困難にぶち当たっての学び
お家のリ・ボーン計画を実行に移し始めてから、毎日気付きが多い。
今日も、ずーっと見て見ぬふりを貫き通してきた結果、エライことになっていた掃除場所に切り込んだ。
おじさんがソファーでくつろぎながら国会中継を見ている中、切り込み隊長の私一人、長年蓄積してきた汚れと奮闘するモチベーションをキープするのはめちゃめちゃ困難だった。
が、しかし。
最近、セルフマインドコントロールが上手くなってきた。
今まで「私の仕事として認識してこなかった家の中の仕事」を放置してきたのは、紛れもなく、己自身だ。
オジサン(自分以外の誰か)が少しだけでも手を貸してくれたら、スムーズにできることでも、ひとりでは困難な仕事をしなければならない時、
以前の私なら、
私がこんなにしんどい思いをしてるのに、なんで手伝ってくれないの💢⁉️
と、自分に課された宿題よりも、困っているのに手伝おうとしないオジサンへの苛立ちに脳が支配されていた。
今日もそんなマインドに支配されそうなった時、
ちょ、待て、わたし!
これ、あんたの宿題ちゃうか?
宿題って、時間かかったり、面倒だったり苦労してやるから自分の力になるんと違うか?
逆上がりができるようになるまで、自転車乗れるようになるまで、子供の頃は一生懸命できるまで自分でやってたやん?
いつから、人に手伝ってもらわへんかったら腹立てる人間になってしもたんや?
(心の声)
どんなに高い山も最初の一歩から。
そして、超厳しい「己の目」の審査基準をクリアするまで、ひたすら拭くのみ。
そう心に決めて、手を動かし始めた。
どうやったらこんなに汚くなるの?
と思うような汚れに立ち向かいながら、
脳がいろんなことを考え始める。
「そうだ、新築そっくりさんのお掃除隊として選り抜きの超できるスタッフ役をやっていると思おう」
とか。
「目の前のキッチン汚れをきれいにしているんじゃなく、価値ある絵画の修復作業をしていると思おう」
とか。笑
アホらしいと思うが、私の場合、「プロ意識」に置き換えるとなんでもできる。
時間はかかったが、キレイに美しくなったその場所を見た時、
「劇的ビフォーアフター」のテーマソングが頭の中を駆け巡る。
すると、どうでしょう。
この達成感。
誰が喜んでるって、
私自身が一番喜んでる。
普段(もしかしたら一生)それを見ることもないオジサンにはカンケーのないことだったことに気付く。
何年もの間、そこを開ける度に
ウワッ!汚っ!
って、思っていた負の感情からしばらくの間解放されるのだ。
今日みたいな作業を未来の自分が二度としないでよいための方法まで考えた。
何年後かの私は、今の私より確実に歳を取っていて、目も今より見えにくくなり、体力も今より衰えているだろう。
未来の自分に優しい工夫
を考えるのも、案外楽しいな。
家事って、本当にキリがない。
生きている限り、汚れ続ける。
だから、活動することと掃除や片付けをセットで考えない限り、「掃除負債」を増やし続けることになる。
まるで、高利の消費者金融の利息みたいに雪だるま式に負債ばかり増える。
ということを、子ども時に教えといてほしかった。
(また人のせいにして💦)
ま、遅ればせながら、今知ったんだから良かったやん?と思おう。
日々の仕事も平行してしながら、増えた体重、病、おうちのこと等々… 溜めてしまった「やること負債」をリセットするのって、本当に大変。
でも毎日、1ミリでもマイナスをプラスにできている実感は、生きる活力になるものだなぁ…
私が喜ぶことは、必ず神様が喜んでくれている。
神様が喜んでくれることは、未来の私が喜ぶ。
ナント、シンプルなこと❗
さぁ、ボチボチ休憩も終わりました。
夕飯の支度と参りましょうか。
今日もよく頑張りました、ワタシ。
できる範囲で構わないから、目標決めて切り崩していこう。