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初盆だね。おかえり。

 次男の初盆。お坊さまに自宅に来ていただき、家族親類集まって法要をした。
 次男は親戚の集まりが好きだった。特別仲が良いいとこがいるというわけでもない、お小遣いをくれる叔父さんがいるわけでもない。けれど、「こういう親戚の集まりって、なんかいいよね。大事だよね、こういうの。」と言って、お客さんにお茶を出したり、食器を片付けたり、甲斐甲斐しくお手伝いをしてくれた。だから今日は絶対、次男もここにいるはず、次男の初盆にみんなが来てくれているこの場所に、彼が来ないはずない、とは思っていた。 
 だけど、目に見える形で「来たよ」と伝えてくれるとは思っていなかったので、驚いた、と同時に、とてもとても嬉しかった。
 彼が来た合図、それは私の腕時計に、そっと刻まれた。
 半年間止まったままだった時計。私が仕事に行く時には欠かさず身につけていた腕時計。
 それが、その日、動いていた。「ただいま」の合図だと、私にはわかった。

 その時計が止まったのは、彼が亡くなってからだ。何年も使っていて一度も狂ったことがなかったのに、ある日突然狂い始めて…。その次の日が、彼が自死した日だった。
 その時は、当然時計のことなど思い至らず、何とか通夜、葬儀を済ませたものの、事態を受け入れられないまま、日にちだけが過ぎて行った。
 数日たってようやく時計のことを思い出し、ふと手に取って見ると、時計の針は警察の方から言われた彼の死亡推定時刻を指していた。その時初めて、次男の意思を感じた。
 それからしばらく、やはり狂いっぱなしだったのだが、ひと月ほど仕事を休んで仕事に復帰した日は、なぜか朝から正常に動いていて、少し迷ったけれど身につけていくことにした。時計は、仕事が終わるまで正確に時を刻んでいた。「今日からは普通の生活に戻ってね」と次男から言われたように感じた。次の日からはまた狂い始めたけれど。
 その後もとりあえずは動いていた。それが四十九日を過ぎたころから動かなくなった。一度か二度、気まぐれに動いたこともあって、何となく次男のメッセージをその時計から感じたこともあったけれど、その後はずっと止まっていた。「成仏した」ってことなのかな、なんて思っていた。

 初盆のお参りで、親戚が集まったその日、もしかして…と見てみたら、
 時計が、
…動いていた。
 おかえり。来てくれてありがとうね、と心の中でつぶやいた。
 その日もよい一日だった。

 
 

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