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言葉とともに迷う日記 2025.01.31


朝の仕事: フォークナー、モリスン、シスネロスを味わう

5時、ベッドのなかでDuolingo(英語版)でスペイン語をやってから、起き上がる。着替えて、インスタントのカフェオレを淹れる。那覇出張中なのでホテルの部屋で折り畳みの小机を開き、iPadと紙のノートを開いて、お仕事スタート。多言語エッセイ『ふつうのマルチリンガル』(草稿をハーバード・インチェン研究所のワーキングペーパーとして少しずつ公開中)の第8章「深南部 The Deep South」の準備のため、ルーティーン的な読書をこなす。『スペイン語の世界』、『これならわかるスペイン語の文法:入門から上級まで』、『スペイン語接続法 超入門』, Light in August (原書&翻訳), Beloved (原書&翻訳), 『暗闇と戯れて:白さと文学的想像力』The House on Mango Streetなど。ふだんは各本少量だけこなすようによみがちなところ、スピードを落としてゆっくり読む。この間、階下のコインランドリーでお洗濯。7時で切り上げて、メイクする。朝食前の薬を飲む。

おさんぽ: 猫に出会いたいのに猫ぜんぜんいない……

ホテル内のレストランで朝食バッフェ、じゃない、ビュッフェ。日本語、中国語、韓国語、何語かわからない言語などがとびかっている。聴覚過敏なので耳栓をしっかり入れる。山盛りサラダ(レタス、トマト、ブロッコリー、コーン、ワカメ、ベーコンビッツ。シークワーサー・ドレッシング)、アグー豚のロースト、もずくの上に海ぶどう、スクランブルエッグ、ゴーヤーチャンプルー。さいごに、ヨーグルトに大粒ブルーベリーのソースをかけて食べ、熱い緑茶を冷水で割って飲む。部屋には戻らず、ホテルの外へでて、おさんぽ。国際通りを東に向かって、たらたらと歩く。まだ8時前で出歩いている人が少なめなので、気兼ねなく歩ける。ふいに襲いかかる大音響とか、叫ぶように話す(とわたしには聞こえてしまう)人に接近されてびっくりしてしまうことを避けるため、耳栓がっちり。9時前、ホテル帰着。

心理療法: 「それ、ふつうに面白いね!」

10時、毎週受けている精神分析的心理療法、わたしのカウントでは258回目のセッションをオンラインで受ける。担当セラピストは、臨床心理士・公認心理師で『ふつうの相談』の著者。ふつうに、自由連想法。まず、前日、わたしが敬愛している沖縄の作家(故人)の子どもで、わたしの友人が、自宅に招いてくれて、こちらの「お正月」の料理をふるまってくれて楽しかったこと、でも急な予定だったし(わたしのASD特性として急な変更が苦手)、興奮しすぎて疲れちゃって、という話を。それから、多言語エッセイ本の話で、つぎの章でトラウマを扱うかどうか悶々としているという悩みをしばし吐き出す。セラピストから「で、その本、最後はどう終わるの?」ときかれ、「えーと、じつは、ここでの精神分析的心理療法の経験を書こうかと。このエッセイ、主人公が日本語を離れて、冒険して、日本語に戻ってくる物語なんです、たぶん」。ぷはっ、それふつうに面白いね! と言われて、嬉しかった。わたしのセラピストは、チューリップの妖精っぽいときがある。

おひるね: あたまぐるぐるをクールダウン

そのままホテルの部屋で、心理面接のログをブログ記事にまとめて、昼食前の薬を飲み、朝のおさんぽの帰りにセブンイレブンで買ってきたチキン胸肉とゆで卵のサラダ、オレンジジュースでお昼ご飯。あたまがぐるぐるぶんぶんしていて、目の奥がジンジンする。これは疲れのサインなので、自分を強制終了=おひるねすることにする。沖縄の紅型プリントのカーテンを引き、照明を落として、ベッドにはいる。そうはいっても、わたしは多動ちゃん(ADHDもち)なので、スマホをいじりまくる。そうしているうちにどんどん時間がすぎていくのだが、気が付かないのがわたしである。ので、アラームをセットしてある。それはおひるねから目覚めるべき時間なのだが、ぜんぜん眠れてない。アラームが鳴ってからもう一度アラームをセット。こんどは目を瞑ってじっとし、15分ほどふわふわああ、ととろけるように休むことができた。

本を読む: わたしは、誰を犠牲にしてここに在るか

12時45分ごど、iPadと紙のノートをパソコンバッグに入れて、ホテルを出発。15分ほどてくてく歩いて、沖縄県立図書館へ。サービスカウンターで、自主学習席の使用券を発行してもらう。窓際席は利用者がずらっと並び、わたし(ASD、PTSD、複雑性PTSDもある)にとってはとてもではないがいられないので、どうやら「ふつうのひと」は避けるらしい円卓席を希望する。ここ数日通っているが、円卓席はおどろくほど空いている。ひとつのテーブルを6人ほどでまあるくシェアするのだか、どのテーブルも無人かせいぜい1人しか利用者がいない。それにしても、図書館を利用するのにいちいち席を指定されるというのは、わたしにとってはかなりうっとおしいし、なんか高度に管理されているみたいで居心地がわるい。ともあれ、わたしの席のまわりには人はおらず、十分なスペースのなかで読書できるのはありがたい『アメリカ黒人女性史』と『揺れる聖域:軍事要塞化/リゾート開発に抗う人々』を読む。2時間利用し、退席。

マンゴー: ここでは、塩もチリもライムもかけない

那覇出張の最終日なので、お土産を買おうと思う。来月、3件ほど、同性の友人との食事やおでかけの約束がある。わたしはうっかりわすれがちなのだが、こういうときに友人たちはプチギフトを持ってくることが多い。デパートリウボウの楽園百貨店で、伝統菓子(くんぺん)やシークワーサー胡椒を買う。Afternoon Teaでお茶しながら、もうすこし本を読もうと思うも満席だったので、なんだか優雅な雰囲気のフルーツパーラー(琉貿果実苑)に、気の小さいネコのようにおずおずとはいると、めっちゃていねいでプロフェッショナルな接客で、あっという間に気持ちが落ち着いた。ありがたし。マンゴーショートケーキ(アイスクリーム添え)と温かいルイボスティーをいただく。テーブルにクロスがかかり、ナプキンもクロスで、カトラリーも輝いている……ということで、ここでiPadで読書ははばかれる💦、ということで、背筋をのばしたまま、もぐもぐに集中。

手話講座: 日本手話、日本語対応手話、音声日本語

今日は、人としゃべるときの日本語の濃度がめっちゃ高い。前日、日中、那覇で働いているフィリピン人の友人とセブアノ語をおもとし、わたしの東京弁な日本語、彼女がおぼえつつあるウチナーグチが飛び交う会話をしたり、夜は夜で、日本とフィリピンをつないで英語(といいつつ、タガログ語がまじる…..)でオンライン読書会(Central Banking as  State Building) をしていた。などどと思っているうちに、17時となり、18時半まで、テンダー手話教室の先生(手話通訳士&日本語教師)から手話講座をオンラインで受ける。数年前にフィリピンのろう文化に関する博士論文の副査をつとめ、少数言語としての手話を読んだことをきっかけに「手話」に触れてみたいと思って始めた。いまのところ「手話」そのものを学んでいるというより、「手話」とはいかなるものかという講義を「音声日本語」で受けている

まったり: ゆるゆる、くるくる、みるみる

手話講座の先生(日本語教師でもある)がお薦めの日本語教師養成講座について調べてみる。うーん、やってみたいなー、でも、フルタイムで働いているし、心身虚弱なので、1年とかで修了できないし、かといって通信講座をひとりでやりきれるかというとそれも向いてない。じつのところ、わたしは「勉強」が苦手だし、2年かかるとすると、それなりのまとまったお金もいる…..ということで、衝動性の強いわたしといえども、いきなりの申し込みはしないし、できない。昨日、収集してきた『沖縄の言語史』をぱらぱらとめくると、「アメリカ世」のときに米軍に従事していたフィリピン人から地元の人びとがひろった言葉のなかに「ミルミルパタイ」というものをみつける。パタイ(patay 死ぬ)はタガログ語、ミルミルは解説によると「日本語」由来らしい。

明日のチェックアウトに向けて、パッキング。それからお風呂に入り、ファミリーマートで買ったロゼワインを飲みながら、デパートリュウボウの地下で買った揚げ茄子の酸っぱいサラダとプルコギキンパを食べる。精神科の薬(抗うつ剤、漢方薬、抗精神病薬、睡眠薬)を服用しているので、お酒は飲んではいけない…….のだけれど、すみません、出張最終日で、なんか、とろけたい。観るというよりも眺めるために、Netflixにアクセス。Working Momsを数話流し、『正体』を少し流し、だんだん眠くなってきた。主の祈りを半ば日本語、半ばセブアノ語で唱える。ネコになる夢が見られますように(祈)。Unta mahimo kong iring sa sueno ko esta noche. ネコネコナルナル、ネコネコナルナル。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


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