追悼ミラン・クンデラ
「Kitsch」「Es muss sein」「Einmal ist Keinmal」
先日ミラン・クンデラがパリで亡くなりました。
「存在の耐えられない軽さ」は原作はチェコ語でしたが、その中でミラン・クンデラがキーワードとしてドイツ語のまま記した言葉がこの三つ。
この本を教えてくれたのは当時サンディエゴ大学教授だったチェコ人ソバック先生。学生時代の春休みに私の母の故郷ミュンヘンで出会いました。
その夜はコンサートホール、ガスタイクでベルディのレクイエムがありました。
通常のチケットは高いので、劇場の前でBitte Karte(チケット求む)という紙を持って立っていたら、行けなくなった方から半額ぐらいで譲ってもらいました。その方は2枚売りたかったようでしたが、私は1枚だけ買いました。
4人のソリストとオーケストラと合唱の掛けあいのレクイエムはオペラのようで迫力があました。それ以上に衝撃的だったのは、私のチケットの片割れで隣に座ったソバック先生。私のことに興味を持ったらしく休憩時間に話かけてくださいました。クンデラのようにソ連の侵攻から逃れるためにプラハから脱出して、デンマーク、それからアメリカに渡った方でした。
終わったあと、誘われて食事に行きました。夜のOdeon広場からLudwig通りはまるでジョルジュ・デ・キリコのような陰影が幻想的な街並み。レストランはその一角にありました。
食事しながら先生が様々な謎かけや誘導尋問をしてきます。春休みの予定を聞かれ、この後にはパリで語学学校に行くと言いました。先生もこの後バーゼルからパリに行くのだとか。
「明日はミュンヘンの南にドライブに行くから一緒においで」
無謀と言われるかもしれませんが、ご一緒することにしました。若いということはそういうことです。
翌日先生のホテルに向かうと車が停めてあり、「読んでご覧よ」と渡されたのがフランス語の本。
L'Insoutenable Légèreté de l'être
これがフランス語訳が出たばかりの「存在の耐えられない軽さ」だったのです。
車は雪を頂いたアルプスに向かってアウトバーンを走り、それからまだ緑が薄い春先の丘を幾つも越えていきました。ついたのは小さな教会、Wieskirche ウイーズ教会でした。外は簡素ですが中は金箔と大理石で作られたクネクネしたロココ調の彫刻で溢れていて宮殿のようです。病気を治してくださいと書かれた贈り物を捧げる祭壇もありました。絵馬みたいなものです。今は世界遺産となっています。
「この教会は真剣なの巡礼のために栄えてこのようなロココ調になったのです」
その後車は南東を目指しました。着いたのがノイシュバンシュタイン城。ルードヴィッヒ二世が建て、ディズニーランドの城のモデルになったあの城です。
「Kitschキッチュという言葉を知っていますか?」先生は私に聞きました。当時の私には初めての言葉でした。
「ウイーズ教会は、巡礼達の様々な思いの旅の結果です。それに比べるとこちらは一人の狂った王様が自分だけのために建てた城。しかも、いろんなお城のデザインがバラバラにくっついているまがい物。コピーや類似によってできた様々なまがい物のことをドイツ語でKitschと言います。この城はルードヴィッヒ二世の執念がこもっています。そしてディズニーランドのコピーの城はKitschですね」
「存在の耐えられない軽さ」の中でKitschは俗悪なものの代表として使われます。表面的で俗悪とでも言いましょうか。現代では生成AIに描かせた画像みたいなものです。
当時はネットもない時代ですから、先生のパリのホテルの名前をうかがって別れました。
数日後パリで先生のホテルにメッセージを残したら下宿先に電話がかかってきました。
「読んでいますか?」
「読み始めましたが、難しくて」
「ちゃんと読んでおいで、また食事に行きましょう」
「存在の耐えられない軽さ」は主人公のチェコ人医師トマシュがあまりに軽い恋人で浮気者、テレザはその軽さに耐えられないというのが表面上の意味なのですが、重さと軽さはどちらがいいの?というのをニーチェやパルメニデスなどを引き合いに出したエッセイの部分、そして小説のストーリーが繰り返す不思議な小説でした。
なんせ初めて読むフランス語の本、簡単に読めるわけがありません。
その日はコンコルド広場からできたばかりのルーブルのピラミッドを眺めながら、セーヌ川沿いのレストラン、ラペルーズまで歩きました。
そこにはMichelleさんという女性が来ていました。当時建設中だったオペラ・バスチーユの支配人となる方でした。今思えばソバック先生のパリのガールフレンド。もし小説の主人公トマシュが亡命先のジュネーブからプラハに戻らなければソバック先生のようになっていたのでしょうか、勝手な想像をしてしまいます。
このフランス語訳も出たばかりでしたから二人は本の話で盛り上がっていました。
「ベートーベンの16番の弦楽四重奏曲は好き?」
「両親ともクラシックのファンだから聞いたことはあると思いますが、どれが16番かは分かりません」
「Es muss seinはこのベートーベンのこの曲の冒頭ですよ」
多分もう話にはついていけてなかったのでしょう。そもそもこのラペルーズというレストラン。3人のテーブルの後ろには一人にひとりづつ給仕が立ち構えていました。ゾラ、モーパッサン、ボードレール、プルーストが通った店です。気後れしていました。
クンデラの父はピアニストで、ヤナーチェク音楽院で教えておりクンデラ自身も音楽教育を受けた人でした。弦楽四重奏曲16番は、借金の取り立てが言う「返さなければならない(Es muss sein)」という言葉を3音からなる低音の重い主題から始まります。それが軽いメロディーに変奏され “繰り返し“ていくうちに芸術として昇華しています。クンデラはそのことを小説のエッセー部分で書いていたのでした。
「Einmal ist Keinmal、ここの部分は読見ましたね」
「一度起きたことは起きたことにはならない、という意味ですよね」
「それはどういうことかわかる?」
当時は理解していなかったと思います。
今思えば人にとって時の流れの速さはとても速い。今朝一回限り起きたこと、はすぐさま忘れ去られていき、そして忘却のかなたに沈んむ。その中で繰り返したことだけが体験として残ります。自転車のレースだって、アルゼンチンタンゴだって、一回やったぐらいでは体験にすらなりません。
しかも大事なのは同じことをそのまま繰り返すことではありません。今こうやって文章でその体験を書き残すことも、くり返しのバリエーションです。体験を誰かに話すことさえ、EinmalをVielmal(繰り返し)に変えていく。それが体験、すなわち生きることになリます。
私の体験としてのミラン・クンデラ。それをKitschにならないように“繰り返し“てあるべき姿(Es muss sein)に変奏してみました。重くもあり、かつ軽くもあるミランクンデラのレクイエムとなったでしょうか。