見出し画像

Discovering compassion 「思いやり」の発見

◆イーシュワラは、信じる信じないではなく「理解する」話題

イーシュワラは、天国のように見えないものではなく、今見えてるものであるから「理解すべき知識」である。表れているもの・空間・時間すべてがイーシュワラ、という知識の土台があって、理解すべきもの。「ここにあるものすべてはイーシュワラである」を否定するには、それぞれに対し分析して覆す根拠が必要になる。土で出来たポット→土→分子→原子→素粒子→・・・と遡るといずれの源も、映画を映すスクリーンのようなもの=行きわたっているイーシュワラから表れてる と言わざるを得ない。という証明のしかた。

◆イーシュワラへの理解で何が変わるのか

自分の能力や社会的な地位が変わるものではない。知らなくても過ごせる。
ただ、「違いを創る」といえば、それは必ずYESである。自分の、物の見方・受け取り方が変わるということ。変えられるところまでまだできなくても、今までになかった側面から捉え直せる、ちょっとした距離をつくれること。

◆ヴィナヤ(「謙虚」という価値)

自分に余裕や自己尊厳が無ければ、「足りない」「もっともっと」という欲する意識が強くなってしまう。漠然としてても「私の身体も、何かをする機会も、与えられたもの」という理解があれば、謙虚さが生まれる。だから、イーシュワラへの理解は、謙虚さとそこから生まれる思いやりに繋がる。=人間としての成長

◆だれしもが罪悪感を持っている

”してしまった”と”しなかった”の2種類。罪悪感は忘れようとするほど思い出す。罪悪感を消化する助けになるのが、イーシュワラ=秩序・法則。秩序のなかで「そうせざるを得なかった」という理解が、自分にも相手にも思いやりを生む。「自分自身に思いやりを持てなければ、他の人にも真に優しくできない」「自分自身に対しての優しさの発見は、イーシュワラから受け取る最大の祝福」

◆正しい・正しくない の判断ではない

あくまで、「あの状況で、秩序の中で採りえる選択はそれだった」という客観的な見方。自分や他者の適切であったかの評価をするものではない。その選択の背景を思い遣ることができるかどうかで、自分や他者の選択や行いに理解を持てるかも、という話。イーシュワラとは、を言葉での説明にしてしまいがちだけど、けっきょく、「理解」をして生まれた謙虚さと思いやり=イーシュワラそのものである。

◆自分の思考の癖や感情について

原因→結果という法則(イーシュワラ)に在る。自分の癖・傾向に気づけたときに、繰り返し繰り返し、それを客観的に見て扱ってみる。或いは、周囲に「私はこう言われると辛い」と伝えて協力してもらう。知識を日常にもちこんで、自分に起きたこと・感情や行動を客観的にとらえたいと思いつつ、
もしかしたら、知識という色眼鏡で、自分が納得できる理屈を作ってしまってることもあるかも・・・。

◆「選択」と羽生結弦さんのアイスショー

Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd "RE_PRAY" TOUR
ゲームのキャラクターとして選択をしていく第一部(そしてその選択が報われなかったり、無になる)。ゲームのキャラクターと気づいた後の、選択を手放した後の世界を描く第二部。
一部でゲームの結果をセーブできなかったので、二部は同じプログラムをリプレイ(Replay)するのだけど、機軸が「選択すること」から「委ねる=祈る」に変わる。”Repray”というショーのタイトルはここからきている。
「祈り」に行きつくのも、御自身が2011年に震災に遭われて、自然災害というコントロールできない威力を実体験して以降、ずっと被災地にそして身近な人に祈って尽くしてきた人だからだと痛感。

羽生選手による解説

ちょっとわかりにくいかもだけどファンによるディープな解説
>第二部では、誰かに動かされ、操作されることを旨とするゲームキャラクターではなく、魂と自我をもった存在となったようです。メタ的に言えば「自分がゲームキャラクターだと気づいているゲームキャラクター」という感じでしょうか。

◆「謙虚」と千春

一見、謙虚の対極に見える松山千春。実際は、謙虚と感謝と思いやりの人である。案の定、スポーツ紙には随分と強面な見出しとお写真なのだけど(このスーツ姿の覇王色はすごい)

紅白に決別宣言「あんなNHKごときに」「ガタガタ指図されるような歌手じゃない

「NHKホール、テレビの小さな箱で歌うよりも、俺は、このコンサート会場ひとつひとつを大切にしたい」という言葉に、わ!ってなった満員の客席(こういう発言を書いておくれよ)。コンサートは一回一回が勝負。お客さんが来てくれてこそ次が約束される。その勝負を47年続けてきた歌い手。客側も何かと大変な日常の合間に、時間やお金や家族の都合をつけて足を運ぶ選択をしてる。その客を絶対に満足させてやるという覚悟と、同じ空間で人生を共有することを何より大切にしてる千春。それをファンと約束してる千春。だからいっときの祭り的な(しかも呼び物がないという理由で)紅白には軽々しく出られない、というのが真意。「聴いてくれる客が居なければ歌えない」という、言葉にすれば当たり前なんだけど、心からそう思ってる謙虚さ。「コンサートという場をつくってもらってる」という感謝。毒舌でさえあるトークにも逆説的に優しさが表れる。こんな真摯に人の痛みに寄り添えるのかという。あの物言いと顔なのだけど、千春は謙虚と感謝と思いやりの人。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?