
2017 大成建設設計本部
https://www.kanemaki.org