わたしとヨーガと神に関するはなし①
さて、突然ですが神のはなし。
神様ですよ、神様。
みなさんは信じてますか??どう思ってますか??
コロナ禍で向き合った「わたしとヨーガ」について、「神」との関わりが影響しているんだと頭の中がまとまってきたので、何回かに分けて書き連ねてみたいと思います。
わたしが神について考え始めたのは、高校生の時。
世界史の先生が、世界のいろいろな宗教をとても良く教えてくれて、宗教戦争や民族戦争についても細かく授業で取り扱ってくれたので、素朴な高校生だったわたしの心には
「宗教っていったい何なんだろう」
「神を信じるってどうゆう感覚なんだろう」
と、大きな疑問が湧いたのだ。
前にも書いたけれど、わたしは特定の宗教団体に属していない。家族がお葬式をすることになったら、お寺さんにお願いすることになる??(それもよく分かっていないくらいの)普通の日本人だ。
なので、日常的には神の存在とかを感じたりとかはなくて、両親から何らかの話があったわけでもない。
母は信心深いようで、何かにつけてお寺さんにお参りに行っていた。受験の時、新車購入の時、我々姉妹の就職が決まらない時、などなど困ったなぁと思うと、神様にお願いしに行っていたようだ。
ちなみに、わたしの実家は長野県長野市なので、お寺といえば善光寺。母はしょっちゅう護摩を焚いてもらっていた。
話をわたしの高校時代に戻すと、世界史の先生との出会い以降、
「神ってなんだろなー」とずっと思っていた。そして、もしわたしにも神がいて、気持ちを向けられるのなら、なんかもっと強くてしっかりした人になれるような気がしていた。
なぜ 信仰 = 強さ だと思ったのかというと、中学時代からの親友がとある宗教団体に属していたことが関係している。
大学時代の友人も団体は違うが、信仰を持っていた。
2人とも、わたしを勧誘するとかその類の事は何にもなかったけれど、なんとなく2人に共通していたのが 優しさ と 心の広さ だった。
いつ会ってもニコニコしていたし、誰とでも楽しく話していた。学校でも人気があった。
わたしはそんな2人がとても羨ましかったし、尊敬していた。若い頃のわたしは、人に対して好き嫌いが多く、誰とでも仲良くなれるような人ではなかったから、あんな風に生きられたらいいなと思っていたんだと、今になって思う。
2人に共通するのは信仰するものがあるということ。
信仰する対象があるってことは、見守られている感覚なのかなぁ、なんだか自信になりそうだなぁ。宗教団体に入りたくはないけど、もし神様とのつながりがあったとしたら、それが自信みたいなものになって、強くなれるのかなぁと考えていた。
実家に布教活動にいらっしゃる人達が訪ねてくることがあって(よくあるやつです)それを見た母は「宗教の人たちは強い、しっかりしてる」と言っていた。
母の言葉の影響も大きいと思う。
わたしがちょっとしたことで他人を嫌いになったりする理由は、自分自身にあるような気がしていて、それは自分が弱いからだと考えていた。今振り返って分かるのは、自分に自信がなかったから誰かに傷つけられるのをとても怖がっていたように思う。
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