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ジュスティーヌ・トリエ - 落下の解剖学(2023) Anatomie d’une Chute

あの日、あの場所で、いったい何があったのか?第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞、第81回ゴールデン・グローブ賞では作品賞(ドラマ部門)、主演女優賞(ドラマ部門/ザンドラ・ヒュラー)、脚本賞、外国語映画賞の4部門にノミネートされ、脚本賞/非英語作品賞の2冠を獲得した。法廷劇ものではあるけれど、誰が「犯人」なのかということには焦点があてられず、「犯人」と疑われた個人のセクシャリティやジェンダー、キャリアによって「物語」が形成されていく。それは「偏見」による歪められた「物語」であると同時に、歪められた「物語」から個人を救い出すためにまた歪められていく「物語」の話でもあった。

冒頭、家で若い学生からインタビューを受けるシーンに挟まれる、階段から落下してくるスヌープ(犬)のおもちゃによって、スヌープと息子ダニエルがこの映画の鍵となることを示唆しているオープニングだった。やけにテンションが高いサンドラ、と彼女に戸惑いながら話を進めようとする学生。急に鳴り出す大音量の音楽。そのことを気にしていないように装っているようにも見えるサンドラのハイなテンション。冒頭から異様さを醸し出している。その後、夫の転落死から、聴取、現場検証などをへて、サンドラが被疑者として起訴され、映画の舞台は、人里はなれた家から法廷へ。

法廷へ引きづり出された彼女の、明らかになるセクシャリティや個人間で築かれた関係性、過去の出来事。「当たり前」という世間の認識にのっとってサンドラを裁こうとする検察官がまき散らす流暢な言葉の波に圧倒される。検察側の推測が想像の範囲を越えることができないぐらい十分な証拠を持ち合わせていないときでも、その推測が「客観的事実」のように議論の俎上に挙げられ、もっともらしい動機をでっちあげることができる法の仕組みと、保守的で性差別を含む思い込みが浮き彫りになる。といいつつ、物語は、白黒をはっきりさせることをあえて避けている。ザンドラ・ヒュラー演じるサンドラに、共感できるとおもうときもあるし、まったくなにを考えているのか分からないときもある。その瞳に宿っている光が、あまりにも冷淡に感じられるときもあるし、ケンカのシーンで露わになるトキシックな男性性を内面化しているような語りに恐怖を覚える瞬間もあるし、検察側の主張に納得できるときもある。揺れ動きがすごい。その白黒つけられない揺れ動きが、そもそも人間であり、ふたりの異なる価値観をもつ人間がいっしょにいることを選択するということでもあり、パートナー間は平等でなくては、、、と口に出すときの簡素さのなかに潜む複雑さがあらわになるのは、おもしろいなと思う。

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