【1冊読書log】『テクノ・リバタリアン』
どうも、『Alex Lab』のAyatoです😁
今回は今後重要になる【社会思想】についての1冊です😸
実際に未来を築き続けているテック系の人達の思想は、分野関係なく知っておいた方がいいと思いますね🤔
※この記事は、リアル本、kindle、audibleからインプットした本の感想や学びの応用案などを共有しています!
※必ずしも読書の要約ではなく自分のフィルターを通して共有しています。
「テクノ・リバタリアン」
まず、
テクノ・リバタリアンとは、数学的・論理的思考を武器に、テクノロジーを駆使して個人の自由を最大限に追求し、中央集権的な組織からの解放を目指している者達のこと。
シリコンバレーのトップ達を思い浮かべると分かりやすいかも🤔
テクノ・リバタリアンが成功に結びつくのは、現代が「知識社会」であり、高い知能を持つ者が大きなアドバンテージを持つからである。
世界が豊かで平和になるにつれて、武力や既得権よりも個人の能力が公正に評価されている。
心理学者マーティン・セリグマンの「学習性無力感」の実験では、自由を奪われ、どれだけもがいても電気ショックを避けられなかった犬は、状況を改善できる期待(希望)を失い、「無力感」を学習し、電撃を回避できる状況下に置かれても回避せず、ただただストレスレベルが増えた。
一方、自力で電撃を回避できた犬は、ストレスレベルがほとんど変わらなかった。
このことから、重要なのはストレス体験を避けることではなく、それを自分の力で解決できる選択肢を持つことであると考えられた。
セリグマンの実験は、自由の効果を科学的に証明したものとして大きな影響力を持つことになる。
その後、「自由」の素晴らしさが小説や映画、コミック、ポップミュージックなどで称賛され、大衆社会に広がっていった🫠
冷戦時代、アメリカとソ連の違いは、自由な社会か自由なき(監視・統制)社会かで象徴されたりもした。
第二次世界大戦後、リベラリズム(自由主義)とデモクラシー(民主政)を合体させた政治体制(リベラルデモクラシー)が近代国家の中核となった。
現代のリベラルは、福祉と人権を重視し、平等な社会を目指す運動であり、「大きな政府」を支持する。
一方、国家が個人の私的領域に介入することを「自由への抑圧」として嫌う「小さな政府」派も存在する。彼らは、自由市場と個人の創意工夫に任せたほうが経済はうまくいくと主張している。
政治思想の混乱は、「自由」をめぐる解釈の違いから生じている。
リバタリアニズムは「ひとは自由に生きるのが素晴らしい」という原理主義的な自由主義であり、リベラリズムは「自由に加えて平等も大事だ」とする。
一方、共同体主義は「自由に加えて伝統も大事だ」と考える。
功利主義は、「最大多数の最大幸福」を追求し、結果によって正しさを判断する「帰結主義」である。これはリバタリアニズムと相性が良く、効率的な市場経済を重視する。
ジョナサン・ハイトの道徳心理学によれば、人間の道徳基盤は「安全」「公正」「忠誠」「権威」「神聖」「自由」の6つに分類される。
リバタリアンは「自由」を至上の価値とし、他の道徳基盤よりも優先する。(ここが思想の根幹をなしている重要ポイント)
テクノロジーの進化に伴い、リバタリアンたちは国家や中央集権的組織の介入を排除し、個人の自由を最大限に尊重する社会の実現を目指している。
その一例が「クリプト・アナキズム」であり、暗号技術を用いて国家の規制を回避し、匿名性とプライバシーを確保することである。彼らは、暗号技術によって中央集権的な権力から個人を解放しようと試みた。
(テクノロジーは誰でも同等レベルに扱えるわけでは無いので優生思想に寄っているとも指摘されている。※一部の支持者は自認している)
ブロックチェーン技術は、信頼をアルゴリズムによって担保し、中央集権的な組織に依存しない取引を可能にした。
これにより、国家や企業の権威による「証明」ではなく、分散型ネットワークなどの仕組みで非中央集権的に信頼性を確保することができるようになった。
しかし、自己主権を持つ社会では、個人がアイデンティティや財産を自己管理しなければならず、秘密鍵の紛失や盗難によるリスクも自己責任となる。
このような自己責任の重さから、一部のリバタリアンは、自由を守るためには効率的な監視が必要であると考えており、テクノロジーによる効率的な監視システムを導入し、社会全体の利益を最大化する「総督府功利主義」を提唱している。
それは安全と自由のバランスを取るためのツールとされている。
また、テクノ・リバタリアンの中には、トランスヒューマニズムを掲げ、人間の能力をテクノロジーで拡張し、「不死」を目指す者もいる。
彼らは、死の恐怖から逃れるために、身体を機械化したり、脳のデータをコンピュータにアップロードする技術を追求している。
コンストラクタル法則によれば、情報の流れが大きくなると、より大きな階層性が生まれ、それが個人の自由を拡張するという逆説がある。
これはテクノロジーの加速によって情報量が増えると、巨大な階層的組織が生まれ、それが情報の効率的な流通を可能にするということを示す。
この観点から、中央集権的な組織と個人の自由は相反するものではなく、むしろ相互に支え合う関係にあると言える。
日本では、終身雇用や年功序列といった伝統的な労働慣行が根強く、リバタリアニズムや功利主義が受け入れられにくい土壌がある。
故に、能力の格差を明らかにする成果主義や合理化が嫌われる傾向があると言われている☹️
「自由」を恐れ、「合理性」を憎む社会では、テクノ・リバタリアニズムが理解されにくいが、現に
この思想の影響力は増している。
ただし、その実現には安全の確保や個人の責任負担といった課題があり、また巨大な階層的組織との共存という逆説も存在する。
テクノ・リバタリアニズムは、テクノロジーと結びつきながら、これらの矛盾や課題を乗り越え、新しい社会の構築を目指している。
今回の読書は、
自分の思想もかなり近い事もあって、楽しみながら読めました♪
ただし、この思想の中でも主義主張が人によって違うので、全てを肯定するのではなく自分の考えを持って、今後の未来について準備していくのがいいのではないかと思います😄
こんな感じの記事を定期的に投稿していますので、
学びになれば、ぜひいいね(❤️)やフォローもよろしくお願いします🙇
最後まで読んで頂きありがとうございました♪
ではまた!
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