人の二面性に絶望するか、美しいと思うか。
6月12日。
1560年、桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち破った日。
1872年、品川ー横浜(現桜木町)間日本初の鉄道が仮営業を開始した日。
1942年、アンネフランクが13歳の誕生日プレゼントとして日記帳をもらい、『アンネの日記』を書き始めた日。
1990年、ソ連が崩壊した日。
誕生花はライラック。
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『アンネの日記』は中学生くらいのころ読んで、衝撃を受けたことを覚えている(辛くて最後まで読めなかった)。
天真爛漫な女の子とその家族の静かで幸福な生活が、理不尽な迫害によってジワジワと奪われていく。
歴史的事件としてのホロコーストではなく、一人の女の子の目線で、「リアルな体験」としてその実情を知ると、本当に同じ人間どうしでこんなことをしていたのだな、とやるせない気持ちになる。
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人の心の二面性、などというものを今更新しい発見のように言うつもりはないけれど、やっぱり愛と憎しみ(あるいは冷酷さ)というものを同時に心に抱ける人間って空恐ろしいなと思う。
それで思い出したのだが、小学生くらいの頃、アメリカの開拓時代に暮らす一家をテーマにした『小さな家』シリーズってのをよく読んでいて。
とくに食べ物の描写がすごく秀逸だったことを覚えてる。
ソーセージを作るシーンとか、冬に雪の上にシロップを垂らしてキャンデーを作るシーンとか、子供心に想像してお腹が空いていく感覚を抱いていた。
そんな、自然の中で工夫して暮らしていく幸せな家族の姿をほっこりしながら読んでいたのだけれど、作中のどこかでひとつだけ、怖いなと思うシーンがあった。
細かい描写は覚えてないのだけど、たしかネイティブアメリカンが家にやってきて食べ物を要求してくる場面のあとで、一家のお母さんが口にしたセリフで、
「死んだインディアンだけが良いインディアンよ。」
みたいな言葉があったのだ。
それまで家族思いの暖かな心をもつお母さんと思って読んでいただけに、その二面性に驚いた記憶がある。
もちろん、先住民と開拓民が衝突しあっていた当時の社会情勢を考えると、お母さんの嫌悪感とか不安とかも当然なのだろうなと思うのだが、だからこそ、差別とか偏見というのは根深いものだなと感じた。
だって、こんないい人でも途端に差別主義者になってしまうんだもの。
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人間には二面性がある。
善の部分だけの人は存在しないし、逆に言えば完全な悪ってのも存在しない。
月並みだけど、善悪ってのはその場の状況や文脈によって相対的に変わっていくものだ。
でも、だからといって相対主義に逃げ込むのではなく、自分が主張してることや、目の前で起きていることが本当に正しいことなのか、常に問いかける必要があると思う。
さらに突っ込めば、そうやって人間の「解決できないと思える矛盾」に対して果敢に立ち向かって、自分なりに答えを出して前に進もうとしている人は、なにか真に迫る美しさがある。
今の世の中は、人間の二面性がどういう未来を招くか、選択を迫られているときだと思う。
叶うなら、その未来は絶望している未来ではなく、美しいと思える未来であってほしいと思う。