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第31回 大婆女の墓に苦悩する日々

こんにちは。阿久根のミステリーハンター、チャーリーこと濱田です。
最近肩書きが増えてきて(←自分のせい)自己紹介がややこしいことになっております。

さて、昨年から続けているこの「阿久根フシギ発見」🕵️
たのかんさぁ探しをきっかけに阿久根七不思議やあちこちにある史跡、神社などを巡り紹介し、おかげさまで30回まで続けてきました。
そして31回目のテーマ「大婆女(うばじょ)の墓」を調べ始めたのが2ヶ月前。
ここから私はミステリーの闇へと迷い込んでしまいました。

「大婆女の墓」というのは阿久根市鶴川内の田代地区にある史跡で、やや分かりづらい場所に阿久根市教育委員会の案内板とその近くに墓石らしいものが建っています。

斜め後ろから(2024年5月に撮影)
正面から
真横から

田代を訪れ「大婆女の墓」の撮影をして事務所に戻り、記事を書くため資料を改めて確認したら、

「あれ?なんか撮影したものと資料に載ってるもの違くない?」

「阿久根の文化財」に掲載されている写真
正面から撮影したものと似てはいる…?


不安になり市の生涯学習課に確認してみるもはっきりとした回答は得られず。
別日にもう一度田代を訪れ、地域の方に「大婆女の墓は案内板のそばにある石で合っているんでしょうか」と尋ねました。
田代小学校100周年記念誌にこの地区の詳しいことが載っているからお貸ししますよ、と親切にご対応くださり、拝借した記念誌を開いて「さぁ、正解は⁉︎」と意気込む私。

「・・・」

「どっちでもない・・・」

なんと3択目が出てきてしまったのです。

「田代小学校百周年記念誌」に掲載されている写真


もうお手上げの濱田。

どちらの資料も昭和57年に作られたものなんですが、これはどういうことでしょう。
今の墓石も当時の状態のまま残っているとは思っていないけれども、どの写真を見比べても整合性を感じられない。

「これはどうしたらいいのか…」

私はこの大婆女の墓によってフシギ発見の筆を進めることができなくなってしまったのです。←大げさ
切り替えて他の題材行きなさいよ、と思う方もいるでしょう。
そうですよね、そうなんですけどね。
うだうだ悩んでいるうちに時間は流れ、フシギ発見更新できてないなぁと気にかかりながらも頭の片隅に大婆女を追いやる日々…そして気づけば7月。

いやいや、これじゃいかん!ちゃんと向き合わないと!
いや、でも真相は掴めていない、どうしよう…

そうだ!こうなったらこの現状を発信してみよう(ピコーン💡)
そう決意し、筆(正確にはipad)を取った私。
そして冒頭に続くわけですね☝️


この記事を配信することで「もしかしたら情報を得られるかもしれない」なんて企みもありつつ、「いつも完璧じゃなくてもいいかも」と自分を甘やかすことにした濱田をお許しください🙏←この絵文字にわずかながら軽薄さを感じるのは私だけ?

さて、移住して2年目となると1年目とはまた全く違う景色が見えてきます。
以前は町の情報がフラットで、人々のこと、暮らしのこと、出会うものがいつも新鮮で刺激的でした。

今は土地勘がつき、道も覚え、この辺りにはあの人が住んでいる、あそこにはあれが売っている…、頭の中の阿久根マップにどんどん情報が埋め込まれて立体化していきます。
そこにはもちろん阿久根フシギ発見もたくさん含まれていて、私の脳内に蓄積された阿久根情報をこれからは地図に描き出してみたいと思いました。

今まで妄想だけはしていたのですがこの場を借りて、

「阿久根フシギ発見地図作ります宣言」をしておきます!

宣言しないとズルズルと作り出せなそうなので。今年度中には必ず!
きっちり綺麗な地図よりも、宝探しのような遊び心のある地図を作れたらいいな。
完成する日を楽しみにしていてください😊


昨年度より業務内容も増え、やりがいだらけの毎日でフシギ発見の更新頻度はしばらくスローになりそうですがこちらも気長に待っていただけたらと思います。


そして大婆女の墓に詳しい方いましたら濱田までご一報ください😂

阿久根市地域おこし協力隊  濱田 舞
お問い合わせ:まちの灯台阿久根 0996-72-3646

☝️大婆女の墓の詳細地図はこちら
納骨堂を見て左の山に入ったあたりに案内板があります。わかりづらいです汗

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