「いじめ後遺症」と聞いて

こんばんは。
先日ネットニュース番組でいじめ後遺症の事が取り上げられていました。
私の姉も、現在進行形でいじめ後遺症に悩まされているひとり。とても他人事ではなく、色々な考えが浮かんできました。考えすぎて生活に支障が出る前に、ここに吐き出そうと思います。


まず、いじめというのは加害者側はほとんど罪の意識が無い、もはや覚えていないなんて事も多くあります。
そりゃそう。だって自分は辛くなかったんだから。当たり前にやっていたんだから。

人間は辛いとか楽しいとか、感情が大きく揺れた出来事ほど鮮明に記憶に残りやすいと思う。だから、わざと楽しんでいじめをしていた加害者の記憶は、遊んでやっていた等の捏造が入ります。
何となく空気で、みんなに合わせていじめに加担していた人は、恐らく何の印象も残ってなくて覚えてすらいないでしょう。

唯一、罪悪感と共に記憶に残るのは、いじめに加担しないと自分も被害者になるから、という理由でいじめに参加していた人だと思います。
スクールカーストが確かに存在する以上、これは防ぎようが無いなと思う反面、教師の対応や学校のシステムで防ぐ道なら模索出来そうだよなぁとも思う。。

私達が子供の頃は、もしかしたら今もあるのかもしれないけれど、いじめに加担する教師もいた。
業務が多すぎて手が回らないのも事実だと思う。でも、知ってるけどめんどくさいから放置、というのは加担していると言っても過言じゃない。

システムで解決するのはこういう所。
まずは教師の負担を減らす。余裕がなければ他人に手を差し伸べられない。進んで加担してる教師は論外だけど、本当に忙しすぎて気が付かない人だって中にはいると思うので。
せめて担任の先生には、自クラスの人間関係を把握できるくらいの余裕を作るべきだろう。。

教師がきちんと取り締まりできるようになれば発覚するいじめは増える。
もちろん狡猾で、バレないように掻い潜っていじめを行う加害者もいると思う。でも、監視役として機能するだけでもかなりやりにくくなるんじゃないかな。

あとはいじめって言葉じゃなくてもっと残虐な表現にした方がいい。なんだかかわいくまとまってて、絶対的悪に聞こえない。
普通に暴力だってあるし、パワハラセクハラモラハラみたいな、大人になって組織でやったら大変な事になる所業が平気で含まれているのに、年齢によって名称が変わるのはおかしい。

学校が社会に出るための勉強をする場所だと言うなら、それこそこれからの社会でより必要とされる、それぞれの人権を尊重することについての授業を組み込むべきだろう。


姉は小学校低学年の頃からクラスの女子全員に無視されていたらしい。
私達が育ったのは田舎の狭い地区で、全校生徒が100人程度の小学校だ。だから、1クラスも20人に満たないし、その中でいじめを受けるというのは、ほとんど孤立している状態になる。

女子全員に無視されているから、当然何かを聞いたり話したりするのは男子、つまり異性になる。でも、そうすると女子達の反感を買って更にいじめが加速する。理不尽すぎる。
悪口を聞こえるように言われたりするから、それが嫌だから、誰にも話しかけないようになる。
ちなみに、姉の担任だった先生達は助けてくれず、むしろ加担するようなゴミ教師だった。

我が家の場合は両親も敵だったので、姉は本当にしんどい思いをしたと思う。私は妹で、姉より幼かったからきっと相談出来なかったんだろう。

人格が形成される時期の、いじめなどの理不尽極まりない対人関係の問題は、大人になった時にかなり大きな悪影響がある。

幼い頃にたくさんの人と関わり、たくさんの失敗をして、失敗から学んで人間は成長していく。対人関係に関しても同じだと思っていて、幼くて失敗するのが当たり前なのに、それすらできない。試行錯誤の機会さえ与えてもらえない。
本来、たくさん失敗して学ぶべき時期に、それができなかったらどうなる?
当然、社会で必要とされるスキルは身につかない。「常識が無い人」のレッテルを貼られて、社会に馴染めなくなる。

思考の癖というか、そういうものが悪い方面で付くんじゃないかなと個人的には考えてる。
自分を無下にしすぎたり、逆に過剰に守ったり。私の姉は守るタイプで、その場にそぐわないような言動や行動を悪気なく普通にやってしまう。自分がストレスだと思う事象からひたすら逃げようとする感じ。

場の空気が白けたりも日常茶飯事で、家族内ならまだ良いが、これを全くの他人で構成された組織でやってしまったら、また孤立してしまうだろうなと思う。

今は家族内でも、姉は「空気の読めない人」という認識をされている。(誰のせいだと😠)家族や親戚の集まりがあると、そういう誤解されそうな場面が結構あって、私や姉の旦那さんがひたすらフォローに回っている。
姉の旦那さんは、姉のそういう特性を理解した上で一緒に居てくれる。私としても、自分自身がバリ健康!という訳ではないので、1人でフォローするのに限界を感じていたからものすごく助かってます。。

私の学年でもやっぱりいじめはあった。というか、全く無いなんて事の方が信じられない。
誰でもどこにでも存在するし加害者側にも被害者側にもなりうる。だって子供の頃は失敗するものだから。
失敗して、加害者になってしまうかもしれない。誰かの失敗に巻き込まれて、被害者になるかもしれない。
本当は、お互い様の関係のはず。

傷付き傷付けられて、成長していく。良い悪いの区別を、どちらの立場にも立つことで身につけていく。
問題なのは、どちらかに偏って社会生活に支障が出るくらいまで追い詰められる人がいる、追い詰める人がいるということだと思う。

私の学年でのいじめに戻るが、私のクラスにはいわゆるボスがいた。女子だが男子のような心持ちで、私の学年で行われたいじめは、ほとんどがこのボスが主導していた。
最初は小学1年生のとき、「日によって特定の人を無視する」というものだった。
当然、私もターゲットにされた事がある。
でも私は幸運なことに、ターゲットだったにも関わらず話しかけてくれた子がいた。ボスと地区が違ったため、下校中はボスの監視が無かったというのもあるかもしれない。
私はそれでかなり救われたのを今でも鮮明に覚えている。
無視をするいじめは徐々に減って、2年生になった頃、ボスは担任の先生をいじめの標的にした。
教室のドアを開けたら黒板消しが落ちてくるような、そういう嫌がらせ。
この時は、私は直接的に関わっていないものの、止めようと動いていた訳ではない。クラスのみんなそうだった。だから、無言の加担をしていたと言われても否定はできない。

先生いじめが落ち着いてきた頃、ボスは合わない同級生と日々喧嘩を繰り返していた。また、異性と話すと「男好き」のレッテルを貼られるようになり、私も含めほとんどの女子は男子と関わることをしなくなった。

色々ないじめを乗り越えて、クラス内には徐々に特定のグループが出来ていた。勉強に熱心な真面目4人組、ボスが所属するカースト上位6人組、私と私を助けてくれた子の2人組だ。
そのうち、カースト上位6人組から定期的に特定の2人がハブられるいじめが始まった。これは、3年生くらいから卒業までずっと続いたと思う。

私は助けて貰ったことがあり、それがものすごく嬉しかった。だから、私はハブられた子をほとぼりが冷めるまで自分のグループに誘うようにした。期間は、1週間程度から、長い時は数ヶ月くらいだったと思う。



私が5年生になった頃、私は姉が小学校でずっとハブられていた事を知った。そして、同じ学校にいる時に気が付けなかったことをものすごく後悔し、同時に自分がクラス内で選んだ立ち位置は正しかったと確信しした。

私の学年は1番人数が多くて、女子の比率がやや多く、グループも3つできるくらい。ひとつのグループからハブられても、他が受け入れれば良いだけ。
それに対して姉のクラスは女子は5人だけ。グループなんてできる隙もない。
姉には逃げ場が無かった。匿ってくれる、別の同性グループが無かったのだ。

グループがひとつだから、ターゲットも当然変わらない。庇ったら、次は自分がやられてしまう。
高校卒業のタイミングと、成人したタイミングにそれぞれ謝りに来た同級生が居たらしい。彼女達はきっと、「加担しないと自分がやられる」という思いでいじめをしていたんだろう。
姉の事を思うとやるせないが、彼女たちの気持ちも理解できてしまう。私も、先生いじめの時には無言の加担をしてしまっていたから。。

主犯格の2人からは何も無いらしい。そもそも、覚えてすらいないのかも。冒頭で書いた通りだ。
覚えているのは実際に辛い思いをした被害者と、自衛のために罪悪感を抱えながら加担していた人だけ。進んで行っていた、本来1番反省するべき主犯格が何食わぬ顔で過ごしているのが現状なんですよ。

やっぱり普通に罰するべき。程度はもちろんある。傷付き傷付けっていう過程は、確かに成長するために必要だからその辺は見極めが必要なんだけど、行き過ぎた加害には法で裁けるシステムを作った方がいいと思う。

そもそも、切磋琢磨の傷付け合いなら、少なくともクラス内に誰も味方が居ないなんて状況にはならない。全員から蔑まれるとか、いじめ以外の状況ではほぼありえないと思うから。
学校行きたくないとか、そういうSOSを見逃さないできちんと向き合う。サボりたくて言ってる!と決めつけないで、きちんと話を聞いてあげてほしい。
👆
当時の私の両親、聞いてるか??って感じ😡


ニュースで体験談をお話されてた親子は、お母さんがちゃんと味方のようで安心できました。
そうじゃない家庭もたくさんあるので。。

まずは親は子供に寄り添って欲しいなって思う。頼れる人がひとりでも確定してるだけで救われることもある。まずは一緒に生活している親だけは味方になって欲しいものですよね。

加害者側の親には、きちんと事実関係を調べてほしい。そのうえで、きちんと叱ってほしい。自分の子供が可愛いのは分かる。でも、やられて嫌なことを他所様にならしていいのか?自分の子供だけ無事なら、それでいいの?

明日は我が身っていうよ。小学校ではカースト上位で虐げる側に居たとしても、進学で環境が変わって、今度は虐げられる側になるかもしれない。
その時、胸を張って「うちの子がいじめを受けているんです!」って訴えられますかね。かつては加害者側だったのに、被害者になった途端に助けを求めるのおかしくないかなって。
当事者の子供もそうよ?そこで気が付いて、かつていじめてた被害者に謝れるかもしれないけどさ。心を入れ替えて、償う事を決意するきっかけになるかもしれないけどさ。
そうじゃなくて、自分の事を棚にあげて、自分が辛い時だけ助けて!って言っても、世の中そんなに甘くない。


私は、自分がされて嫌なことは絶対に他人にしないように心がけてます。でも、これは人それぞれ感覚が違うものでもあるので、傷付けてしまう時もある。逆ももちろんあると思う。
もう大人なので、そういう場合はお互い、感覚の違う人だからなるべく関わらないようにしようって避けることが出来ます。間違っても、気に食わないからって攻撃はしませんよね。

子供のうちは避けることが難しくて、でもだからこそお互いに失敗し合って学べるんだと思う。合わない人と過ごさないといけないのは確かにしんどい経験だけど、合わないからって攻撃しない、必要な時は会話できて、それ以外は適度な距離を保ってお互い静かに過ごす練習だと思えば、すごく貴重な勉強期間だと思います。

いじめというのは、これを放棄する。合わないから攻撃する。ハブる。合わないのに敢えて関わりに行って相手を侵害する、ものすごい不毛な行為ですよね。
侵害された方も迷惑でしかない。合わないなら、避けられもしないんだから、なるべく関わらないようしたいのに、わざわざ突っかかってくる。好き放題文句を言われる。理不尽です本当に。


私自身は、いじめというよりも家庭環境で病みましたので、学校生活は普通に送れました。おかげで、一応最低限組織に属せる知識が身についていると思います。
むしろ、家庭という組織の調整をせざるを得ない立場だったので、同級生と関わる方が遥かに楽だと感じていましたね。

今でも職場の人間関係の方が、家族との関わりよりも楽です。他人同士のコミュニケーションになるから、一応お互いに配慮しあった形になる。
でも家族だと、私は配慮してるのに相手は配慮しないので、時々グサッときます。。


長くなってきたのでまとめると、
いじめは、配慮し合うという訓練を放棄する行為です。
もっと厳しく罰するべき。行き過ぎた加害に対して。見て見ぬふりしたり、加担したりする教師にも。
やられた方は一生消えない傷。やった方は覚えてすらいない。罪の意識が無い場合が多い。
人格形成の大切な時期である学生時代に人格否定をされ続けると、社会に適応できなくなる。

結論、私はいじめ後遺症は確実に存在すると思う!本人の努力が足りないとか言う人は、実際に当事者になったことない。周りに実際に苦しんでいる人がいない、ケアしたことがない。
努力だけじゃどうにもならない事が確かにある。

裁判で、きちんと認められるといいなと思います。姉の他にも、今回ニュースで見た方以外にも苦しんでる方たくさんいると思うから。

めちゃくちゃ長くなった、でもスッキリしました。。
これでおしまいにします。
ここまで見てくださった方いましたら、ありがとうございました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)




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