俳優ノート『真田広之さん』
米国テレビ界のアカデミー賞といわれるエミー賞で、最多記録となる18部門を受賞した『SHOGUN 将軍』。この作品に主演し、プロデューサーも務めた真田広之さんが絶賛されていますので、これまで見てきた作品を振り返りたいと思います。
「下沢広之」名義での子役時代は記憶にはないものの、千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入団し、現在の芸名になってからはよく覚えています。
当初は師匠でもある千葉さん主演作品によく出ていた印象。いわゆるバーター出演ですかね。『柳生一族の陰謀』(1978年)、『戦国自衛隊』(1979年)、『魔界転生』(1981年)とこの辺りは見ていました。千葉さんのところの次世代アクションスターの卵なのだろうと。
いわゆるイケメンでしたので、アイドル的な人気もあり、角川映画によく起用されていましたね。『伊賀忍法帖』(1982年)、『里見八犬伝』(1983年)、『麻雀放浪記』(1984年)とか。
その後も主演作が続きますが、アクションスターの枠から脱却して、コメディー作品にも結構出てたんじゃないですかね。『病院へ行こう』(1990年)や『僕らはみんな生きている』(1993年)など。どちらも監督が滝田洋二郎さんで、脚本が一色伸幸さん。
ドラマですと、大河ドラマ『太平記』(1991年)に足利尊氏役で主演。これまでのドラマの代表作と言えるのが『高校教師』(1993年)。賛否を呼ぶ野島伸司さんの脚本、森田童子さんの主題歌「ぼくたちの失敗」、そしてヒロイン役の桜井幸子さんの輝き。今も記憶に残る名作。
その後、ハリウッド映画『ラスト・サムライ』(2003年)では、トム・クルーズさんと共演。これがきっかけになって、海外進出を目指すようになったようですね。この時、子役を演じたのが池松壮亮さん。放送中の『海のはじまり』を見ればわかるように、日本屈指の演技派俳優へと成長しました。
私生活としては、自分が十代の頃から大ファンだった手塚里美さんと、1990年に結婚(涙)。色々あって、1997年に離婚。ネットニュースによれば、その後も良好な関係を保っているそうです。
余談:一世を風靡したチェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」は、実はアイドル時代の真田さんへの提供曲として書かれたものだそうです。真田さんサイドから却下され、それがチェッカーズにまわってきたと。意外過ぎるエピソードでした。チェッカーズ公式も今日知りました。