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アメリカの分断から見えてくる人類の普遍的価値が存在しない裏付けとユートピア

今アメリカをはじめとして欧州、アジアや中東などあらゆる国地域で分断が起きている。
その分断の内容とは重にリベラリズム(反権威主義)とパターナリズム(権威主義)である。

何故こんな事が起きてるのか、僕はずっと考えている。
そして最近思ったことがある。

今リベラルの人々は現在の状況を「民主主義の危機」とか「民主主義の敗北」と言ったりする。
しかし僕は逆に民主主義が進んだ結果、「潜在的に分断してたものが表面化した」のだと思う。

昔、第二次大戦を終わらせたのは西欧諸国とアメリカだった。その時はナチスドイツや大日本帝國、ローマ帝国復権を目指してたイタリアからなる三国の権威主義国家との戦いだった。
そして戦争に勝った西欧、アメリカは
「ほらやっぱり自由、平等、平和は善だろ?」
としてこのリベラリズムの拡張を人類普遍の目指すべき価値観と決めた。
その人類普遍の価値観である自由、平等、平和という理念は戦後数十年全世界で(一部を除き)共有され、急速にその流れは拡大し人類は調和への道をゆくものだと誰もが思っていた。
しかしそこに事件が起きた。9.11だ。
イスラム原理主義における前代未聞のテロリズムがアメリカを襲った。
アメリカは自由と民主主義への挑戦として原理主義集団のアルカイダを保護するイラクに報復戦争を仕掛け、あっという間に勝利した。しかしそこで露呈したのはリベラリズムの不完全性だった。
誰も彼もが西欧、アメリカのリベラリズムを理想としていない、好んでいないという事態がまずそこで露呈してしまった。
当然アメリカは「いやいや自由、平等、平和は人類普遍の理想で、それに反対する人達は無知な人達であり悪ですよ」というスタンスを強く押し出していた。
そこから時は流れやがてイラク戦争の悲劇から生まれた更に過激なイスラム原理主義、「イスラム国」が国家樹立を宣言し、西欧とアメリカのリベラル世界に挑戦をしかけた。
同時に中東での民主化と反民主化との衝突、特に地獄と化していたシリア内戦の情報で世界中が中東情勢の脅威に怯える中、ケリをつけたのはロシアだった。
ロシアはリベラル的な価値観とは逆のパターナルな国である。
ソ連時代から西欧、アメリカと永い間対立してきたが、この辺でロシア、更に同じく権威主義の中国が世界的な影響力を高め、同時にシリア内戦とイスラム国問題で泥沼化しロシアに出し抜かれたアメリカは世界の警察という絶対的権威を失墜させてしまった。
つまりリベラルな国々が弱くなったのだ。

この辺の話が2001〜2012年あたりの大体10年ほどのスパンで急速に弱体化していったリベラルの物語である。
しかし僕は一つ気付いたことがある。
実は戦後からずっと人々の中には本音はリベラルに反対だけどそれを言うと周りにナチス扱いされるからリベラルの顔をしてる「隠れパターナリズムの人々」が確実にいたのではないか。そしてその人達の押し殺してたパターナリズムの不満や本音がこの10年ほどの様々な脅威と失望で我慢できなくなり爆発したのがここ数年のトランプを触媒としたアメリカであり、それに続く西欧の右傾化なのではないかと。
更に、人間とはどんな環境や経験をしても必ず優しさ(リベラリズム)を優先するか強さ(パターナリズム)を優先するか遺伝子レベルで分断されている異種共存の動物なのではないかという事に気付いた気がしたのだ。

つまり戦後ずっと人類共通の価値観は自由平等平和だと信じてた人々がここへきて世界の分断を目撃し混乱しているのは、ナチス・ドイツ時代の状況とは違う健全であったはずの民主主義を通して「権威、伝統、強国」をナチュラルに求める人々がいる「人類の本当の姿」を初めて目にしたからなのだ。
つまり「人類普遍の価値観などはそもそも存在しない、人類は初めから分断されている」のだ。

そこでじゃあ何が理想形かと言えば、そもそも理想とする世界自体が全く違うのだから理想世界など無いかと言えば僕はそうは思わないが、ただリベラルな国で育った僕が思うほど「自由でも平等でも平和でもない、とはいって権威主義でも国粋的でも強国的でもない、誰もが7割程の不満と3割程の納得さを持ち、分断はそのまま続いていくが、その代わり全面核戦争や飢餓による大量死は無い世界」これが人類が辿り着け得る至高のユートピアなのではないかと思うのだ。
おそらく人類のユートピアはとても現実的で中々生き辛く、滅亡する危機は繰り返し有ってもそれは起こらない世界なのだろう。つまりいつユートピアに辿り着けるのか、いつ辿り着いたのか永遠にわからないのだ。