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自己実現に夢中になりすぎて、無駄を楽しめなくなっていた
何者かになりたいと思っている人へ。
好きなことで生きていきたいと思っている人へ。
ビジネス系YouTubeやビジネス書、自己研鑽が好きな人へ。
きっとあなたは努力家なはずだ。
平日のスキマ時間を使ってインプットをしている。
そして休日のまとまった時間で副業をしているだろうから。
そしてきっとあなたは休むのが苦手なはずだ。
なぜなら毎日努力をすることで自分を肯定しているから。
「今日も周りの人と違って努力をした。自分は口先だけじゃない」と努力をした日には思える。
でもできなかった日は、ものすごく自分を責めてしまう。
「結局自分も周りの人と同じじゃないか」と思ってしまう。そして自己嫌悪に陥る。
だから休むのが苦手なはずだ。
なぜここまであなたのことを理解できるのか。
それは僕がまさにあなただからだ。
自己実現のための努力が好きで、ビジネス書やYouTubeで何かしらインプットをして、休みの日も友達と遊ぶことなく副業に打ち込んで。
そうやって自分を肯定してきた。どこかで「俺って偉いな」と思ってきた。
でも、それは違うんだと最近わかった。
僕は努力をすることで楽をしていた。
それに気づかせてくれた本が『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』である。
この本を読んだ理由はベストセラーである以外に、意味があると思える本以外読めなくなってきていることがある。
大学生のころの僕は小説やエッセイ、ビジネス書など幅広く読書をすることができた。
でも社会人になった今、「この本は生活に役立つのか」を軸に選書をするようになってしまい、昔ほど小説やエッセイは読めなくなってしまったのだ。
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あの頃みたいに、もっと幅広く読書を楽しめるようになりたい。
そんな思いで購入した本書は、自分が小説やエッセイを読めなくなった理由を知るだけではなく、無駄を楽しめなくなった自分の生活を見直すきっかけ
にもなった。
「行動量を増やそう。自責思考で生きよう。」は現代の呪いかもしれない
自己実現のための努力をいとわないあなた(僕)の好きな言葉を当てよう。
・変えられるのは自分の行動だけ
・自責思考が人を成長させる
・行動量を増やせば成功に近づく
たくさんのビジネス本やYouTubeでインプットしてきたことを凝縮したような言葉だ。
上記の言葉たちには、「自分がコントロールできることをコントロールして、人生を好転させよう」という想いを感じる。
つまりお客さんの機嫌とか、会社の業績とか、自分がコントロールできないことは初めから相手にしない。
自分ができることをやる。そういう行動重視の世の中を新自由主義と呼ぶらしい。
新自由主義的社会とは、国家の福祉・公共サービスが縮小され、規制緩和されるとともに、市場原理が重要視される社会のことである。このような社会においては、資本主義論理ーつまりは市場の原理こそが最も重要だとされ、国家の規制は緩和されるため、企業間の競争は激しくなる。
同時に、個人の誰もが市場で競争する選手だとみなされるような状態であるため、自己決定・自己責任が重視される。たとえば、近所だから助け合う、同じ会社だから連帯して組合をつくるなどの共同体論理よりも、現代では組織や地域に縛られず自分のやりたいようにやること、自分の責任で自分の行動を決めることのなどの個人主義が重視されている。これも新自由主義的思想だと言えるだろう。
僕はこの文章を読んだときハッとした。
自由は素晴らしい。
でも、資本主義の上で成り立つ自由は、自分で自分の面倒を見なくちゃいけないんだ。
僕が今まで影響を受けてきた言葉の数々は、全て新自由主義のうえに成り立つものだったのだ。
この事実を知ったいま、じゃあ今すぐ資本主義の競争から降りて、「もっと他責思考で生きよう」とのんびりできるだろうか。
できない。できるはずがない。
なぜなら行動量を増やす人が富み、自責思考で動ける人が世の中から評価される社会は変わらないから。
日本政府に、会社に、おんぶにだっこで生活ができる時代は終わりを迎えつつあるから。
だからこそ、僕は新自由主義から生まれた行動量増やそう文化、自責思考文化は解けることのない呪いのように感じた。
自己啓発書やビジネス系YouTubeは自己コントロールに重きを置いている
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』では、自己啓発書の特徴について下記のように述べている。
自己啓発書の特徴は、自己のコントローラブルな行動の変革を促すことにある。つまり他人や社会といったアンコントローラブルなものは捨て置き、自分の行動というコントローラブルなものの変革に注力することによって、自分の人生を変革する。
そう、自己啓発書もまた、新自由主義によって生まれたものなのだ。
言われてみれば、僕が好きな本は全て自分のコントロールできる範囲について書かれていることが多い。
一時期頻繁に視聴していたYouTubeのマコなり社長のチャンネルだってそうだ。
本書では、『自己啓発書はノイズを除去する。小説などの本は先が読めないノイズを提示するもの』と記載されていた。
つまり、
・ある程度展開が予想できるものはノイズが除去されたもの
・展開が予想できないものはノイズがあるもの
と解釈することができる。
ノイズとは「意味があるかどうかわからないもの」と言えるだろう。
行動が重視される時代に、意味があるかどうか開けてみなければわからないものに割ける時間は限りなく少なくなっている人がほとんどかもしれない。
僕もそうだ。
一心に行動するのは楽なのかもしれない
行動量を増やすのが求められる時代って大変じゃない?
自己実現のために努力し続けるのって疲れない?
そう思われるかもしれないが、これが案外そうでもないのが困る。
冒頭でも伝えたように、努力を積み重ねるのは自分を褒めることができるし、やり切った感も生まれるし、案外悪くないのだ。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』でもそのように記載がされていた。
全身全霊のコミットメントは、何も考えなくていいから、楽だ。達成感も得やすいし、「頑張った」という疲労すら称賛されやすい。頑張りすぎるのは少しかっこいいし、複雑なことを考えなくていいという点で楽だ。
無駄を愛する勇気を持とう
競争をしなければいけない社会で、行動量を増やさなければいけない時代で、僕は自分なりに走ってきたと思う。
でも、20代後半にさしかかったとき、こう思った。
このレースはいつまで続くんだろう。
他人からどう認められたら、自分で何を認めたら、ゴールとみなして良いんだろうか。
本書を読んだ今ならわかる。
きっとレースはいつまでも続く。自分で道草を許す勇気を持たない限り。
そう、ノイズのあるものを楽しむには勇気が必要なのだ。
最初は土日の少しでも良いかもしれない。
大学生のころみたいに小説のストーリーを楽しもう。エッセイで心に触れよう。
ちょっと前から気になっていたドラクエ3をやってみよう。マザーをプレイしてみよう。
予測できないノイズをちょっとずつでも愛してみよう。