小学校の同窓会
2024年8月15日。
小学校の同窓会があった。
始まりは、一通の往復はがき。
中学校三年時に生徒会長を務めたY君からだった。
行こうか、どうしようか、すごく悩んだ。
何しろ、成人式から全然会っていない人も含めると、実に26年ぶり。
そして、一番の心配事は、同級生のみんなが僕をどれだけ受け容れてくれるのかな、ということだった。
《思い出す小学校時代の記憶》
僕は、ASD(自閉症スペクトラム障害)の特性もあるのかはわからないけれど、長期記憶がかなりいい方だと思う。
小学校時代のことも結構覚えている。
国語の教科書にどんな内容が記載されていたとか、
社会の時間にどんな調べもの学習をしたとか、
音楽の合奏の時間にどんな楽器を担当したかとか…。
高学年に行う委員会活動は、アナウンサーにあこがれて放送委員会に入り、「お昼の校内放送などのアナウンスがとても輝いている」
と先生から褒められたこと。
6年生になってからは運営委員(児童会代表)を務め、先頭に立ってみんなを引っ張っていこうと頑張っていたこと。
そんな、いい思い出や頑張った記憶などは、同級生と作ったというより、尊敬する恩師の先生と作っていった感じのほうが強いかもしれない。
それに、いい思い出ばかりではない。
小学校中学年(3・4年生)あたりから少しずつ、女の子からばい菌扱いされるいじめに遭っていたし、
「スクールカースト」っていう言葉が平成の中ごろに生まれたというけれど、その階層の中でいうならば、僕は思いっきり下の方だった。
「はい、何人かのグループに分かれてくださーい」
となると、いつも余りモノ。
国語・算数・理解・社会+音楽でトップクラスの成績を収めていても、体育と図画工作がまるでダメだったし、授業中も、納得するまでみんなと真逆の意見を言って、単元が全然進まないといったこともざらにあった。
先生は、
「あなたのおかげでわからなかったことがわかるようになったという人も多いよ」
とは言ってくれたけれど、計画通りに・指導要領通りに授業を進めたい先生からしたら、「困った子だな」と思っていた部分もあったかもしれない。
3年時のクラス担任
4年時の音楽担任
5年時・6年時のクラス担任…と、6年間の大半の教育・指導を僕にしてくれた恩師の先生は、残念ながら参加しないことがわかり、
さらに、よく小馬鹿にされるネタになっていた初恋の女の子のこととかを掘り返されたりして恥ずかしい思いをしたりもするのかな、
と不安だったけれど、
「僕なんかでも誘ってもらえたのだから」と、勇気を出して行くことにした。
《久しぶりにみんなと会って感じたこと》
卒業以来姿すらあまり見なくなっていた人、
成人式ぶりに姿を見た人、
街や電車内で見かけたことこそあるけれどようやく話せた人
変わり映えしない人や、めっちゃ美人になっていた女の子。
「あの子がこんな風になったのか~!」という驚きや
「全然変わっていないね」「来たらすぐわかったよ」などの反応、
それから、
「(当時のあだ名)にっちゃんって、ホントみんなのためにがんばってたよなあ」
「物知りで頭良かったもんな~」
とかの言葉も嬉しかったし、本当に懐かしくてたまらなかった。
「1年生から6年生までの担任の先生の名前覚えてる?」とか
「校歌の歌詞ちゃんと覚えてる?歌える?」とかのクイズでも盛り上がったりもした。
でも、なんだかものすごく“違和感”を感じていた。
同級生だから既知の仲のはずなのに、どこかよそよそしさを感じたり、全然僕の方を見ようともしない人もいた。
みんな一緒に同じ学び舎で大きくなった仲のはずなのに、あまりにも心が離れすぎている感じがした。
みんな親しそうに話しているのに、自分はただ座ったままで。
もともと、飲み会やパーティーの雰囲気が苦手なことも合わさって、気持ちがなかなか落ち着かず、緊張感、気恥ずかしさ、
さらに、「障害者になってしまったんだ」というどこか後ろめたい気持ち…
とにかく、どうみんなと接していいのかわからないまま、時間が過ぎていった。
会の終わりに、初恋の女の子に、
「私のこと、誰だかわかります?」
と声をかけられた。
あまりにも変わっていて驚いてしまった。
と同時に、その子にしていた数々のゆがんだ愛情表現だとか、そもそも僕なんかがその子のことを好きになってしまったこととかが、ただただ申し訳なくて、会釈を返して以降はその子の目を見ることもできなかった。
《二次会》
みんなともう少し一緒に居たくて二次会にも行った。
カラオケのパーティルームの中にひしめき合うように座っていたのだけど、なかなか会話ができなくて、ただ運ばれてくるフードメニューをもぐもぐ食べていた。
心的疲労がキてしまったのか、聴覚過敏が出て思わずノイズキャンセリングイヤホンをしたとき、何人かの女子たちが、怪訝そうな目で僕のことを見ている感じが伝わった。
それに、近くに座っていた何人かで「当時誰のことが好きだった?」て話題になったときは、自分のことを根掘り葉掘り聞かれないか気がかりでたまらなかった。
楽しい会話ができた、という実感は殆どなかった。
それでも、面倒見の良い優しい子や、僕と休み時間一緒に遊んでくれた子など、何人かの人は、僕の今の様子を聞いてくれたり、気遣ってくれたりしてくれて助かったし、一部の人には、ASD(自閉症スペクトラム障害)のことも打ち明けることができた。
そうこうしているうちに終電が無くなってしまい、
「同じ町に住んでるから送るよ」
と家の前まで送ってくれたA君。
そして、A君と時々あっているというI君やS君は、車が出る前に
「またね!元気でね!」
と笑顔を見せてくれた。
そんな、心が温かくなる出来事もあった。
《参加してわかったコト》
実は聞くところによると、僕の知らない間に、小学校の同窓会と中学校の同窓会が一度ずつあったそうだ。
「普通は同窓会って、往復はがきを使って全員に連絡がいくものじゃないの?」
「なんで今まで僕のところに連絡が来なかったの?」
という気持ちになったのだが、最近の同窓会はみんな、LINEやメールなどを使って連絡を取り合ってつながった人同士が開くものらしい。
僕はみんなに会うのが久しぶりなのに、他のみんなは「同級生」という以上に、なんだかもうすでに「さらに一つ高い次元での関係性・仲の良さ」みたいなものが出来上がっている気がしてならなかった。
それに、参加者のほとんどが結婚し、子育てもしているか、仕事上(主に職業面・収入面)での安定感が僕の何倍もあるか、という人ばかりで、ちょっとうらやましかったというのもあった。
感じていた孤独感・孤立感の正体はもしかしてソレかもしれない。
みんなが持っている僕のイメージは、きっと成人前のまんまで止まってしまっているんだと思っていた。
子どもの頃から、そして今でも、承認欲求の強い僕は、みんなと会っていなかった26年間、必死になって生きてきたことを認めてほしかったのだ。
『大丈夫?大変だったね』とか
『それでも頑張ってるね』っていう言葉をかけてほしかった。
愛される・認められるコトは、子どもの頃からずっと今までしっかりと満たされずにいて、その渇望感を満たしたかったのだ。
今回の同窓会に参加することで、小学校の時はイマイチだったけれど、僕もみんなの輪の中に入りたい、という気持ち、
さらに、そもそも
「同級生だろ?もうみんないい大人になったんだから、お互いに認め合って、分かり合ってつながっていこうよ!」
という気持ちもあった。
でも同時に、
「同窓会の中に行ってもみんなの中になじめない」
と感情が強かったのも本当だった。
“鏡の法則”で、それが現実化してしまった形なのかもしれない。
今回の同窓会でLINEグループに入るよう誘われ、同窓会の日はいなかった同級生もたくさん入っていた。
でも僕は、二次会の時に優しく声をかけてくれた何人かの同級生と個人的につながった後、グループを退会した。
《これから先の自分の心の置き場所》
今回の同窓会のことを受けて、自分のコーチ的存在の方がアドバイスをくれた。
「そもそも『僕なんかが誘ってもらえた』って言っている時点で、自分のことをサげてみている、蔑んでいるよね~。
学校ってのはあるとこ“しかたなしに決められた集団”。
たまたま同じ地域に住んでいるから一緒になっただけで、SNSみたいに全国、さらには世界の人がつながる場所とは違う。
気が合う人がどこにいるのかなんてわからない。
『咲きたいところに自分を置きに行く』
自分が合うところで動くつながりを作っていくしかない。合わない人のところに行ってもわかってもらえないんだから、無駄な労力なのヨ。
過去のことを何回ひっくり返しても、『自分がそうだった』という過去は変わらない。
それは今の自分に自信がないから。
それに“自信がある”というのは
“自信満々でいること”
“あれもできるこれもできる”じゃなくて
“今の自分でいいんだ”と言えるのが自信なの。
そこから次のステップは
『今の自分になれたのはそのときそーゆう経験があったから』
という心持ち。
「小学校のときにはいろいろあった」としても、そこから小学校時代のことを懐かしみたい人が来るのが同窓会なだけで、それが自分の輝きたい場所なのか、てなったときに『う~ん…僕は同級生の中では輝けない』と思ったら、行かなくていい。
『自分は本当にそこに行きたいのか』
『なんのためにそこに行きたいのか』
ていうのを、決める前に心に決めるコト。
『誘われたから行く』じゃなくてね。
僕は今、実家暮らしで、衣食住に困ることはないし、障害者雇用とはいえ、働くことができて、自分の稼ぎを生活費と自分のために使うことができている。
高い楽器を購入しての趣味活動も楽しんでいるし、自分の気に入った車にも乗れているし、できっこないだろうと思っていた恋人もいる。
ようやく自分のことを少しずつ好きになり、認められるようになった。
「いいところも悪いところもひっくるめて僕は僕」
とアイデンティティができてきた感じがする。
そんな今の自分でもいいよ、という人とつながりを持ってくれる人・わかってくれる人だけ大切にすればいい、と思った。
だから、いくら小学校の同級生であっても、個人的につながれた以外の人とまで“おててつないで仲良しこよし”をする必要はない、と思ったから、LINEグループを抜けたのだった。
でも、能登半島地震と能登半島豪雨に襲われた石川県に住んでいる身でありながら、同窓会ができるということはとても幸せなことだ。
数年前までは、
「同窓会なんて誘われても絶対行くもんか」
と思っていたのだけど、心身ともに充実し安定している今の僕だからこそ行けたし、行ってよかった。
あの日の出会いでつながった人が、もしかすると将来自分を支えてくれるかもしれない、とも思う。
次の同窓会は5年後。
僕は今以上に心身ともに元気で、幸せで、他人のことを笑顔にできるくらいに笑ってみんなに会えるだろうか。