面接を受けてようやく志望理由、ひいては自分の軸の弱さがわかった。
受験の一つとして面接を受けてきた。
面接のような自分の考えや思いを他人に伝える機会を自ら持とうとしてこなかったので、初めての体験となった。
それを経験して、だいぶ大きな変化があったので記しておこうと思う。
受験としての面接について
まず自分が志望校合格という目標を掲げていて、そこに合否という結果がある以上、その点での評価は重要である。
発表は後日であるが、自分の感覚としてはおそらく不合格だと思う。
理由は、問われたことを理解することやその質問を通して何を図ろうとしているのかを考えること、またそれらから判断して適切な回答をすることができなかったからである。
口頭諮問についての出来も良いわけではないが、それよりも志望理由や今の自分が持っている知識に基づく意見を相手に伝わるように話せなかったという点が最大の反省点である。
自分の強みである考える力を外に向けてアピールする機会を用意して、練習しておくべきだったのだろう。
一方良かった点を挙げるとすれば、その考える力を発揮することができた点だろう。
日頃から意識している「何を考えるべきかを考える」ことが、このような場でも実践できた事は、自信につながった。
人生経験としての面接について
このような体験は初めてであり、加えて長い間新しい経験を積まないまま過ごしてきたので、非常に新鮮で良い刺激となった。
どういう点で良かったかというと、自分の軸が弱いのだろうということが自覚できたことが挙げられる。
高校生活の間に、それまでとは全く異質の「考える」という行為を身につけて、それを実践することによって、自分はそれなりに強度のある考え方を身につけたものだと考えていた。
それは自分の考え方の基準である価値観が独りよがりであることによるものだと思う。
そのために価値観という根幹が揺るがされない限り、自分の考え方が間違っていることは受け入れないだろうと考えていた。
しかし、今回の面接はそんな自分の傲慢な考え方を打ち砕いた。
少なくとも科学の分野においては、勉強不足で未熟な自分ではその誇りと思っていた価値観ですらも無意味であると直感した。
それほどまでに、面接官とのやり取りで自分の至らぬ点と、大学の先生方の考えが自分の及ばぬものであることを自覚した。
そのために大学を志望する思いが強まったのも良かった点である。
これまでの受験勉強では大学を夢を実現するための過程として、あくまで副次的なものとして考えていた節があった。
これも独りよがりな考え方の弊害だろう。
恥ずかしいことに、自分はプライドが高かったのだ。
しかしこの体験を通じて、そのような考え方を身につけている偉大な教授陣に教えてもらうことが大学の大きな魅力となった。
自分の考え方に自信を持っていた理由の一つは、おそらくそれが自分のためのみに行使されるもので、自分に適しているかどうかで良し悪しが測られるからであったのだろう。
それは確かに正しいが、人生を左右する上でそれが非常に重要な役割を果たすという点で、やはり自分はそれを誰かしら何かしらから学ばなくてはならない。
そのようなことに気づき、それを学べる場を知ることができたのも、一つの得たものである。
そしてそれらを総合して、自分が科学を、特に物理を学ぶ新たな意義を見出せたことが最大の収穫と言えるだろう。
今まで私が物理を学ぶ理由は大きく分けて二つであり、一つは将来の目標の実現に必要だから、一つは好奇心が働くからであった。
確かにそれらは誤ってはいないけれども、正確に表現しているというものではない。
特に二つ目は抽象的であり、あえて言葉にするならばそのようなものなのだろうけれどもしっくりくるものではなかったので、確かに強い思いではあるのだが、言葉にしようとするとぼやけてしまうものである。
それについてはこれからにうまい言葉との出会いを期待する。
たいして新しい理由というのは、「自分の考えの軸を確立する術を学ぶため」である。
今の自分にとって科学とは、純粋に客観的な視点のみから構成されたもので、私の生きる世界と思考との関わりそのものや、その関わりによって生み出されるものである。
思考が支配する形而上の世界と、現象が支配する形而下の世界の両方に生きる人にとっては、科学はそのためにとても大きな意味を持つ。
支配に従って生み出される原則は、強さを持ち、その上に唯一立つものが変わらない限り決して揺るがされない。
そういった強さを持った軸を、私は自分の中に貫かせたい。
だから、そうするために私は物理を学ぶのだと新たに自覚することができた。
一般試験に向けて
今回の面接試験で大きなものを得られたのは、以上に述べたように確かである。
しかし長い間大きな刺激がなかった自分にとっては、今までの自分の武器を否定されたことは同様に大きなダメージとなった。
それはある意味、今まで大事なものにまつわる勝負から逃げ続けた報いとも言えるだろう。
それでも今回受験しなければ想像すらできなかった、得られなかった経験と気づきがあったことは事実であり、その点だけでも受験した意味はあったのだ。
なぜなら今までこれほどまでに勉強したいと思ったことはないだろうから。
できるならしばらくこの感情を残しておきたいけれど、多分そうしなくとも自分はどう勉強すればいいかまでわかっていると思うから、そこについては久々に心から自分を信じようと思う。
過去9年間誓いを破り続けた自分が大学進学をきっかけに変わることはなくとも、この僅かな悔しさと進むべき方向へ向かう強い意志がより良い自分の一構成要素となってくれることを心から願っている。
また残り2週間で一般入試を迎える。
受験勉強というものには確かにモチベーションが上がらないが、その先のみに大学は待つ。
何をすべきかを考え、それに従おう。
その先で合格に出会えるかはわからないが、自分の最善を尽くしたい。