自律的思考の重要性とその促進方法

根幹となる思考様式を基盤とした理論や理解の一例と、思考様式を深め育むための枠組みの提示

自律を目指すための思考様式を洗練し、それに基づく理論や理解の一例を示すことは、個々人の自由な探求を促進し得る。思考様式はその人自身の内的な理解を深め、他者に依存しない判断力を養うための基礎を提供する。この枠組みを用い、自分に合った方法に刷新し適応していくことで、各個人は自らの状況や価値観に応じた行動を自由に選択することが可能になる。

一般に、特定の思想や指針を示し、それを前面に出すアプローチは、個々の状況に応じた適応力を妨げる傾向がある。対し、自律的な思考様式を重視するアプローチは解決策を提示するのではなく、根本的な考え方を示すことで各個人が独自の道を見つける手助けをする。これにより、個人は状況に応じた柔軟な判断が可能となり、自己決定力を強化する。

このアプローチは、考えることより学ぶことを重視してきた人々に対して即効性のある解決策を提供するものではない。しかし、長期的に見れば、個人の成長や理解を促進し、自律的な行動を取るための基盤を形成する点で有効と言える。個々人の状況に基づいた選択を尊重し、他者がその選択に過度に干渉しないことが、このアプローチの成功にとっては重要となる。


意思決定プロセスにおける影響要因と前提:自由な選択とその限界

自由な選択という概念には限界がある。実際には、何を信仰するか(人は何らかの形で信仰せざるを得ない)何に心を動かされるか、どの価値を選好するかといった意思決定は、しばしば自らの意志を超えた要因に影響される。選ぶ自由があるように見えても、その選択の背後には、自分が意図的に選べない文化的・社会的・心理的な要素が存在する。

「自由の行為とは広い意味での「愛」に他ならない。強制された信仰は強いられた愛と同じくらいグロテスクで不条理なものであると言えよう。それは人格に対する最大の侮辱に他ならない」(稲垣 良典)

これはそうした強制が個人の尊厳や自律性を侵害するものであることと、自発的な選択と内的な理解の重要性を示している。この視点から見ると、自律的な思考と愛を育むことは、真に自由な選択を可能にするための道であり、強制や無意識の影響からの解放を目指す重要なプロセスである。


愛、理解、尊重の循環

愛からの理解は尊重となり、尊重はさらに理解を深め、それが調和に繋がる。調和は支え合いの関係を育み、最終的には自然全体としての機能に近づき、神への合一への道となる。神との調和は、ἀγάπη(愛)なしには成し得ない。この愛を取り持つのは精霊の働きであり、実践を伴わなければ愛は育まれず、「善」に向けた意思も本質とはなり得ない。

ἀγάπη は、スピノザ的な神=自然の理解を通じて現れる conatus(自己保存の ἔφεσις(衝動))として捉えることができる。スピノザの視点では、自然の中で私たちは自己を存続させようとする力を持つが、他者や全体と調和しようとする ἔφεσις もまた、自然理解の conatus から生じるものであり、自己保存に繋がる。

この視点では ἀγάπη は単なる無条件の愛や自己を超えた行動を促すものとしてだけでなく、自然や他者との調和を通じ自己保存を強化する ἔφεσις ともなる。conatus による ἔφεσιςは、自己保存を超えて自然や他者との深い一体感を求め、これが自己と他者を結びつける力として働く。


自由な選択と内的理解の関係

Πάσας δε τας ορμάς συγκαταθέσεις είναι, τάς δε πρακτικές και το κινητικών περιέχειν. "Ηδη δέ άλλων μέν εί ναι συγκαταθέσεις, επ' άλλο δε ορμάς και συγκαταθέσεις μεν αξιώμασι τισιν, Ξυ ορμάς δε επί κατηγορήματα, τα περιεχόμενα πως εν τοις αξιώμασιν, οίς συγκαταθέσεις 承認は衝動の必要条件(SVF ⅲ 171)

ストア派の思想では単なる感覚的衝動だけでなく、理性的な συγκατάθεσις(承認)を通じて、その衝動が実際の行動へと変わることが強調され、衝動的な反応であったとしても、その背景には何らかの形で「承認」が働いていると捉えることができる。

φανερὸν δὴ ὅτι δύο εἴδη εὐτυχίας, ἣ μὲν θεία (διὸ καὶ δοκεῖ ὁ εὐτυχὴς διὰ θεὸν κατορθοῦν) <ἣ δὲ φύσει>. […] καὶ ἣ μὲν συνεχὴς εὐτυχία μᾶλλον, αὕτη δὲ οὐ συνεχής 永続的幸運―λόγος による衝動(Arist. Eth. Eud. 1248b. 2-7)

元の文脈では εὐτυχία(幸運)は「神によるもの」と「自然によるもの」という2つの形で提示されるが、スピノザ的な自然観では、神=自然として解釈でき、神による幸運も「自然の法則を理解し、それに従うことで得られる幸運」として捉えることが可能。λόγος による衝動や行動が幸運を引き寄せる。

φασὶ γὰρ ἄριστον μὲν εἶναι πάντων αὐτὸ τὸ ἀγαθόν, αὐτὸ δʼ εἶναι τὸ ἀγαθὸν ᾧ ὑπάρχει τό τε πρώτῳ εἶναι τῶν ἀγαθῶν καὶ τὸ αἰτίῳ τῇ παρουσίᾳ τοῖς ἄλλοις τοῦ ἀγαθὰ εἶναι 最高善―徳性による選好 (Arist. Eth. Eud. 1217b)

この文脈で言う「善」は、すべての善の根源的な存在であり、その存在が他の善を成立させるという考え方を示す。この見方はスピノザの自然理解における conatus、すなわち自己保存の意志としての衝動とも関連する。最も基本的な善が存在することによって、他の善が成立するという理解は、自然との調和を求める根源的な衝動としての conatus の概念と一致する。

自由な選択には自己理解や他者との調和が不可欠であり、それが「承認」や「愛」という形で現れる。最も基本的な「善」が存在することによって、他の善が成立する。


実践と調和への道

つまり、愛を持って行動し、実践を通じて理解を深めることが最終的に「善」の意思と一体となり、自然や神との調和を生む道となる。このプロセスを通じ、愛が自己保存の衝動として機能し、他者との調和を深め、自然全体の調和と秩序に寄与する。愛、理解、尊重、調和という循環は、個々人が自律的な判断を下し、自由な選択をするための基盤となり、神=自然との合一に近づける道となる。


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