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それって誰の常識?

本や映画、これまでに自分が触れた作品が、どこかで繋がることってありませんか?
そんなん普通でしょ!とツッコまれそうですが、純粋に作品を楽しんでしまう私は、この作品と作品がリンクするということに、とても時間がかかります。なので、触れた作品が自分の中で発酵するのに時間がかかり、学びや感動が遅れてやってきます。ある意味2度美味しい?

今回は大好きなイラストレーターであり、絵本作家のヨシタケシンスケさんが書いた『思わず考えちゃう』を読んでいて、ハッ!としたことです。

とても気に入って、大好きになっちゃって、よごれるのがイヤで、一度も使えなかった、そんなものたち。

大事すぎると身近にいられないというか、一緒にいられないみたいなところがありませんか。

この問いかけで、とある映画を思い出しました。『ホーム・アローンⅡ』です。懐かしい〜。マコーレー・カルキンのかわいいこと!

ヨシタケさんが文章と一緒に添えていた絵が、靴ということもあり、主人公ケビンがニューヨークで出会ったホームレスの女性との会話を思い出しました。
家族もいたが傷つきホームレスになったことを語る女性に、ケビンがプレゼントで貰ったスケートシューズの話をします。嬉しくて汚したくなくてしまいこんでしまったスケートシューズ。翌年には自分が大きくなって、一度も履けなかった。スケートシューズと同じで、心も使わないともったいない。使いたい時に使えなくなっちゃう。という、心温まるやりとりです。

当時、初めてこの映画を観たのは、私が小学生のとき。確かに使わないともったいない。共感して大切にしているものも積極的に使うようになりました。当時の私は純粋無垢ですね。

ただふと大人になった今、ヨシタケさんの問いかけで再びこの会話を回想してみると、疑問が浮かびます。スケートシューズは日常的によく使うもの、遊び道具であって、心とは違うのでは。お守りみたいなものは宝箱に入れるのではないか。そうして時々、年に一回くらい取り出して愛でるのではないか。ヨシタケさんも「すごく自分の影響を受けた本ってめったに読まなくて、ずーっと本棚に入ってるじゃないですか。」と言ってます。たしかに。

このホーム・アローンのケビンが言う「使わないともったいない」はプレゼントをした大人(親)目線のことであって、もらった本人はそう思っているのかしら?これって大人のエゴじゃない?と疑問に思ったのです。ケビン、本当にがっかりしたん?がっかりしたのは、ケビンの親なのでは?

子供の頃に観た映画や本は、そのまま受け止めてしまいます。でも、こうして大人になって、もう一度同じ作品に触れると、別の感じ方や視点が生まれます。特に今こそ、子供だったことを忘れてしまい、その状態で子育てしている身なので、尚のこと、自分が当たり前と感じている常識を、いい意味で疑っていたいですね。

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