おじいちゃんのハーモニカ 〜時を超えて〜


元日は決まって父方の祖父の誕生日を祝う。
それが僕が生まれてから欠かさず続く我が家の伝統行事である。

僕が生まれた時から「おじいちゃん」と呼ばれている祖父も(当たり前だが)僕が生きた数だけ歳をとり、更なるおじいちゃんへと歳を重ねている。

そろそろボケも悪化しており、誕生日ケーキを食べてしまえば数分前まで食べていた寿司のことを忘れてしまうほどだ。
更には何度も顔を合わせている僕の従兄弟の父親(祖父からして婿)の名前を聞いても「会ったことないなぁ」と首を傾げていた。

そんな祖父だが、父親からのハーモニカをプレゼントされるとおもむろに吹き始めた。祖父がハーモニカを吹いているところを初めて見た。

「○○高校のハーモニカ部だったんだよ」

ハーモニカ部なんてあるのか甚だ疑問だが、その疑問はすぐに解消される。

「ギターやりたい人が多くて、結局ハーモニカになった」

ハーモニカ以外の楽器やろうとしてたならハーモニカ部じゃないだろ、と言いたくなったがぐっと飲み込んだ。

ハーモニカ未経験の僕からしたら音を鳴らせるだけ凄いなと感心していたのだけれど、何らかの曲を演奏していたから驚いた。何の曲か分からないけど。
疑っていたわけじゃないけど、ハーモニカをやっていた事をその音色が証明していた。会話も食事もそっちのけでハーモニカを吹き続ける祖父の姿は純粋無垢な子供のようだった。

ついさっき食べた寿司の事を忘れても、何度も会った事がある人の事を忘れても、高校時代にたくさん練習したであろうハーモニカの吹き方は忘れない。

人は誰しも生まれたその時は純粋無垢でも遅かれ早かれ悲しみや苦しみを知り、世の中の不条理を体感して擦れてしまうものだと思う。サンタさんの存在を微塵も疑わないほど純粋無垢にはいられなくなる。

しかし、歳を重ねて認知症や物忘れが激しくなった時、日常の些細なストレスや心の汚れさえも忘れてしまう事で、あの頃のように純粋無垢な姿に戻っていくのではないだろうか。

子供の頃の思い出が宝箱のように心臓の近くに鎖で強く保管されているのかも知れない。
その宝箱が歳と共に鎖も綻び、あたかもその思い出がつい最近の事のように、最近の事はなかったかのように、ストレスがなかったあの頃のように、これまでの人生の傷跡や鬱憤を晴らし、自分の心もやわらかく浄化してくれるのかもしれない。

子供から大人になって、また子供に戻っていくように。そうして輪廻転生していくのではないだろうか。

子供の頃に戻りたいと強く思うが、それは叶わない。ただいずれは子供の頃のような穢れなき心で人生の終わりを迎える事が出来るのではないだろうか。

心が擦れたまま死ぬより、またあの頃のように綺麗な心になった時、親がいる天国へと帰っていく。

これが“人生を全うする”という事なのかもしれない。

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