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角野隼斗全国ツアー @ 沼津 (2022.1.29)

今日は角野さんの全国ツアー7つ目の沼津公演へ行ってきた(ヘッダーは"沼津港大型展望水門 びゅうお"から撮影した夕方の富士山)。私にとっては、大阪公演に次いで2公演目。以下敬称略。

※ 昨夜(1/29)遅くに書き上げた自分用の振り返り感想文、今日(1/30)見直し、加筆修正し公開することに・・。とても長いので、ご関心を持って下さった方も、どうか飛ばし飛ばし読んで下さい🙏

いきなり余談・・・井上靖

伊豆湯ヶ島、沼津、三島と言えば、中学生の私が夢中になって読んだ「しろばんば」「夏草冬濤」「あすなろ物語」を書いた井上靖が幼少期、中学時代を過ごした場所で、いつか訪れてみたかった場所だった。折角の機会なので、午前中は長泉町の井上靖文学館(三島駅からバスで約35分)を訪問した。井上の自叙伝、シルクロード等の歴史物、美術批評などの初版本や関連展示物を見て、昭和の文豪の生きた時代、作品に思いを馳せた。人生、芸術に関して心を揺り動かされる言葉にも出会えた。例えば・・・。

戦争が終わって、40歳。半分、どう生きようか?
命をかける価値のあるのは自分を表現することだけだ。私の場合、文学しかなかった。
井上靖文学館のビデオより
人間という奴は、一生のうちに何かに夢中にならんな。何でもいいから夢中になるのが、どうも、人間の生き方の中で一番いいようだ。
「北の海」より

帰り際、文学館の方から「今日は(井上靖の)命日なんですよ」と聞いた。それを知っていて訪問した訳ではなかったので驚いた。偶然とはいえ、かつての私(昭和語でいうと文学少女)が大いなる刺激を受けた文豪との再会を運命的に感じた。この文学館で知ったことだが、午後のコンサート会場である「沼津市民文化センター」は、井上が通った旧制沼津中学(現沼津東高等学校)の跡地らしい。私が今、刺激と癒しをもらっている角野と井上との間の不思議な縁を感じながら、コンサート会場に向かった。

井上靖文学館の入口(菊竹清訓が設計)

大阪公演の振り返り

ちょうど2週間前の1月15日(土)の大阪公演(感想文はこちら)は、私にとっては、昨年6月下旬の紀尾井ホールでのコンサート以来、久しぶりのソロコンサートだった(厳密には8月のアプリコで開催されたコンサートも前半はソロだったが)。角野は2021年10月のショパコン予選を経て緊張が解き放たれ、3次予選後の欧州内の旅、複数のコラボのライブ(12月)、数々のメディア出演などの経験を経て、やりたいこと(歩んでいく道)がだんだんと見えてきたからか、本当に楽しそうに音楽を表現していた。その姿、紡ぎ出される音楽、彼の世界観にぐいぐい惹き込まれ、2時間あっという間に過ぎた。ピアニスト、作編曲家に留まらず、観衆を虜にする真のエンタテイナーだと思った。幼少期にディズニーランドになりたかった隼斗少年(角野自身のnoteを参照)、私にとっては、ディズニーランド以上の存在。
エンターテイナーと強く感じたのは、昨年のブルーノートでのライブだが、クラシック編で感じたのは(日本人では)これが初めてだった。

沼津公演前の一観客/素人のつぶやき

2公演目の今日はもう少し落ち着いて聴こう、聴けると思ってやってきた。が、昨夜はディズニーランドに行く前日の子どものように興奮して、熟睡できなかった。。

井上靖文学館を堪能後、13時過ぎに市民ホールに到着した。沼津駅から徒歩15分くらい。入口、ロビー、至る所に角野の様々なポスター(Ogataさん撮影)があった。

市民ホール入口のポスター
(下部のホールからのメッセージにほっこり!)

ホールの中でチケットの半券を提出し、プログラムを受け取り、座席に向かった。中央ブロック2列目、中央より右寄りの席だ。いざ椅子に座ると、あまりのピアノの近さに圧倒された。通常(ソロコンサート)より、客席側にかなり寄せた位置にピアノが置かれていた。多目的ホールの構造を踏まえ、響きを計算しての位置なのか?

こんなことを言っては失礼だが、チケットを予約する段階で、沼津市民文化センターのホールは多目的であり、音響面では大阪や愛知のホールにかなわないのではないかと思っていた。大阪シンフォニーホールはクラシックに適したホールの設計、残響2秒を誇るホールで、カラヤンも絶賛。私自身も残響を堪能できた。前日の愛知芸術劇場も同様のハイクオリティなホールと聞いている。でも、角野は違う音響のホール、個体差のあるスタインウェイで6公演、成功させてきた。私の一抹の不安や心配は杞憂に終わることを祈って・・。

休憩時間に舞台の左側から撮影
(ピアノの位置が客席に近い...)

話を戻そう。私の席からは、大屋根の内側に反射した鋼の弦やそれらを支える金粉塗装の鉄骨が見え、照明でそれらが光って見える。鍵盤は見えないが、姿勢のいい角野の顔は良く見えそうな角度。大屋根からダイレクトに音が聞こえてくるんだなと開演前から気持ちが既に高揚した。

これ以降プログラムの具体的な内容に触れるため、内容を知りたくない方はこちらで閉じて頂ければと思う。

ロビーで出迎えてくれた角野さん

前半:Chopin and ...

スタンドカラーの白いシャツに黒いジャケットとパンツ姿の角野が舞台に現れると、1,500人強の観衆から大きな拍手が湧き起こり、笑みを浮かべながら深々とおじきをする。前日(1月28日)の夜、愛知で公演を終え、24時間以内にコンサートを行うのは初らしい(愛知公演直後のインスタライブ with ひつまぶしより)。今日は約3mの距離に角野がいる。19世紀のパリのサロンでショパンやリストの演奏を聴く貴婦人の気分(実際、私の視界に入る1列目、2列目はほぼ女性)。

前半はショパン5曲(マズルカOp.63-3を除き、ショパコンの予備予選と予選で弾いた曲)、角野の「大猫のワルツ」、本ツアー初披露の角野/ショパンの「胎動」と「追憶」の計8曲から構成。大阪公演や、今回のMCで話していたように、このツアーは2021年の集大成とのこと、前半はいうなれば「ショパコン集大成+α」。

素人が生意気をいうようだが、沼津でも改めてプログラムの構成や曲順、曲と曲のつなぎ(流れ)が非常によく練られていると思った。冒頭、明るめの曲調(「華麗なる大円舞曲」や「大猫のワルツ」)でホールが高揚感に包まれた後、舞台照明を暗くし、「胎動」を弾き始める流れ、個人的にとても好き。後半は「暗」の世界観が表されていた。

冒頭の「華麗なる大円舞曲」(参考動画: 予選2次, 17’07”より)が始まった途端、ピアノから発される音をシャワーのように全身に浴びている感覚を味わった。大屋根のほぼ目の前に座らせて頂けるなんて、滅多に起こらないことだから、落ち着いて聴いていたはずが、半分夢見心地で、細かいことは記憶にない。ただ至福の時を過ごした。
少し冷静に振り返ると、大抵のホールでは、もう少し後方の席の方が音の響きがバランス良く聴ける。が、今回はFC先行予約で頂けた席なので、ダイレクトな音のシャワー、ピアニストの息遣いを思う存分味合わせて頂こう!と思った。

MC(前半ではここだけ)
ワルツを弾き終えると、静岡公演を待ち望んでいた観客席から大きな拍手が湧き起こる。角野はピアノの奥のテーブルにあるマイクを持ち、大変な状況の中、開催できたことについて、まずスタッフや関係者に謝意を表した。公演を聴きにきた観客に対しても、いらしてくださり、本当にありがとうございますと言って、深々とお辞儀した。静岡での"コンサート"は人生初なので、楽しみたいとも言及していた。
(作者注: 「舞台は静岡県」という字幕がある動画にいらっしゃる気がするけど、これはコンサート扱いじゃないのか・・・独り言終了)。

マイクをおき、椅子に座り、間をおいてから「大猫のワルツ」(参考動画: プリンちゃんの声入りVer.)を弾き始めた。高音域をピロピロって。あれ?違う曲?と一瞬思ってしまうオシャレな始まり方で、ジャズっぽいアレンジがサラッと入れられていたような気もした。耳馴染みのあるフレーズに入ってからも、いつも以上にトリルの刻みも美しく、優雅だった。プリンちゃんがシンデレラになって、王子さまと優雅に踊っていたんじゃないかと思ってしまった。

胎動」では、右手はショパンのエチュードOp.10-1の右手アルペジオをオマージュしている風だけど、角野ティストも混じっている。左手は低音域で旋律をたっぷり聞かせるのだが、この旋律が暖かくて、心にじわじわ沁みてきた。脳裏に浮かんだ光景は、陽の光を浴びて花が咲き始め、新芽が生えてくる春だった。右手が瑞々しくて、葉や花びらの朝露が太陽の光で輝いている感じがした。
大阪の時は角野と天のショパンとの対話を表現しているように感じたが、今日はただただ、角野隼斗という極上の楽器から、倍音成分とハーモニーの美しさに聞き惚れた。弾き終え、立ち上がってお辞儀をされた時には、また聴かせてくれてありがとう!と伝えたくて立ち上がりそうになった(大丈夫、実際には我慢して座っていた)。
※ こちらは公開音源は存在しないので、Op.10-1を聴きながら、胎動の感動を思い出したい。

井上靖文学館の敷地内の石碑
(コンサートには直接関係なし)

胎動に感動し、その余韻に浸る中、民族舞踊の要素が散りばめられ、郷愁を誘う旋律の「マズルカOp.24-2」(参考動画: 予選3次, 3’09”より)がさらさらっと奏でられた。弾いている表情はとても楽しそうで、やっぱり三拍子が身体に合うんだなと思った(マズルカについては別記事参照)。

前半4曲の明るめな音楽で充満したホールで、照明が少し暗めのまま、しばし静寂に包まれた。その静寂を感じているかのように、一呼吸おいて、角野はエチュードOp.25-11「木枯し」(参考動画はこちら、385万回+再生、2022年1月30日現在(大阪公演の日から9万回+再生😳))を弾き始めた。最初の半音階下降の4小節が鳴っただけで、ホールの空気が一変し、緊張感が生まれた。冬のパリはリュクサンブール公園(ショパン像がある、参考リンクはこちら)に降り立った感じ。右手のアルペジオと左手の旋律(時に不協和音)によって、ホールには木枯しが吹き、木の葉が激しめに舞う雰囲気に包まれた。

この後、胎動の時のように、ホールの照明が暗くなった。角野は少しうつむき、間をおく。静かに弾き始めたのは、新曲の「追憶」だった。冒頭、バラード2番(参考動画: 予選2次, 9’11”より)のモチーフが微かに混じる旋律が右手から内声のように聞こえてきた。木枯しが吹き荒れたホールは、再びサロンになった。

追憶は、大阪公演で感じた通り、ショパコンに挑戦していた頃の角野自身の日々の心の葛藤、悩んでいた日々を回想しているように感じた。もしかしたら、ショパンを弾き始めた、ショパンを好きになった角野の幼少期の想い出も歌われていたかもしれない。
バラード2番の冒頭以外のモチーフも聴こえたが、はっきりと、この辺りの小節と言える自信はない。。

追憶の余韻に浸るなか、ショパンの後期作品、「マズルカOp.63-3」(参考動画: 1987年のブーニンの演奏)が始まった。左手はワルツのリズムを刻みながらも、右手の物悲しい旋律の音の輪郭はクリアで心に沁みた。右手が左手を追うコーダ部分から最後の盛り上がり、良かった。短い曲にもドラマを感じる弾き方、私は好き。

この後、あまり間をおかず「ソナタ第2番Op.35」(1839年に作曲)(参考動画: 予選3次、35’25”から)に入った。激しさも優美さも織り混ざった第1楽章。低音域の迫力に一気に引き込まれた。審査員に見られるなかで弾いたショパコン時の演奏とは全く違うのは当たり前だが、今日の堂々とした弾きぶり、とても頼もしく感じた(すみません、予選3次の時は祈る気持ちで聴いた親戚の気分が抜け切らず、生意気な表現に・・)。第2楽章のスケルツォの恐怖心を覚える始まりと中間部の甘美な旋律とのコントラスト、本当に素晴らしくて、中間部で既に天国に連れていかれた。

第3楽章が始まる前には、ホールは暗闇に包まれた。観衆も固唾を飲んで次の音を待つ。暗闇と静寂の時間、観客もピアニストの息遣いに集中する。しばらくして(実際にはそんなに長い"間"ではなかったかもしれない)、重苦しい行進曲が静寂を破った。角野の顔が亡霊のように現れ(こんな表現をしてすみません・・)、視界に入る観客の黒い頭も亡霊の後ろ姿に見えて、一気にあの世に連れていかれた。左手から出てくるあの音のざわめきは何?亡霊が後ろからついて来て、振り返りたくない恐怖感。怖くなって思わず目を閉じると、ピアノの大屋根から重苦しい和音が鳴り響き、古の城の鐘みたいで、さらに恐怖心が煽られた。やっぱり目は開けておいた方が良さそう。。あたりは少しずつ明るくなり、やがて前半プログラムで、最も聴きたかった部分、私にとってのクライマックス、天国のパートに入った。高音域の美音、微弱音で奏でられる中間部。天使が歌っているかのように美しく、その音色は大屋根から降り注ぎ、その音に身を委ねる。あー、終わらないで!!
第4楽章に入っても、天国の余韻から抜け出せないまま、気がついたら前半が終わっていた。全身全霊で演奏し、高揚したピアニストの額に汗が光っていたような気がした。光の加減もあるだろうが、なんか神々しかった。

あー、またまたすごい世界を見せてもらった、体感させてもらった。深呼吸して、乱れた心拍を整えた。大屋根の目の前の席での鑑賞は、音が大き過ぎたり、音が割れたり、、することもあるかなと内心心配していたが、そんなことは杞憂に終わり、大音量でも絶妙にコントロールされていて、音のシャワーを思う存分に堪能できた。

後半: Gershwin and ...

20分の休憩を経て、後半が始まった。ホールの照明は観客席部分も明るめ。再登場した角野も、少しリラックスした表情で、観客もほっとした雰囲気になった。

1曲目はGershwinの「I got rhythm」(参考動画: YouTubeにUPされたVer.)。入りは微かに記憶していた大阪公演とは違うアレンジだった。最初は控えめだったが、レベル?が上がるにつれ、身体を揺らしながら、左脚も使ってリズムを刻み、アレンジも即興で加え、ライブ感満載だった。リストのため息のモチーフ、良かった!大屋根から降ってくる音が前半よりも原色に近いカラフルな色になった気がした。

2曲目はGershwinの「3つのプレリュード」(1926年に作曲)。1番は、すっかりジャズの世界、全てがアドリブに聞こえた。鍵盤は見えない席だったが、右手と左手の絡み合っている感じがカッコ良かった。2番はAndante... でスローダウン。ちょっと気だるさを出しつつも、品のあるアレンジだった。3番は疾走感があって、ほぼ即興演奏みたいに聞こえた。大阪公演より記憶できてる、私!少しは冷静に聴けていたのか?

MC(一部、記憶が曖昧につき、意訳気味💦)
後半は、前半とはガラッと雰囲気を変えています(会場から拍手)。前半は照明も暗く、お客さんの顔が見えなかったんですが、後半は明るくなり、皆さんの顔も見えるようになり、ほっとしています(会場から拍手)。
次の曲は、僕が作った曲で「teen fantasia」です。少年が冒険している感じを描いています(もう少しなんか言ってた気がするけど失念)。

3曲目の角野隼斗オリジナル「teen fantasia」。ミュージカルや演劇のために沢山の曲を作ったGershwinのように、この曲も何かのミュージカルに起用されそうな、楽しさが詰まった曲だった。少年の気持ちを失っていない角野らしい曲だと思った。また、ラグタイム、ジョプリンっぽさも感じた。あ、私の耳は大して良くないから、角野がジョプリンを意識していたかはホショウしない。聞いている最中、妹さんと連弾しているMaple Leaf Ragが頭に浮かんできたから、Tiktokを貼り付けとこう。

teen... を弾き終えた後、角野は舞台袖に下がった。スタッフの方が何やらセットしに来た。その後、赤いピカニカを片手に持った角野が現れ、会場から大きな拍手が!大阪公演と違って、ピアノの上にピカニカを置いて、プログラム最後の曲、Gershwinの「ラプソディインブルー」(ホワイトマンの依頼で1924年1月に作曲、2月に初演)を弾き始めた。

私は光栄なことに、オケ版(動画はこちら;マエストロとの対談はこちら)でも、1人版(2021年6月のブルーノートでのライブ、音源は無いので、Casio CM Ver.でどうぞ)でも生演奏を聴く機会に恵まれ、2週間前には大阪公演でも聴いて、圧倒されたばかり。

沼津Ver.はどうだったか?って、いやもう、遊び心満載で、圧巻だった。前半こそ、緻密に練ってきた構想通りに弾いていたかもしれないけど、その内、色々なアレンジが思い浮かんできて、いやもう身体が勝手に動いて、本能の赴くままに即興演奏をしていたんだろうな。

途中ピアニカのホースを口にして、右手で弾く姿、左手と合わせてハーモニーを奏でる技は世界で唯一無二のものだろう。前日夜のインスタで、僕は歌えないから、代わりにピアニカを吹いたり、他もチャレンジしたいと話していたが、ピアニカ吹きながらピアノを弾くのは、角野流弾き語りとして確立されたと思う。

最後はジェットコースターに乗った気分で、何かに必死にしがみついていないと椅子から落っこちそうだった。目まぐるしい展開に終始圧倒させられ、エンディングを迎えた。公演が進むにつれて、長くなっていると聞くが、曲の立体的な厚みも増している。

弾き終えた角野は腰が浮き、そのままジャンプするみたいに舞台に立った。その動きに反射的に反応した観客は、まるでピタゴラ装置が作動したがごとく、次々とスタオベを始めた。下手ではスタッフの方がこの光景をパシャリと撮影(こうやって撮られていたんだーと、お隣の方と納得)。

アンコール

数回のカーテンコール、鳴り止まない拍手に応えて、登場した角野は深々とお辞儀をした後、高揚した自分自身と観衆の心を鎮めるかのように、パデレフスキの「ノクターンOp.16-4」を弾いた。再び、気持ちがポーランドに向き、しっとりした気分に・・。

MC(一部、記憶が曖昧につき、意訳気味💦
皆さん、今日はご来場頂き、ありがとうございます。2021年はさまざまな経験をさせていただきました(会場から拍手)。今回のツアーでは、その経験を集大成させたプログラムをお届けしていますが、皆さん、楽しんでくださいましたか(会場から今日1番の大きな拍手)。今年も来年も、色々なことに挑戦して、皆さんにhappyを届けたいと思っているので、よろしくお願いします(会場から拍手)。
途中で、疲れて話せないと呟かれながらも、いつもより滑らかな(失礼っ!)スピーチをされていた。
これから弾く曲は(事前に展開を知る観衆は、慌ただしく、スマフォを取り出したり、セットする、それを見てニヤける角野さんが何ともチャーミング)、撮影OKなので、スマフォなど用意して下さい。静止画ならSNSにUPしていいです。

マイクを片手に持って、立ったまま、会場を見渡しながら、子犬のワルツ(参考動画: サントリーホールのエラール版, 5’07”より)の冒頭の右手を弾き始める。7公演目で、観衆の反応にも慣れてきたのか、かなり長めにソラドシ、ソラドシ・・を弾いてくれて、観衆の笑いを誘った。

マイクを持って立ったまま
冒頭部分を弾き始める角野さん

私は自分の想い出に動画を撮影させて頂いたため、弾いている時の写真はない。

弾き終えて深々とお辞儀をする角野さん

子犬の後、舞台袖に引っ込んだが、数回のカーテンコールの後、鳴り止まない拍手に応え、もう1曲!というジェスチャーをして、座るがや否や、英雄ポロネーズを弾き始めた。前半と後半のクライマックスをさらに盛り上げるような勢いのある英ポロ。大屋根から弦の鳴り響く音が聞こえてきて、聴き納めだと思って、じっくり味わった。弾き終えた途端、会場が一斉にスタオベ(私は立ち上がる時にお隣の華奢な女性に体当たりしてしまい、反省。。)。

大阪公演で体験済みのプログラムなのに、角野隼斗は2週間でまた変わっていた。まったく新しい感動を届けてくれ、観衆の皆さんとの一体感も楽しんだ。恐るべしエンターテイナー、角野隼斗にまた出会え、感無量。

沼津公演の余韻に浸る・・・

余韻を感じたまま、私は駿河湾に沈む夕日と富士山を見たい衝動に駆られ、タクシーで沼津港大型展望水門 びゅうおに急いだ。富士山はヘッダーに載せたが、夕陽も載せておこう。

陽が沈んだ直後の駿河湾

角野さんを密かに応援しているファンだが、音楽の専門的な知識がない素人のため、公演を総括するなんて大それたことはできないが、井上靖文学館で見つけた言葉が、私の気持ちを代弁していたので載せておきたい。

一生忘れることのできないような感動を受けたものとの邂逅は、甚だ偶発的な出会い以外の何ものでもなさそうである。
自分が意識して求めた訳でもないのに、ある日、ある時、ある場所でたまたま出会ってしまったのである。
『わが一期一会』「点は墜石の如く」より

かつての私が出会ったショパン、井上靖、3年半前に出会った角野隼斗との出会いも偶発的で、書物や音楽を通じて、一生忘れることのできない感動を受けた邂逅である。

もう一つ、引用したい言葉がある。1年2ヶ月くらい前に、イープラスの「エージェントビジネス」の契約アーティストのインタビュー第二弾として、角野が選ばれて、話していたことに、改めて納得、共感したので、部分的に抜粋したい。

クラシックは再現音楽で、過去の創造物ですから。過去に生きた音楽家たちが創り上げたものがクラシックであるとすれば、今を生きるミュージシャンは、それと同じく新しいものを発信し続けなければならない。そしてそこには聴衆が必要です。そうやって音楽の進歩は続いていくんです。(クラシックの)ファンを増やしたいのはもちろんですが、それだけが目的じゃなく、なぜそれが人類にとって必要で、どういう良さがあり、どう伝えていけば、音楽業界や文化全体がよくなるのか。そこも含めて考えていきたい。
eplus (2020.11.17)

全国ツアーの公演で、角野はクラシックも、角野自身が創り出した新しいものも発信してくれた。そこに必要とされていた聴衆の1人になれ、音楽が進歩していく場に居合わせることができた。それだけで嬉しい。

また、クラシックにあまり関心がないけど、Cateenチャンネルやメディア(テレビ、ラジオ、雑誌など)で角野隼斗を知り、なんか面白そう、楽しそうだな、と思って、コンサートに足を運んだ方々も多い気がしている。
1年少し前に話していたことを既に体現していると感じた夜だった。

また気が向いたら、書き足すかもしれないが、こちらでUPしてみる。

おまけ

いちご好きな私は、沼津駅で採れたてイチゴを見つけて買った。今朝角野のインスタのストーリーを見たら、角野さんも同じいちごを買ってた😊
いちご好き仲間ですね!

沼津駅で買った🍓(私は大の🍓好き)

(終わり)

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