ゼロリスク思考
AKIRAです。
本日は、私事で申し訳ないのですが、気になっていることがありまして、それについての記事をば。
勘違いを防ぎたい
以前に縄張り曲線の記事を出したと思うのですが、その記事を改めて読み返すと、少し「リスクに対してビビりすぎている人」のように見えなくもないな、と思いました。
同じようなことを感じた人もいらっしゃるかもしれませんので、ここで一度そのズレを払拭しておこうかと思います。
リスク評価は何事においても重要事項
些細なことをウジウジと考えていてもしょうがないことはともかく。
リスクを考えずに踏み出す行為は非常に危険です。ここは割と全か無かの話で、する・しないのレベルのお話になるかと思われます。
リスクを考えることは、ゼロリスク思考ではありません。逆に概念的にはゼロリスク思考から遠ざかる傾向にあります。
その根本的な理由は、リスクを度外視する傾向そのものが本質的なゼロリスク思考だからです。
…いや、むしろゼロリスク志向というべきでしょうか。
リスクを定量できないから100か0になる
正直な話、リスクを定量することはかなり難しいと私は考えます。これは、どんな界隈でも同じことだとは思いますが、原因はおそらくリスクがどれだけあるのかを考えるときに、常に未来に起こることについてのリスクを考えているからだと予想されます。しかし、実際は過去に起こった出来事についての評価のほうが難しいのではないか、と私は考えています。
なぜならば、過去に起こったことについて定量化する際は、実際にことが起こるよりも以前に想定されうることはあらかじめ想定しておく場合よりも圧倒的に多くないとおかしいからです。
イメージしにくいと思いますので、一つ例をば。
例えばですが、
【A君が「このままの食生活だと、1ヶ月後には体重が2㎏増えているだろう」と考えて、ダイエットを始めたとします。しかし、実際に1ヶ月後に測定した体重を見ると1kg増えただけでした。】
この原因として考えられることは以下の3つです。
そもそも体重が2kg増えるという予測が誤り。
A君がダイエットを始めたことによる影響。
ダイエットを始める前と後で使った体重計が違う。
……さて、事の真偽はともかくとして、少し例を書き換えてみましょうか。
【ある日、A君は自分の体重が増えていることに気がつきました。1ヶ月前の自分の体重を見ると、その時から1㎏増えています。ここで、A君は1ヶ月前から今までの自分の体重が増えた原因を考えました。】
ここで、【】で囲った例題で前者と後者では、前者の方が圧倒的に想定される可能性の数が絞れていると思います。この理由は、前者が「未来に起こる事象を想定したうえでの分析」だからであり、後者は「すでに起こった過去のことを振り返っているだけ」だからです。
もっと言うなら、前者では1ヶ月後の自分の体重に対して「2kg増えるかも」という想定をしているため、条件が絞れているのです。
つまり、過去で起こったことについて想定できることは人が考え付く限り無限大にある、ということになります。今回は、体重の増加という例を扱いましたが、この話はほかの例でもいえることです。
そうなると、リスクをあらかじめ考えない思考法では、過去に起こったあるいはこれまでに起こったことの評価をする際に、最悪の場合と最良の場合の2パターンしか『具体的な』想定を思いつかないことになります。はっきり言うと、「もしかしたらダイエットしていなければ10kg以上増えてかもしれない」とか「ダイエットをしていたからこれくらいで済んでいるんだ」という考えです。
だから、リスクを評価できないと極端な想定しかできなくなるのです。
ごまかしではない
想定されうることは、実際に事象が起こるよりも前にどれだけ正確に予想できているかがカギとなります。
しかし、それらを完璧にトレースすることはもはや数学の確率事象で解決できることではありません。
ただ、あらかじめ起こると想定されるリスクをある程度評価していれば、のちに考えるべきことの範囲が狭くなります。ひいては、余計なことを考えなくてよくなります。
「いや、なんでA君は2kg増えると思ったんだよ」とごまかされているように感じるかもしれませんが、そんなことはありません。
むしろ大事なのはここから
本当に大事なのはここからです。
A君が、自分の体重が2kg増えると考えたことが大事なのです。
確かに、このいわゆる「最初の想定」は慣れるまで難しい習慣だと思います。
話題が「自分の体重」なんて話だったらもっと難しいと思います。
しかし、場合によっては驚くほど簡単な場合もあります。
ことを起こす前に、考えられるリスクをすべてリストアップしておけば、もし事故が起こっても対処のしようがあります。
慣れれば、頭の中だけで整理できるようになります。
ただし、これはある程度自分の裁量次第でどうとでもなる事象に限定されます。他人から強制されたことについてのリスク評価は、非常に困難であるかもしれません。
そのうえで
そのうえで、この図を見ていただきたい。
これは、以前に記事で扱った縄張り曲線と全く同じものです。
ゼロリスク志向がどういう考え方であるかというと、この「理想とする利益増加」の直線を想定しているものだと考えてください。
この直線を意識すると系はどんどん拡大していき、横軸の値が増加していきます。
事業であれば、横軸は「社会、コミュニティの大きさ」から「事業規模」に変化します。
だから、結果を評価するときには、得られたであろうプロフィットを過大評価しており、コストを過小評価する傾向にあります。一般的な言い方をするのであれば、「売れると思った事業をどんどん加速させていったら、思った以上の利益が得られず、逆にかかったコストが想定された以上のものになっていた」という感じでしょうか。
リスク評価は基本的に青の曲線を中心に考えるため、気が付くとコスト(リスク)がインフレしてた!ということは起こらないのです。
そうして、実際のプロフィットはどれくらいかを考えて、成果の評価とするのです。
とにかく縄張り曲線を右にシフトさせてはいけない
本来、生物学の世界では、利益なんてものは得られる量はたかが知れています。しかし、いくらでも利益を出せると思い込んでいるからいつまでも気づかない。
収入がどれだけ入ったとしても、支出がそれ以上に増えていることに気づかない。
縄張り曲線は、そのための明確な指標となる考え方なのです。