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新しく「物語る」こと -村上春樹、山下澄人、テイラー・スウィフト-

なんとなく村上春樹の短編集『一人称単数』を買ってしまった。

「買ってしまった」と書くのはネガティブなニュアンスが含まれているように思えるが、決してネガティブな意味ではない。ただ、村上春樹の熱心な読者ではなく、しかも『一人称単数』がいつ出たのかも知らなかった自分が、書店に並んでいた豊田徹也の装画を見て、手に取り、レジへと持って行った、という過程は「買ってしまった」と表現するほかないだろう。

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で、『一人称単数』の話である。

ここに収められた短編は驚くべきほどに構造が似通っている。壮年の物書きの男性が、過去を回想する形式で綴られる。そこで思い起こされるのは、記憶の底に埋もれていながらも、やけに明確に覚えている「小さな事件」である。その多くが夢か現かわからない、おそらく彼にしか見えていない風景だ。主人公はそんな出来事を思い出しては、あれはなんだったのかと困惑を続けている。

大体の短編は、こんなあらすじで説明できる。

高校時代のガールフレンドの兄との不思議な1時間、大学時代に書いた架空のライナーノーツと全く同じレコードを見つけしまった話、人語を操る猿との対話、など、そこで描かれる「事件」は違えど話の構造は同じだ。

この「同じような短編」を連続して読んでいくうちに気がつくのは、村上自身の「物語るための構造」はすべてここに集約されていることだ。

主人公が何かしらの「事件」に出会い、世界のあり方や見え方が変容していくというのは村上春樹の小説の導入によくあるプロットである。

『風の歌を聴け』や『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』も、出会う「事件」の大小は異なれど、一貫して同じ構造である。

しかし、彼は本作においてその語り口の導入に「振り返る」タームを入れることで、別の語りへと変容させようとしている。

それは、主人公をすべて村上春樹自身を想起させるように作られていることからも感じられるし、「美」の価値観をジャズやクラシック、野球、詩、短歌、女性を用いて語ろうとしていることからも読み解く。

とくに『謝肉祭』は気持ち悪くなるほどに、女性の美醜について語っていて辟易とするが、これは意図的に「美」の価値観を開陳したものであろう。

それが古めかしく、上滑りしてしてしまっていると言えばそれまでだが、70歳を目前にした村上春樹は、新しい「語り」を模索しているのかもしれない。

そういえば、『一人称単数』の一ヶ月前に発刊された、山下澄人の『月の客」は小説の「物語り方」を全く変えてしまう作品であった。

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句点は一切用いられず、すべての文章が一つのつながりのように記され、しかも、映し出される対象は移り変わっていく。

基本的には、犬とともに生きる少年「ケン」の身の回りで起こっていく出来事を淡々と記すだけの物語であるが、ケンの周囲の人々の人生も同時に語られる。その出来事の描写は、「〇〇をした。」、「〇〇だ。」というように平易な言葉で語られ、それゆえに、残酷なほど克明に風景が想起される。

しかも語られる出来事の時間軸は、ところどころ、ズレが生じている。まるで本当に思考が巡らされているかのように、物語は一直線には進まない。しかしながら、句点で区切られないことによって、一つの思考の「流れ」のように進んでいく。

また、文体の起伏もこの小説の特徴だ。ある一節は詩のようであり、またある一節は戯曲のト書きのようであり、散文の形で記されているものもある。まるで小説が小説でなくなくなる限界に挑んだ文体は、まったく新しい「物語り方」にふさわしいものであった。

作者の山下澄人は、最初から最後まで書いてはボツにすることを三回繰り返し『月の客』を書き上げたという。だからこそ、思考の回路を一つ一つ辿るような語り口にたどり着いたのであろう。新しい語りは、ある種の制限から生まれてくる。

テイラー・スウィフトのニューアルバム『folklore』もロックダウン期間という制限から、新しい語り口を見出したアルバムだ。

14歳の頃からカントリーシンガーとして、アコギを手に持ち自らの恋を語る少女は、瞬く間にポップスターになった。彼女と恋人になった男性はすべて歌の題材になる。

ポップスターになった彼女はアコギを置いて、新たな語り口を模索した。『1989』(2014)では、80'sの打ち込みサウンドへのオマージュを捧げ、スターになった彼女へ向けられる好奇の目を鮮やかに笑い飛ばした。かと思えば、『Reputation』(2017)では現行のR&B、ヒップホップサウンドを用い、自らを『ゲーム・オブ・スローンズ』に登場する私欲にまみれた女王サーセイに例えながら、ダーティなイメージをあえて受け入れた。


テイラーは、自らを語るためのサウンドを模索しながら、徹底的に自分についてリリックで表現することに徹したシンガー・ソングライターであった。

しかし、ロックダウン期間中部屋に篭り続けていた彼女は、自らの頭の中で物語を考え始めた。それは、自身のことだけでなく、家族やアメリカの物語にまで広まった。テイラーは再び、アコギと声だけでベーストラックを作り、The NationalやBon Iverのジャスティン・バーノンらとともに、ハーモニーやビート、ストリングスを加えた。しかしあくまでも歌とギター、そして語られる言葉が中心となり、それ以外の物はその三つを支える物でしかない。このカントリーとインディ・ミュージックの接近は、ただの原点回帰でも、他ジャンルへの転向でもない、新しい語り口になった。

もしかしたら、不可逆な外圧によって変容していく世界に必要なのは、あるいは生み出せるものがあるとすれば、それは「新しい語り口」なのかもしれない。

そんなことを、このアルバムを聴きながら『一人称単数』を読んだ時にふと、思ったのであった。

(ボブ)

【注釈】
『月の客』の主人公の名前は「トシ」です。
言い逃れのない完全なる「間違い」なのですが、山下澄人さんから直接引用リツイートでご指摘をいただき、以下のようなコメント頂いたため、初出のまま残させていただきます。




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