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雑感52:終わった人

定年って生前葬だな。
衝撃的なこの一文から本書は始まる。
大手銀行の出世コースから子会社に出向させられ、そのまま定年を迎えた主人公・田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れる。年下でまだ仕事をしている妻は旅行などにも乗り気ではない。図書館通いやジムで体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。どんな仕事でもいいから働きたいと職探しをしてみると、高学歴や立派な職歴がかえって邪魔をしてうまくいかない。妻や娘は「恋でもしたら」などとけしかけるが、気になる女性がいたところで、そう思い通りになるものでもない。
これからどうする?
惑い、あがき続ける田代に安息の時は訪れるのか?
ある人物との出会いが、彼の運命の歯車を回す──。
シニア世代の今日的問題であり、現役世代にとっても将来避けられない普遍的テーマを描いた話題沸騰必至の問題作。

*****

珍しく(?)ネタバレ要素アリで書くのでご注意ください。

非常にリアルで、自分自身の将来を今の時点で抉ってくるような小説でした。

主人公はメガバンクで出世街道を歩んでいたものの、上の層の政治力で負けて、コースから外れてしまう。出向先は子会社(クレジットカードの処理会社)で、業務改善も事業拡大もクソもない。頑張ろうとすると、社員がついて来れなくなるので頑張らないでくれ、となる。そのまま子会社の常務取締役(だったか?)に幽閉されたまま、社会人人生を終える。

・・・つまり、「成仏できなかった」のである。

この一種の迷える魂は、引退後ジムに行くだの、大学院を目指すだの、ハローワークで場違いな中小企業の面接に行ってしまうなど、その迷走っぷりを極めるのだが、ある日ジムで知り合った若者から、新興のIT企業ゴールドツリーに顧問として来てくれないかと打診を受ける。平均年齢の低いフレッシュで熱気・活気のある職場で昔のように働く主人公。

「こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後のこの疲れ」

主人公が読む啄木の一句からもその満足感が滲み出ています。

概ねここまでが小説の前半なのですが、描写がいちいちリアルであった。

私もサラリーマンで、微妙に大きい会社勤務なのですが、ここまで明確な左遷的な取り扱いはなくても、やはり「これ以上の昇進はない」ことがある程度見えている先輩社員はたくさんいる。燻っている人もいれば、給料はもらえているので満足している人もいる。過去には、将来が期待されていたであろう人がこのような処遇を受けて転職したこともあった。

この主人公は子会社になったタイミングで転職を考えなかったのかな、と思ったが、自己都合で退職すると多分退職金の桁が変わるのだろうか。ある意味、会社に人質というか金を握られているのである。

主人公が言っていた、自分がいなくなっても、会社は、世の中は今まで通り普通に回っていく・・・、みたいなセリフも印象に残ります。「替えはいくらでもいる」のである。そもそも何らかの特殊性やスキルがなく、リスクを取る度胸や必要性がないから、サラリーマンという没個性の塊として働いているわけで、言われてみれば当然のことなのだが。

主人公の前半の迷走っぷりも読んでいて面白い。理屈をこねるのが上手いというか、自分の動機付けが上手いというか、色々な自己解釈をして色々なことに手を出すのだが、ことごとく上手くいかない。この辺は何だか自分自身を見ているようで、痛快であった。

さて、物語の後半ですが、顧問として勤めていたゴールドツリーの若手社長が急病で亡くなり、主人公が他の若手取締役の推薦もあって社長になります。

若者と切磋琢磨しながら経営を続ける主人公ですが、ある日東南アジアの重要顧客が現地の汚職(だったか?)で捕まり、巨額の貸倒が発生。ゴールドツリーの資金繰りは逼迫し、紆余曲折を経て最終的には倒産します。

社長である主人公が背負ったのは9000万円の負債。自身の資産による弁済を余儀なくされ、手元には1000万円程度しか残りませんでした。

この展開も面白い・・・。この会社を成長させ、例えば一部上場なり何ならかの目標を達成してサラリーマンとして成仏する主人公を勝手に想像していたのだが、貸倒からの倒産、9000万円の負債。この展開は予想していなかった。作者の内館さんの作品はこういったものが多いのかな??
ベンチャー企業の経営の難しさを感じさせます。銀行マンであった主人公が、こんな窮地に追い込まれるような経営をしたことが、与信管理の観点でちょっと疑問だが。

9000万円の負債の事実を知った妻は激昂します。道中の説明を端折ってしまいましたが、この奥さん、独立してサロンを開いていたので、主人公の家計収入はこの奥さんの収入のみに一変します。ここから主人公は「主夫」になるのですが、これも一種の幽閉。鍋磨きの職人となり、サラリーマン時代は屈辱的行為とみなしていたアイロン掛けもします。今までの夫婦のバランスが崩れ、お互いの苛立ちはどんどん蓄積し、関係はどんどん冷え切っていく。

しかし、最終的には、いわゆる「卒婚」の道を選び、一種の和解のような形で、主人公は地元東北へ、奥さんは都内で引き続きサロン経営、という形でこの小説は幕を閉じます。

アンハッピーの中でのハッピーエンドというか。現代の夫婦関係の「リアル」を描写しているのであろうか、この後半もまた非常に面白かった。主人公は倒産という形ではあるものの、サラリーマンとしては成仏し、最後は故郷の東北に戻ります。一度大海に投じられても産まれた河に戻ってくる鮭と同じように。鮭はこの故郷の河で産卵して死にます。主人公も終活の場として故郷を選んだのだろうか。

故郷・田舎にはやはり特別なものがある気がします。この特別なものは「無形」なので、何ともない人からしたら何ともないのでしょうけれど、やはり特別の思いというか、帰ってきた時の「懐かしさ」みたいなものがあります。それは情景であったり、匂いであったり、さまざまかと思いますが。

特殊な境遇に追い込まれてしまったとはいえ、夫婦は必ずしも一緒に居続けることがベストとは限らないという結末は、まだ30過ぎの若僧の私にとっては何とも不思議な感覚でした。

人生100年時代、60歳で引退しても、あと40年ある。老後があると思って色々な楽しみを我慢して生きていても、60で死ぬかもしれない。40で死ぬかもしれない。

人生やったもん勝ちか。一通り書きたいことを書きました。以上、雑感でした。
駄文をここまで読んでいただいた方、大変ありがとうございました。




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