「課題の分離」人は人、自分は自分??🤔

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

いかがお過ごしでしょうか😊

ふらっと立ち寄っていただきありがとうございます〜

昨日も書こうと思っていたのですが、仕事が終わって帰ってからご飯を食べると
こたつの吸い付きに勝てず、、、気づけば朝でした笑

まぁこれからもゆるーく書いていこうと思います。

さて、今回も「嫌われる勇気」について少し触れた内容となっています。
今回は「課題の分離」についてです。
課題の分離とは、他者の課題と自分の課題に分けるということです。
例えとしては前回の記事「人は今すぐにでも変われる??🤔」にも書かせていただきました、カフェの店員に怒った時のエピソードを用いようと思います。

自分が店員だとしてミスをした時に、怒鳴り声をあげて怒られると精神的にも正直きついですよね。「あぁ、やらかしてしまった。」なんて思ったりして。
最悪の場合は、そんなミスが続くと「自分はこの仕事に向いていないんじゃないかな。」なんて思ってしまって、本当にやりたかったことだったのに諦めてしまいそうになることもあるかもしれません。
しかし、ここで「課題の分離」という解釈があると、大きく捉え方が変わります。
前回、「感情の捏造」についての内容も紹介しましたが、目的論と感情の捏造を踏まえた上で考えていただけるとイメージしやすいかと思います。

ここで、お客さんが店員さんに対して、「怒りの感情を使って怒った」ということは、コーヒーをこぼされたことに対する「お客さん(他者)の解釈」なので、店員さんがお客さんに「そんなに怒らんでも良いやん。火傷しなかっただけマシやと思ったら良いのに、、」みたいな良い方の解釈をしてもらおうと思っても無理なことです。
しかし、店員(自分)がこの「お客さんに対してコーヒーをこぼしてしまったこと」に対してどう解釈するかは「自分の課題」であり、怒られたことに左右されず、この事例をどう捉えるかは自分で決ることができます。
課題の分離が出来ていないとどうなるかというと、相手が怒ったことに影響されて、「相手に勝手にこの出来事は悪いことだ」と解釈を強制されてしまいます。
そうなってしまうと、相手に影響されてしまうので、無意識に相手に合わせて動こうとしてしまって自分のしたいことに集中して物事を判断することが難しくなってしまうみたいです。

※必死に伝えようとしていますが、一方的な形で文章のみでの表現ですのであまり自信がありません笑。なので、もしわかりにくい内容があればコメントでもご意見頂けますと幸いです🙇‍♂️🙇‍♂️笑


普段の生活においても理不尽に怒られたりすることもあると思います。
悲しいかな。😓
でも、その時にこの「課題の分離」を持ち合わせていると
相手が怒っていることに左右されることなく、自分の課題に集中することができます。
「なぜ、この結果になったのか」「同じミスをしないようにするためにどうすれば良いか」「今後はどういうことに気をつける必要があるのか」など
改善に向けた前向きな解釈ができるようになってきます。
一時的に、「うっ!また怒られた、、」となるのも全然良いと思います。それがあるから尚更改善する気持ちも出るでしょうし。
でもそれだけで終わってしまうとすごく勿体無い気がしますね。

良い意味でも悪い意味でも相手を変えることはできないですけど、「自分の解釈を変えるだけで、常に前に進むことが出来るんだ」とこの本を読んで思いました。
そして、相手が感じる印象を自分がコントロールすることなんて絶対にできないことが分かったから、今までよりも「どうすれば相手が喜んでくれるか」「何をすれば相手に貢献できるか」ということを考えるようになりました。

この「課題の分離」という解釈は、個人的には一見すごく「ドライ」な感じがしますが、大切なことを忘れずにいれば良い方向に進むきっかけになるなと思いました。

今回も長い内容になりましたが、貴重なお時間を頂きまして本当にありがとうございました。

最初は自分のために書こうとしていたのですが、少ないながら読んでいただける方がいると思うだけで、モチベーションが上がります。
来て頂いてる皆さまに、本当に心から感謝しています。

また遊びに来ていただけるとハッピーです😂

今回もありがとうございました👐


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