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「サイドカーに犬」を読んだ感想(#203)

長嶋有著の短編小説「サイドカーに犬」を読んだ。

「小説が読めない、難しいと思っている人に紹介するとしたらどんな本がありますか?」と質問されて、小説家があげた作家の名前の中に「長嶋有」があった。

私も「小説が読めない人のひとり」だと思う。なぜなら、読み始めても、途中であきらめることが少なくないからだ。内容というよりも、文体でつまづいてしまう。「これって、どういう意味?」「この文入らなくない?」と、うだうだして話の内容に入っていけなくなる。小説以外の専門書、実用書などは大丈夫だ。読める。あれは国語辞典みたいなもんだし、必要なところをぱらっと開けてサラッとよんで知識を入れればいいわけだし。

だから、芥川賞受賞者だろうがなんだろうが、サンプルをダウンロードして文体をチェックしてからじゃないと買えない。「猛スピードで母は」の書籍のサンプルをよんでみた。「あ、これは読める。難しい言葉使っていない。歯切れがいい。シンプルなのに描写が丁寧。よしよし」と安心して購入した。中に2つの短編が入っている。どれも賞をとっている作品のようだ。「サイドカーに犬」は第92回文學界新人賞を受賞。「猛スピードで母は」は第126回芥川賞を受賞。

著者について知りたいと思ってググった。著者は男性で、しかも「ブルボン小林」という別名でコラムニストをしてる。私はその名前を知っていた。彼がラジオ番組で話しているのを何度かポッドキャストで聞いたことがある。年齢的にはうちの弟くらいだ。

「サイドカーに犬」をまず読んだ。面白い。映画化もされたとあとで知った。「サイドカーに犬」の主人公は途中まで男だと思って読んでいた。著者が男なので勝手にそう思っていたのだ。男だと思って読んでも違和感がない事実が面白い。まあ、小学生の頃の話がメインだからね。主人公が女だとわかったら、そして弟がいるという設定ならなおさら、自分と重ねて読めて、さらに話に没頭していった。

でも、困ったことがあった。読んでいると、自分の小さい頃の思い出とその場面が鮮やかに浮かぶので、手を止めてメモする。しょっちゅうメモする。時にはそのまま簡単な文章を書いてしまう。だから、短編で読みやすい文体なのになかなか前に進まない。そういうのも含めてとても不思議な小説体験だった。「たぶん、この短編を私は何度も読み返すことになるだろうな」と直感した。

こういう落語タイプの小説がある。話の内容もよく分かってるのに何度も読み返したい。読んであの体験がしたいという本。「サイドカーに犬」という短編は、開けるとキラキラした懐かしいガラクタがたくさん詰まっているブリキの菓子箱のような印象がある。ときどき開けて中を見たくなる。ガラクタをひとつひとつ手にとって、これはいつどこで拾ったんだっけな〜と84回目くらいの同じ質問を自分にする。そういうタイプの小説だ。

クリント・イーストウッドが言ったという言葉を思い出した。「役者は演技しなくていい。自分もしなかった。役柄の心理というのは押し付けるんじゃなくて、観客が考えるものだ。押し付けられるよりも考えた方が心に染みる」

心に染みる小説もそうだと思った。押し付けない、でも必要な情報を丁寧に提示する。あとは読者の想像力で補う。「サイドカーに犬」は私にとってそういう短編だった。そういう小説をもっと読みたいな。私も書きたいな。

懐かしいガラクタの入った菓子箱、あなたは持ってる?私はいくつもあるのよね〜。減らさねば。あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。

えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック

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