11月28日 阿久悠氏の執念に学ぶ事
11月28日ですね。
土曜日にお客様の新事務所の視察にお招きされ、神田界隈を歩きました。
その帰り、せっかくなので明治大学博物館を訪問しました。ここの刑事博物館には前から来てみたかったのです。
この博物館の隣に阿久悠記念館が設けられていました。せっかくなので訪れました。
私にとって阿久悠氏はあまり縁のある方ではありません。氏が作詞家として関わった膨大な曲(5000以上)の中で、私がCDで持っている曲は多分10曲ぐらいしかないような気がします。
氏の小説は読んだことがなければ、氏が関わった「スター誕生」もほとんど見た記憶がありません。
唯一、覚えているのは「瀬戸内少年野球団」です。これは父と映画館に観に行った記憶があります。
これほどまでに私と縁のなかった阿久悠氏ですが、1970年代のわが国の芸能界を語る上で欠かせない方である事は知っていました。ここ二十年、秋元康さんや小室哲哉さんが芸能界を席巻したような感じを想像すればよいでしょうか。
記念館にはさまざまな阿久悠氏の残した語録が掲示されていました。そして、印象に残るものが結構ありました。
それはこの世の中で生きていくための全ての人に役立ちそうです。ですが、作詞家としての視点から書かれており、直接には響かないかもしれません。
一つだけ書いておくとすれば、氏がデジタルに頼らなかったことです。
1970年代に最盛期を送った氏の仕事にデジタルの色がないのは当然です。ですが、アナログにこだわった氏の仕事からはデジタルやアナログに関係なく、学ぶべき点が多いと感じました。
まず、仕事に手抜きがありません。原稿すら書き損じの訂正をゆるがせにせず、きれいな形で編集者や歌手に渡したようです。そして、原稿のトップには手書きで一つ一つタイトルロゴを作成し、タイトルと表紙をきちんと用意していたようです。
そうした氏の仕事ぶりは、私にデジタルに頼ることへの反省をせまりました。
私たちは修正が簡単にできるデジタルの便利さに慣れています。
氏は原稿の中に一つでも誤字があれば、原稿を丸々一枚反故にして、一から書き直したことでしょう。
それが今やデジタルではdeleteキーを押し、正しい文字を入力すれば修正が完了します。
ところが、私たちはそんなデジタルのデータでさえも、スペル間違いをそのままにし、バグの原因を作ってしまっています。
私も最近、あまりの連絡量の多さに誤字のまま送ってしまう失敗をやらかしています。真剣に自戒を迫られています。
氏は時代の寵児であり、その能力は私たちよりも数段秀でていたことは確かでしょう。が、それを差し引いてもデジタルをきちんと使いこなせば、阿久悠氏の情報処理量に近い仕事ができるはずなのです。
より、正確さと速さを追究し、デジタルの便利さとアナログのぬくもりを活用しながら、仕事に向き合わねば。
まだまだ私には工夫がたりない、と自省しました。
ありがとうございます。 弊社としても皆様のお役に立てるよう、今後も活動を行っていこうと思います。