私のセカンドライフ③〜「世間の声のプレッシャーと闘う」
絵に描いたようなワーカーホリックだった私だけれど。退職後は今の「仕事ZEROの生活」「無期限の自由時間」を心から楽しんでいる。
しかし。これが世間一般の、スタンダードな王道を歩んでいる方々には、なかなか理解してもらえない。
さすがに皆さん良識もあるので。今の私を真正面から否定するようなことはしない。けれども。それは、言葉の端々に滲み出てしまう。
オブラートに包みながらも、隙あらば軽く「毎日何しているの?」「ヒマで困らない?」「少しくらい働けば?」的なプレッシャーをかけてくる。「収入もないのに、働きもせず。何年も家でダラダラしているなんて自分には耐えられない」と思っているに違いない。そんな心の声が、隠しても隠しきれない。
そうですよね。それが世間一般の声。「正論」というやつなのでしょうね。だけど。だけれども。失礼を百も承知で言わせてもらえるならば……
大きなお世話ですっ!
そのような生活に、あなたは耐えられないかもしれないけれど。私はそうではないので。放っておいてくれないかな。お願いだから。
基本アクティブでポジティブで、いわゆる「リア充」と言われるような人生を送ってきた方々というのは。悪気なく、ついつい私のような、彼ら的価値観でいう「残念な人」に遠回しにやんわりとダメ出しをしがちなのだ。それはもう昔からずっと。
そう。彼らは、決して意地悪などではなく。「毎日をムダに過ごしている(ように見える)残念な生き方をしているかわいそうな人」を放ってはおけないだけなのだ。
困ったな。私は今の私の毎日が、ムダだとは思わないし。そもそもムダが悪いとも思わない。とにかく根本的な価値観が違うから。分かり合える日など、たぶん永遠にやってこない。
きっと、彼らだって「まだ働く気なの?」だの「そんな生活疲れない?」だの「ダラダラ暮らせないって大変だね」だの。他人から余計なアドバイスををされたら、ムッとするに違いないのだ。
ただ、そんな声は決して大きくはならないから。彼らの耳には届かない、というだけだ。
今の私は、確かにヒマ、というか。自由に使える時間が十分過ぎるほどある。そして、彼らに比べれば、圧倒的にダラダラもしていると思う。
けれども、私には、毎日することも、したいこともたくさんある。定年まで働いたのに「さらに働け!」と当然のようにプレッシャーをかけられる意味もわからない。
結局人はそれぞれだから。全ての人に私のセカンドライフ「ZEROの生活」に共感してほしいとは思わない。ただ「そんな人もいるんだね」と軽く受け流してくれたら、それでいいのに。それだけなのに。
今の私が世間の皆様から「残念な人」と思われるのは、百歩譲って仕方がないとしても。「かわいそうな人」だとは、絶対に思われたくはない。事実、今の私は、かわいそうなんかではない。
それどころか、ようやく見つけたたくさんの趣味や、いつでも会えるかわいい「推し」や、「note」という自分の想いを自由に語れる新しい居場所まで手に入れて。毎日が、私なりに充実している。働かないことで生じる様々なマイナスや不安を差し引いたとしても。申し訳ないくらい、毎日が楽しい。
だから。世間の声がどれだけプレッシャーをかけてきても。それは、いちいちとてつもなく面倒ではあるのだけれど。それでも、決して心は揺れない。