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目覚めたときにやってくる不安感。
子供のころから朝目覚めた瞬間にとてつもない不安感に襲われることが度々あって。
毎朝ではないもののそれは時々やってきて、朝から心細いような淋しいような何とも言えない氣持ちになることがあり、「こんなのわたしだけなんやろうな」と誰にも言わずに大人になった。
数年前、心の学びの場で先生がクラスのみんなに向かって
「朝起きたとき絶望感に襲われる人?」
と問いかけると、そこいにた半数以上の人たちが手を挙げてびっくりした。
「わたしだけじゃないんや!」という安心感も湧いてきて、その後の先生の説明を聞いてさらに安堵したのを覚えている。
先生によると、わたしたちが夜寝ている間、魂は『魂のふるさと』に還っているため、肉体という制限を脱いで自由に氣持ちよく動きまわっているんだとか。
ところが朝になり目覚めた瞬間、その動きが制限される世界に引き戻されるため不安になったり絶望的な氣分になるんだそう。
「そういうことやったんか!」
人は理由がわかると安心するもので、それ以来、朝不安に襲われてもさほど氣にならなくなった。
そして最近また、別の見地から朝の不安症状についての情報を入手したのでシェアしてみようと思う。
それは脳のしくみに原因があるとのことだった。
わたしたちの脳は、ひらめきや直観を司る右脳と、話す、書く、分析をする左脳にわかれている。
現代人の多くの人が左脳過剰の状態にあり、頭の中は常に自動思考が流れているのがデフォルトになっている。
自動思考とは、ふと目にしたものに対して反射的に浮かび上がってくる思考やイメージのことで、意識的に「これについて考えよう」とせずして、知らない間に頭の中に思考が流れている状態のこと。
ちなみにわたしはこの自動思考は「自我」と深い関係があると思っていて、自動思考が自我を強固にしているのでは?と思ったりしている。
目にするものがあまりにも多い現代の情報社会では、日中左脳は働きっぱなしで休むことをしらない。
スマホなんてなかった時代は、電車に乗っているときやカフェにいるときなど何もせずボーッとする間があったけれど、今はちょっとしたすきま時間もスマホを見て脳に刺激を送っている。
これは常に「わたしはここにいる」ことを証明したい自我が刺激を求め、それに誘発されて情報を取り入れるべくスマホを見る、という行為につながっているのでは?と仮定している。
ボーッとする間もない今の時代、脳は昼も夜も大忙しだ。
日中取り入れた情報の処理を夜寝ている間に行おうと脳がフル回転し、それにより脳が炎症を起こすのだそうだ。
それが原因となり、朝目覚めた瞬間に不安感に襲われるということがあるのだと説明されていた。
はぁ~っ、納得。
わたしたちの生活はずいぶん便利になった。
ボタンひとつで欲しいものがすぐ手に入り、とてもありがたいことだと思う。
でもその分失われたものも多い。
それは何もしないちょっとした時間。
仕事の合間のほっとひと息する時間や、ごはんやさんで食事が出て来るまでの時間、待ち合わせで相手が来るまでの時間。
そんな日常の中にちりばめられた「間」を多くの人が何かしらの情報に触れることで埋めてしまっている。
ほんとは情報が欲しいわけではない。
条件反射的にそうなってしまっているのだ。
そのことに自覚的になり、あえて「すきま」を作ること。
そうすることが脳にも余白ができ、よき方向へ向かうのでは?と思ったのでした。
朝にやってくる不安感には理由があります。
安心してくださいね。
今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。