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【小説】愛も夢も手に入れた後(第3話)

 二人でラウンジを後にして、部屋に閉じこもった。穂乃果はパジャマに着替えて、ベッドに入った。悠也はアームチェアに座り、パソコンを開いている。穂乃果はいつしか眠ってしまった。起きたら18時を過ぎていた。
「ごめん、寝ちゃったみたい」
「いいよ、身体もまだ元通りじゃないんだし。何か食べに行くか? それともコンビニで買って来ようか?」
 悠也が優しく言ってくれたにもかかわらず、穂乃果はお腹がすいていなかった。
「私、食べたくないや…」
「なんか少しでも食べないと、身体に悪いぞ。スープでも頼むか? ルームサービスで」
「う…ん」
 正直言って、夕飯なんてどうでもよかった。1食くらい抜いたって生きていられる。自分が決めて行ったことでも、今朝自分が病院でしてきた行為が頭に浮かんでしまう。
 結局悠也はルームサービスでじゃがいもと玉ねぎのスープ、ビシソワーズを頼んでくれたが、穂乃果は少し口にしただけで全部は食べられなかった。そしてまたベッドでうとうとしはじめた。
 
 次に目が覚めたらもう夜中の2時をまわっていた。悠也もダブルベッドの隣で寝ている。穂乃果はトイレに行きたくなって、ユニットバスへと向かった。
 トイレに腰かけている時、突然涙が噴き出してきた。自分でも止められなくなり、それはやがて嗚咽へと変わった。息ができないほど、激しく泣いた。自分でも何がなんだかわからなかった。喪失感とでも言ったらいいだろうか。何を言っても違うような気がした。とにかく自分の中にたまっていた悲しみや怒り、やるせなさ、そういったものが一気にどっとあふれてきたかのようだった。
 少し落ち着いたと思い、穂乃果はベッドに戻った。しかしそこでまた涙があふれてきて、また激しく泣き始めた。自分でも抑えられなかった。穂乃果の嗚咽で目を覚ました悠也は、寝ぼけながらも穂乃果の背中をさすり、一緒にいてくれた。しかししばらくすると眠気の方が勝ったようで、そのまま崩れ落ちるようにベッドにもぐり込んだ。
 その時には、穂乃果は悠也のそんな態度にも、もう怒りを感じなかった。自分がしたことは自分で苦しんで乗り越えないといけないんだ、と思った。
 
 次の朝のことは、穂乃果はあまり記憶にない。とにかく朝、ホテルで悠也と別れて、悠也は仕事に行き、自分は家に帰った。そして自分の部屋で寝ていた。疲労と罪悪感で、その日は起き上がれなかった。
 
 穂乃果は家で寝ている時、妊娠がわかる前に悠也と行った夏祭りで、小さなキューピーの人形を買ったことを思い出した。
「確か、この引き出しに…あった!」
 なんとなく引き出しに入れっ放しにしていたけれど、闇に葬った赤ちゃんの遺影にしたいと、急に思いついた。
(この人形を私たちの赤ちゃんと思おう。ちゃんと供養もしよう)
 穂乃果は手の平に収まる、単一の乾電池の大きさほどの、小さな人形を握りしめた。
 
 術後の経過は順調だった。1週間後の診察でも問題なかったし、予定通り旅立てそうだった。考えてみれば、旅立つ3週間前に中絶手術をするなんて無謀ではあった。しかし考えた挙句、結局自分の夢を取った穂乃果には、それ以外方法はなかったのだった。
 
 旅立ちの日の前日、穂乃果は悠也と成田のホテルに1泊して、翌日、成田空港から旅立つ予定だった。両親とはその前日に、寿司屋で最後の晩餐をした。
「じゃあ、行ってくるから」
 スーツケースを持って穂乃果が家を出る時、母親はまだ心配そうな顔をしていた。父親は居間で挨拶をしたきり、玄関先には出て来なかった。
「あんた、青い目のボーイフレンドなんか連れて帰って来ないでよ」
 母親が眉間にしわを寄せながら言った。
「まさか! 私には結婚を約束した日本人の彼氏がいるの。そんなことにはならないよ」
 穂乃果が答えると、「えっ、そんな人、いたの? なんで黙ってたの⁈」と母親が嬉しそうに言った。
「いや、なんでって言われても…」
「それならママ、少し安心したわ」
「何を心配していたのよ」
 穂乃果と母親は二人で笑った。
 
 穂乃果は成田のホテルで悠也と落ち合い、最後の夜を過ごした。別に泣いたりもせず、普通に楽しくレストランで食事をして、ホテルの部屋から夜景を見て、そして中絶手術の後、初めてのセックスをした。
 恐る恐るといった感じの穂乃果とは違い、悠也は激しかった。そして妊娠した過ちの根源となった行為を、また行おうとした。コンドームなしで挿入しようとしたのだ。
「ちょっと! やめて」
 穂乃果は叫んで、悠也を両手で制した。
「出さないよ」
「出さなくても、直接入れただけで妊娠したじゃない!」
 穂乃果はこんな短期間で、また同じ過ちを犯そうとする悠也が信じられなかった。
「わかった、ごめんよ」
 悠也は優しく微笑んだが、穂乃果はつくり笑いもできない心境だった。この人、私がどんなにつらい思いをしたかわかってない、と失望した。悠也のことは変わらず愛していた。だから余計にがっかりした。留学前の最後の夜なのに、その晩、穂乃果はセックスを続ける気にはなれなかった。
 
 翌日の昼、穂乃果は成田空港からロンドンのヒースロー空港へと旅立った。悠也はクリスマス休暇にロンドンに来ると言っていたので、3か月半経てば会える。だからそんなに寂しくはなかった。
「じゃあ、クリスマスにね!」
「おう、気をつけてな。愛してる」
「私も愛してる」
 そう言って抱き合うと、軽くキスをして穂乃果はゲートをくぐった。その後のことはあまり覚えていない。本当に疲れ切っていたのだ。離陸の時にはぐっすり眠っていたくらいだった。そんな心身ともに限界な留学の始まりだった。
(第4話へつづく)


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