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『100%正しい』がないことをアラサーになって知った

つい先日、Xを見ていたらけんすうさんの投稿がバズっていた。

詳しくは原文を読んでほしいが、さらっと状況を理解したい人のために要約をすると下記のようになる。

質問者の状況と悩み
・役員と対立し降格、退職に追い込まれた。
・忖度せず発言する性格で、過去には成果も出した。
・信念を曲げられず反論した選択が正しかったか悩んでいる。
けんすうさんの回答
・質問者は「自分は正しい」という意識が強い。
・正論だけでは組織は動かない、周囲の状況や感情も考慮すべき。
・自己認識と現実がずれている可能性があり、言動を客観的に見直す必要がある。

この質問を読んだとき、正直ドキッとした。

というのも、質問者さんの「忖度せず、ズバズバ言ってしまう」という点について、思い当たる節がありすぎるのだ。

相手の意見を受け入れることの大切さを知った今の僕は、けんすうさんの言っていることを理解できる。(詳しくは下記記事でも書いている)

でも、新卒時代の僕はもっと鼻息が荒くて、仕事をするうえで感じる不合理さに食ってかかっていた。

「どうして成約したことを取り消されたのに、それを飲むんですか!」
「どうしてこんな効率の悪いやり方で仕事をするんですか!」

言い方は少し違うかもしれないけれど、こんなふうに言葉にしていた。
そして忖度せずに意見を伝える自分にどこか誇らしさもあった。

社会とは、半沢直樹のような黒を白にするような世界なんだと思っていたのかもしれない。でも実際のところ、半沢直樹に出てくるような悪役は社会にほとんど存在しない。

社会人を続けて見えてきたのは、人の数だけ存在する正しさだ。

・上司に従うことに正しさを感じる人
・売上を達成することに正しさを感じる人
・お客さんの要望に応えることに正しさを感じる人

それぞれの正しさがぶつかったとき、何が起こるのか?

相手のことを「間違っている」と感じてしまうのだ。

正論をぶつけていると思っても、相手にとってはただの押し付け。
会社全体や相手の状況など、物事の全体像が見えていないと正しさを判断することなんてできない。
いや、そもそも「正しさを判断する」という考え方自体が間違っていのかもしれない。

新卒時代の僕は、自分が見えているものが世界の全てだった。
だから、そこに少しでも違和感があったら、迷うことなく主張した。

それは世の中で「若さ」と呼ばれるものかもしれない。

成約していたものが相手の事情で取り消されたとき、上司がそれを飲む姿を見て、こんな大人になりたくないと思った。
でもきっとあのときの僕はそんな大人に”なれて”いなかったのだ。

100%の正しさが存在しないことを知ったのは、つい最近のこと。
アラサーになってからだ。

僕はようやく少し大人になれたのかもしれない。

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