ひんやりとした空気に金木犀の香りが漂う。次男が自死したのは去年の12月10日、あとひと月余りでその日がやってくる。 去年の今頃、次男とどんな話をしただろう。去年の今頃、私は次男に何をしてあげたらよかったのだろう。鉛を飲み込んだような重苦しさがよみがえってくる。 先日友達がまたお参りに来てくれた。東京にいた頃の、私の知らない友達だ。以前来てくれた子とも付き合いのある飲み友達のひとりだそうだ。東京にたくさん友達がいたことに驚くとともに、寂しがり屋の次男のそばにいてくれたこと
8月。初盆のお参りの日、止まっていた私の腕時計が半年ぶりに動いた。亡くなった次男が来てくれた合図。正しい時刻を示すわけではない。数時間だけ動いて、またすぐに止まった。 それ以来、割と頻繁に動いている。針が動いているところを見たわけではない。ふと時計を見ると時計の針が進んでいるのだ。そしてそれは、どうしてその日次男が来たのかその理由がすぐわかる、というタイミングの時に限られている。 9月は、長男の将来がかかった大切な大切な日に動いていた。 10月になってからは、癌を
次男の魂がまた遠くなった。 亡くなってからしばらくして、いつも耳鳴りがするようになるなど、魂が近くにいる感じがしていたが、お盆すぎから近くにいる感じがしなくなった。 どうしていなくなったんだろう…もういなくなってしまうんだろうか?と寂しさと空虚感に狼狽しつつ残暑の日々を過ごした。 ところが9月になるとまた、耳鳴りがし始めた。さらに「電話」もあって、「ああ、また戻ってきてくれた!」と嬉しくなった。ずっと近くにいてね、これからも一緒に過ごそうね、と心の中で話しかけたりし
昨日、亡くなった次男から私の携帯電話に電話がかかってきた!出ることはできなかったけれど、見知らぬ番号から着信があったのだ。コールバックしたら、「現在使われておりません…」の音声…??? これは… 次男くん⁈ 電話もできるの?? と嬉しくなった。 お盆が過ぎてからしばらくの間、次男が近くにいないな…という時期があった。なんとなく、遠くなった…という感じ。耳鳴りもしなくなった。 毎日次男を思っているのは変わらないのに、それまでは、次男を思えば、次男もそこにいる、という感じ
次男の初盆。お坊さまに自宅に来ていただき、家族親類集まって法要をした。 次男は親戚の集まりが好きだった。特別仲が良いいとこがいるというわけでもない、お小遣いをくれる叔父さんがいるわけでもない。けれど、「こういう親戚の集まりって、なんかいいよね。大事だよね、こういうの。」と言って、お客さんにお茶を出したり、食器を片付けたり、甲斐甲斐しくお手伝いをしてくれた。だから今日は絶対、次男もここにいるはず、次男の初盆にみんなが来てくれているこの場所に、彼が来ないはずない、とは思ってい
死んだ人の魂が近くにいるサインは、いろいろあるらしい。私も次男が亡くなってからそのほとんどを経験している。 そのひとつは「耳鳴り」だ。 耳鳴りがずっとしている。閉めきった部屋の窓から、家の近くの公園の蝉の鳴き声が断続的に聞こえてくる…というような音だ。蝉よりは少し高い音だけれど。意識すれば「蝉が鳴いてる」とわかるけれど、テレビを観ているときには気にならない、みたいな感じで、ずっと続いている。 次男が亡くなってしばらくしたころ「魂がそばにいると耳鳴りがするっていうけど
家で介護している義母が、明け方にトイレに行こうとして転んで救急搬送となった。最近食欲もなくて足取りも覚束ない。起き上がって歩き出そうとしたけど力が入らなかったらしい。 毎日介護をしていれば、こういうことも想定内なので、焦ることなく救急車を呼び病院に直行した。病院に到着すれば、あとは、処置を待つばかり。 ピンチの時の判断の速さも、段取りも、私、最近格段にスキルが上がってる気がする、などと病院の待合室でぼーっと過ごしながら考えていたら、ふっと右前方に人の気配がした。その後も、
ニュースを見ていると、毎日たくさんの人が命を落としている。災害や事件に巻き込まれて亡くなる方、戦争で亡くなる方、自死も後をたたない。遺体が見つからないようなケースや、死後、遺族の方が裁判で長く辛い時間に耐えなければならないケースもある…。 次男が亡くなってから、「人が死ぬということ」に通常とは違う感じ方をするようになった。亡くなった方をいたましく思うと同時に、さまざまな「死に方」に対して「この死に方なら、次男の死に方のほうがまだよかった」などと考えてしまう。 次男の死は
次男が亡くなった後、不思議な現象がたくさんあった。 亡くなった後だけではない。思い返せば、亡くなる直前からそんな出来事が続いていた。そのときは「不思議な現象」とは思わずに、「すごい偶然!」と嬉しくなり、ただ無邪気に喜んでいただけだったけれど。 次男の死の前であれ後であれ、その時期に起こった不思議な出来事は、私の心を癒し励まし、前を向かせてくれた。次男の魂は私を守ってくれていると確信しているのは、これらの体験があったからだ。 その中で、最近まで約半年間続いていたことを書
友人から、高校生の娘の愚痴を聞くことがある。 娘が言うことを聞かない。勉強でも何でも適当に手を抜いて努力しない。嫌なことから逃げるような子になってほしくないのに。云々… 娘は口ごたえも激しく、母娘で罵りあいも珍しくないそうだ。もちろん彼女は娘のことが可愛くないわけではないのだけれど。 親は、子どもは自分より長生きする前提で、子どもの将来を心配するのが普通だ。そして、将来困らないように、苦労しないように…とつい口うるさくなるものだ。 しかし、私は知ってしまった。命
エンジェルナンバーが気になっている。以前はそんな言葉すら知らなかったのだけれど、次男が亡くなってから「スピリチュアル」「亡くなった人と話す方法」などというワードで検索することが増え、「エンジェルナンバー」を知った。 車通勤の私は、毎日運転中に多くの車のナンバーを見る。 先日は職場への行きと帰りで「8008」を4台見かけた。 ここ数日は「8888」を毎日見る。 昨日は、帰り道で「今日は見なかったな」と思っていたのに、家に着く直前に、夫から頼まれていた買い物を思い出し
次男の用事をするときは、いつも天気がいい。今日も爽やかな快晴。時おり吹く風が心地よい。 雲ひとつない青空に映える鈍色の瓦屋根。屋根の上の宝珠が太陽の光を柔らかく反射している。本堂を外から眺めるだけで、思わず手を合わせたくなるような荘厳なお寺だ。広々とした境内は、芝生の広場のようになっていて、空の青さと新緑のとりあわせが、何とも清々しい。 このお寺の墓地に新しくお墓を建てることができた。今日は次男の納骨の日だ。 実は以前から我が家には「お墓問題」があった。10年以上前に
読書は好きなのだけれど、次男が亡くなったあと私はしばらく本を読むことができなくなっていた。文字からの情報を得るためにはそれなりの集中を要する。その間、次男のことを考えない時間ができてしまうことが耐えられなかった。新聞を読むのは、特にダメだった。どんな事件も、次男の死に比べたらどうでもよいことのように思え、そのどうでもよいことのために、次男をたとえ一瞬であっても脇に置くということは、許しがたいことだった。 そんな状態は3ヶ月ほど続いただろうか。ちょうど卒哭忌を過ぎたころ、ふ
悪い変化が起きた時は、対応(how)を考える 良い変化が起きた時は、その理由(why)を考える 信田さよ子 ずいぶん前に、朝日新聞の「折々のことば」に紹介されていた言葉だ。 昨年12月に、次男の自死というこれ以上ないほどの「悪い変化」があって、それ以来、どうしてこんなことが起こったのだろう…と、その「理由」ばかりを考えてきた。どうにかして納得できる理由を見つけたくて、自分の中でさまざまな「物語」を紡いでもきた。彼は生まれる前から自分の
次男は自死で亡くなった。ギターが好きで、歌が上手くて、話も面白くて、友達も多かった。でも、不器用で生きるのが下手な子だった。特に些細なことで落ち込みやすい性格で、(それはあの子の性格で、だからこそあの子はとても優しい子だったから、それを否定的にとらえるのは、違うと思っているのだけれど)、その日もとても落ち込んでいた。ちゃんと会って話そうね、と約束していたけれど、果たすことはできなかった。 亡くなって5か月、あの子の死に対して、私の中で納得できる理由づけをするために、私は「
亡くなった次男の夢を、3回続けてみた。 次男の夢だけど、次男は出てこない。 1回目の夢は、「次男と何かを一緒にしている夢」甘えん坊の次男とは、小さい頃から、工作や料理など、一緒にやることが多かった。彼は不器用だったので、何かと失敗も多く、私はいつも次男から目を離せない。「大丈夫かな?」「お、意外とやるじゃん」「あ、でもそれは…」「いや口出ししない方がいい。言いたいけど我慢…」大きくなってからも、私とは思考パターンが違う彼のやることは、側で見ていてハラハラすることばかりだっ