日本の教育システムへの苦言
今日は趣向を変えて、教育について語ってみようと思います。
自己紹介では多分書いていなかったと思うのですが、私は学生時代に塾講師のアルバイトをしていました。
中学の時から、人に教えることは得意でしたので大学に入った後は自然と教員のアルバイトをしようと考えました。
でも、実際はアルバイトどまりで本業になることはありませんでした。
…まあ、こうなるだろう、とは思っていたんですけどね()
日本の受験戦争
例に洩れず、私も受験戦争を勝ち抜いてきた人間でした。
今にして思えば、協力してくれた家族には感謝しかありません。
それだけに、納得がいかないのです。
私にとって今の日本の教育は、受験を勝ち抜くための戦争ゲームにしか見えないのです。
もちろん、勝つためにどうするのかという野性的な感覚を身に着けることは生物学的にも大事ではありますが、教育において別段しなければならないことだとは思えないのです。
実際、世間的にも日本の受験は、「受験戦争」といわれるほどに「学び」というより「戦い」や「ゲーム」の感覚が大きいのです。
そんな違和感を覚えたのは、大学に入ってからでした。
思えば、自らが学びたいと思えるような学部へ入学していなければ、こんなことは思わなかったかもしれません。
ある意味、気づくことはなかったかもしれないということが最も恐れるべきことなのかもしれませんが。
とある生徒
そんな些細な違和感を覚えながらも、私がその「おかしさ」に本格的に向き合うようになったきっかけはアルバイトで出会った一人の生徒でした。
中学1年生の子で、数学が得意でした。
一方で、私も理系ですので数学は得意でしたから教えることに苦はありませんでした。
しかしその子は面白いことに、教科書通りの回答法ではなく、ほとんどが別解で解いてくるのです。
このままでは定期テストで間違いとされてしまうかもしれない。
そう思った私は彼に教科書での解き方を教えました。
…しかし、彼は次の瞬間、こう言ったのです。
「その方法は正解かもしれないけど、面白くないもん」
最初は、「なんて生意気な」と思いました。
しかし、ことあるごとに別解で解いてくる彼の解き方を見ていると段々とどういうアルゴリズムで別解に至るのかが気になってきました。
私は授業にかこつけてちょっと難しめの応用問題を持ってきて解かせたりしていました。
そして、これまた面白いことに彼は四苦八苦しながらも別解で解いてしまうのです。
…そうして私は最終的に気づきます。
彼は、教科書的な答え方を「知っていながらあえて」別の方法で解いていることを。
そうしてみると、彼のあの言葉、「その方法は正解かもしれないけど、面白くないもん」。
これは、彼のちょっとした反逆だったのではないかと思うのです。
例外を許さない日本の教育
言ってみれば、彼は天才だったのだと思います。
しかし、私が所属していた塾は進学校受験向きの塾ではありません。
彼がなぜウチの塾に…?と考えると不思議で仕方がありませんでした。
今ならば、教科書に従わない回答でテストの点数が悪かったことを勉強ができないと勘違いした親が子供を塾に通わせないと、と思ってそうなったのだと想像できます。
しかし、それは日本の教育制度上の問題が引き起こした不幸なすれ違いだと思うのです。
教科書、というものは難儀なもので、だれもが正解にたどり着ける便利ツールなのです。
だからこそ、答えに至る道をすべて整えたうえで、その道を行かせる。というのが日本の教育です。
しかし、そうは言っても誰もが舗装された道を好むわけではありません。
極端な話、舗装された道が歩きやすいという感覚はただの幻想です。
すべての人が馬鹿正直に教えられた道をただ往くだけ、というのはその子から考える力を奪う行為だと思うのです。
日本の教育から見える日本人の異常性
はっきり言わせていただきます。
日本の教育は、「先生が絶対的に正しい」と教えるものです。
だからこそ、大方の人は「教えられたとおりに物事を遂行することが一番正しいことである」と認識します。
しかしどうでしょうか、それはもはや「洗脳」ではありませんか?
自ら考え、自分なりに答えを出すことをさぼってはいませんか?
「この人がいうことだから、大丈夫だろう」と思考放棄していませんか?
こういっては何ですが、専門家が正しいなんて言うのは幻想ですよ。
お医者さんの言うことが正しい、ということがいかにずれた考えであるかは、この数年の日本の状況を見れば火を見るよりも明らかです。
現行の与党政権が増税政策で上げた成果のうち(そもそも成果なんてあるのかはなはだ疑問ではありますが…)、国民に返還された利益が存在しますか?
科学論文で語られたことがすべて正しいなんて言う幻想を誰が言いましたか?
現在の日本の教育は、「これこそが模範解答である」というありもしない絶対的な正しさを教え込むような戦後教育を引きずっているのです。
戦後教育が日本にもたらした悪習
「これこそが正しい」
そんな教育をされた人が、今の日本の大半の大人です。
このままでは、今の子供たちがそんな洗脳じみた教育を受け継ぎ、子供たちが不幸になり、さらにはその子孫までもが影響を受ける羽目になります。
しかしながら、時代は変わりつつあります。
風の時代、と言われる現代で「何が正しいのか」というよりも「何に価値があるのか」「自分にとって何が必要なのか」ということが重視される時代になりました。
中学校は自分で選べるようになりました。
教員免許を持っていなくても教育ができるシステムもできました。
SNSをはじめとしたデジタルテキストも出てきて、そこで大学を開く人だっています。
そんな時代に、「これこそが正しい」なんて主張が通りますか?
逆に、「自分で考えることもできないのね(笑)」なんて言って馬鹿にされるのがオチです。
もう他人任せにするのはやめましょう。
すべての行動選択に自身の責任を。
それが、本来のあり方であり、そういう教育をこれからはしていくべきです。そして、それを子供たちが実現できるように教育するのが大人の役目です。
いつまでも戦後教育にこだわるのはやめましょう。それはただの悪習です。
考えることがつらいと感じるのはそれをする習慣がないだけ
時間がない、頭が悪い。
そんなことで言い訳をするくらいであれば、時間を作る考え方に変えましょう。頭を使わなくてもいいようなシステムをどう構築するか考えましょう。そのためにインターネットがあるのです。調べればいいでしょう。
結局は。
考えたくないだけなのです。
しかし、それでは何も変わらない。
今という時をより良くしようという行為に手段を選んでいる場合ではありません。
教えられたことを忠実に守るだけでは本当に守りたいものを守ることはできません。
そういう真面目さを悪人は利用します。
そうして利用されたことで戦後教育が出来上がりました。(何のことを言っているのかわからない方は自分で調べてみてください)
この記事を読んでくれている方、もう一度日本という国の教育を考え直してみませんか?
今しか変わる時がない
今だからこそ、変えることができます。
私の周りにもそこに疑問を持って変えよう、と努力されている方もいらっしゃいます。
あなたも今一度考え直してみませんか?