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村上春樹の「街とその不確かな壁」感想文。


 村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
 私は5月初めからどうしても集中しなければいけない用事があるので、届いたこの村上春樹の小説は、急いで読まなければいけないと思いつつ読んだので、不正確な所があるかもしれない。
 何しろ、1200ページの原稿を小さい字で印刷された作品は、一日中読めば目が疲れるから休憩を入れながら読む。そして、どうにか3日で読み終えた。つまり、字ずらを追ってばかりだったから、感想も全く自信はないけれど、一応、目の前にNOTEがあるから、書いておこうと思ったのだ。

 基本、村上作品は、あちらの世界とこちらの世界を行き来するものが多く、そこにある壁を抜けて行き来する。
 この物語は、第1章、第2章、第3章になっていて、村上春樹によると、第1章は、今までずっと書けなかった内容(まとまらなかった内容)を、やっと書ける時期が来たと思い書いたと言っていたと思う。
 そして、書いてから半年寝かせておいて、再び読んでみると、まだ書き足りないと思い、第2章、第3章を書いたという事らしい。
 
 その第1章の内容は、読み始めは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の焼き直しかと思えるほど、似かよった出だしだったので、新鮮味に欠けるかもという感じを持たないわけではなかったけれど、読み進めていくと、新しい展開で、村上春樹が今までの総括として素直に正直に筆を進めているのだろうと、けっこう引き付けられ納得させられるものだった。

 それは、16歳の少女と17歳の僕との出会いと別れの話から始まり、その衝撃的ともいえる忘れられない恋と、満たされないままの別れの話から入るのだけれど、それは、村上作品に一貫して流れるテーマであって、勿論、小説だから、この16歳17歳の話は、多分、半分は真実であり、半分は象徴なのだろうけれど、それに対して、村上春樹自身がやっと出した結論の話だった。

 ところが、村上春樹は第2章を書いた。
 一旦出した結論に、なぜ書き加えなければいけなかったのかと、つらつら考えてみると、村上春樹も歳を重ねて周りを見渡せば、周りへの、今までかかわってきた人への配慮も心の中に芽生えるだろうし、何よりも現在の村上春樹自身を客観的視点で見つめ直せば、第1章の影の無いあちらでの生活を選んだ結論は、修正を加えるべきだと思ったのだろうと、私は思った。

 第2章は、長い長い物語で、何でも自由に書ける村上春樹の筆力のせいなのか、あるいは、内容の修正のためのいつもの迷いなのか、心の準備に時間がかかったせいなのかは分からないけれど、微に入り細にわたって詳しく書きすぎるほどに、物語がゆっくりと展開されていく。
 それは、村上春樹自身の人生での心の深い悩みや、揺れの大きさがそれほど長く続いていたという証明なのかもしれないけれど。
 
 そして、この小説を書き進めながらも、村上春樹は、もしかしたら、呻吟しつつ迷いつつ筆を進めていたのかもしれなかったけれど(推測)、いつまでも、迷っているわけにはいかないと決意したのか、第2章の後半から、第3章になると、今の、現在のあるべき立場への決意を固めたように、物語は急に動いていく。

 たぶん、村上春樹は、長い人生の結論を、この長編小説に書いたのだろうと推測すると、私たち読者は、この小説で、村上春樹の丸裸な心と決意をぶつけられた気がする。
 この小説は、あとがきにあるように、「喉に刺さった小骨のような気にかかる存在であり続けてきた」テーマに、あるいは人生に決着をつけるべく、書かれたのだろうと思う。今まで、揺れ動いてきた心に「さよなら」を言い、あと腐れなく鋭利な刃物でぶった切り、今の現実を肯定し、これからの歩みを決定したのだと思う。

 私のような読者にしてみれば、いつもうじうじと悩み、どっちつかずの態度で、右往左往するのが、村上春樹だったわけだから、このきっぱりとした「さよなら」は、なぜかとても淋しい気がするけれど、これは、歳を重ねてきた村上春樹の現実回帰としての結論であるならば、どうしようもなく、受け入れる以外にない事なのだ。そして、村上春樹が、現実に迷いなく、一方向に向いて生きていこうと決めたからには、それを読者として見守り、幸せを願う以外ないのだ。

 これからの村上作品は、きっと違うものになるのだろう。
 どちらかというと、今までの薄暗い壁の向こうへの壁抜けではなく、きっと、温かい日差しの中の草原に存在し、喜怒哀楽の豊かな人々の歩みを書くようになるのだろうと推測する。その場合は、それはそれで一人の大作家が出した結論なので、読者としては祝福の言葉を捧げたいとは思う。

 時代が代われば人も変わる。長い3年間のコロナ時代を経て、人も社会も変わらざるを得なかった現実があり、いつの時代も、3年もの劇的悲劇の出来事のあとは、必ず転換がある。誰もが変わり続ける時の流れの中で、生きていかなければいけないのだと強く思う。

 これほど長い小説は、誰もが的確に捉えられない。
 あくまでも、一人一人が自分自身の心の課題と照らし合わせつつ、それらを読むのだから、その読み方は各人ずいぶんと違ってくると思う。
 特に急いで読んだ私の感想は、きっと的外れに違いない。
 皆様がどのように、この村上作品を読むのだろうかと考えつつ、目の前にNOTEがあったので、恥も知らずに即席の簡単な感想を書いてみました。
 悪しからずです。           akiyochan
 

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