日々の読書や好きなど、軽いおやつみたいな文章
小説「改良」を読み終えた。
「頭の中をへらでかき混ぜられているような感覚」という形容と出会って、語彙の光が届かないところにスッと差し出されるように感じた。
少しだけ扱えるものが増える感じは、本を読む理由の一つになっている。
微かな頭痛が最近続いている。
原因がストレスなのか、判別がつかないが薬を飲むと和らいでいく。
体調不良は最初気のせいを疑うけど、ぎりぎり気のせいかもしれないラインの痛みがずっと続く。
夏風邪だろうか。
気分を言い訳にしたくない。
そのために、好きなものに目を向ける意識を心がけている。
嫌いなものは見ても仕方ないとして、見るべきものを見ようとしているのだが、それは逃避だろうか?
今一つその選択を肯定する理由が足りない。
「謝罪論」という本を読み終えた。
それ以来「ごめんなさい」について考えている。
謝るというのは思っているより奥深く、単純な行動ではない。
恋愛相談が出来る相手に憧れている。
抱える悩みがそのジャンルに当てはまるかすらわからないが、色々思うことを開示できたらと思う。
その上で、相手が私の立場でどのようにふるまうのかを聞いてみたい。
でも悩みを開示するには、相手に興味や信頼などを抱かないといけなくて、なかなかハードルが高く思える。
私の好きな人は、大学の部活を同じにする人である。
関係については、「他人に話す必要がないよね」と合意している。
部活内では相手のことを名字で呼び、二人で会うときは下の名前で呼ぶ。
最近はそもそも部活の人たちとの関わりを控えているため、そこで話すことはあまりない。
そのせいで相手の印象は二つの場でまるで異なる。
名字と名前の二つの人格がある様にすら思えている。
また、色々なものがかき混ざったような分析できそうにない想いを抱えている。
彼女が部活や楽器のことを呟くアカウントをたまに見る。
最近は本当に楽しそうで、日々の出来事をしっかり味わっているみたい。
私は部活の楽しさがよく分からない時期なので、少し羨ましくそれを眺めている。
この間、一緒に蛍を見に行った。
話しているだけで楽しさを感じられることが、本当に救いだと思った。
↓最近よく嬉しくなる曲