川添明子│ヨーガ指導者

東京の端っこでヨーガの先生をしています。 自分とヨーガに関わることをちょっと深く書いて…

川添明子│ヨーガ指導者

東京の端っこでヨーガの先生をしています。 自分とヨーガに関わることをちょっと深く書いてみたい、自分を振り返る場にしたい、そんな感じです。 ◆東京町田の里山プライベートヨガクラス 【ディワーリヨガ】主宰 http://diwariyoga.com/

最近の記事

仕事上の、愛。

先日、日記みたいな手帳を買った 面白い構造になってて、すべて日付がフリーになっていて、たくさん書けるページと、月別みたいに使えるページと、思いついたキーワードみたいなのをちょいと書けるページ(これが別冊になっている)の三部作で構成されている この日記はこの前の新月付近から書き始めた わたしは、noteと、アメブロの2ブログ体制でなんとなく書くことを分けてて インスタにも書いている 本当に大事な気づきはスマホのメモアプリに書いている 発信したいというよりも、書くことが好き

    • ネガティヴな感情から自分を知る

      ヨーガ指導を長くやっていると(といっても10年ちょいだが)必然的に多くの生徒さんの人生を垣間見ることになる。 先日、ある方が「生理的に嫌だ」の感情についてお話くださった。 誰かそうゆう人がいてどうしたもんかという話ではなくて「はて?生理的とは?」という疑問を持ったということだった。とても興味深い話だなぁと思った。 わたし達には色んな感情があって当然で、嬉しいとか楽しいとか以外にも、もちろん嫌だとかイライラするとか、ネガティヴな感情もある。 ネガティヴな感情、特に心が大き

      • ヨーガとは、どう生きるかを定めていくこと

        また大好きな小難しい哲学的なタイトルにしてみた。 今日誕生日を迎えた。 数秘だと、誕生日を境にその年のテーマが切り替わるらしく、わたしは今日から 7  になる。 7 とは 内観、瞑想、振り返り、力の蓄え みたいな感じだそうで、つまりは年間通じて自分を見つめて瞑想しながら過ごす、みたいな? それはそれで楽しみではある。 そうゆう意味あいもあるのか または数秘の情報を知っているからか なのか ここ数日はとても哲学的な気分である。 いや?通常運転ともいえる。いつもは心の奥にし

        • 瞑想日記33

          画像はどうぶつの森でつくった瞑想部屋 夜空を感じながら点滴が打てるのが最大の魅力 (瞑想どうした?笑) 先日参加させてもらった瞑想会がとても心地よく その余韻があり 瞑想をもっともっとやっていきたいという思いに駆られている 今日は午前中に時間があったのでしっかり実習 マハーマントラを1周しただけでは物足りず 2周目に突入 とはいえ、1周目は身体を前に倒したり(身体が耐えられなくて)しながらやっていた 2周目の “ ある時 ” を境に スッと何かが整ったのを感じた プ

          エゴのその後の先

          まだまだ引きずる研修会の話 研修会を含むここ数週間がスケジュール的にも、わたしの脳ミソ的にも山場だったのである 緊張したりエゴに気づいたりカレー食べたり鬼語りしたりした研修会の日の後、いつも通りに個人やグループレッスンの日々が始まった 先生に特別何か言葉をかけていただいたわけではないし、自分の考えていることが具体的に変化したわけでもない それなのに、先生の指導を受けると格段に自分が変わる ものすごく変化を感じる 今までにも何回もこうゆうことがあった わたしは何人もヨガ

          エゴのその後

          前記事に書いた、研修会を終えた。 写真は終了後に大切なお仲間と行ったお疲れ様会のカレー。インドで出会った仲間とは今も仲良くしている。研修会や学会は、このみなさんと会うためでもあるし、仲間がいなければ、この団体とはもっと距離を置いていると思う。だからとても大切。 インド修行で出会ったからなのかこのメンバーといるといつもカレーを食べている気がしている。 今回はわたしの地元町田だったので、好きなカレー屋さんにお連れできてよかった。 結果からいうと 研修会に参加出来てよかった。

          エゴ、傲慢さを知らされる時

          今度、研修会がある。 もちろんヨーガである。 申し込んだはいいものの、参加するのが嫌で嫌で、なんとかならんものかと思っていたけれど(※参加しないと資格の更新ができないから参加が必須) 先日瞑想をしていて気がついた。 研修会で自分の至らなさを知ったり 他の先生方のやり方を見せられたり 最近のトピックスなど聞かされたり そんなことがとても不安なんだということ。 何を言われるか、何を見させられるのか、怖いのだ。 わたしは昔から研修や査定というものが苦手だ。 評価されるのがと

          エゴ、傲慢さを知らされる時

          隠れキリシタン疑惑

          先日、長崎に行ってきた。 初めての九州。 本来の目的は 某四次元不思議カフェ だったのだが(生徒さんお2人にお誘いいただいた、ありがとう) それは呼び水にしかすぎず… という長崎旅だった。 宗教とか神様への想いは隠してきた 前にも記事にしたことがあるけど、わたしは小さい頃から宗教とか神様とかの話がとても好きで、しかしそれを他人に話しては絶対にいけないと思っていた。 コロナ禍を経て、バクティヨーガの先生方に出会って、わたしはもう既に大好きな神様の話をしてもいい世界を作って

          バカになったら強い

          最近、珍しくグツグツ考え事が続いていた。 前の記事で書いたこともその一部だ。 若い頃のわたしは考え事ばかりしていた。 だから、生きる意味が分からなくなったりしていた。 でも今回は「珍しく」だった。 そして今回悩んでたのはもう終わった。 どうでも良くなった。 ヨーガをちゃんとするようになってから悩むのがめんどくさくなるようになった。ぐーーーっと悩んでいても、ある時を境に「あーーめんどくさっ」となって、考えてたのがバカらしくなる。 そうすると謎に笑いが込み上げてきて、終わ

          ヨーガの理由

          最近、また心の中を文字にしていきたいという想いが湧いてきている。 なので少しずつ書いていきたい。 今日はYouTubeで精神科のお医者様の動画を観ていた。 とても分かりやすい話し方をする方で、そして変な人なんだと思う(褒めてる) だから勝手にシンパシーを感じている。 先生は現在の活動の節目だそうで、その活動への思いとか幼少期の事とかをかなり本音で語っていらっしゃった。そして僭越ながらとても共感した。 本気の活動というのは、やっぱりそれなりの理由があるんだと思ったし、その

          瞑想日記32 昨晩は色々思案したり事務仕事したりで眠ったのが遅かった。その割に早く起床。謎だ。そのまま先生のお話をオンラインで聞く。マントラ唱えながら2周。最近瞑想がとても良い。深くて広くて静かな蒼い湖にいるような感覚になる。心身ともに具合が良いことの表れと思う。

          瞑想日記32 昨晩は色々思案したり事務仕事したりで眠ったのが遅かった。その割に早く起床。謎だ。そのまま先生のお話をオンラインで聞く。マントラ唱えながら2周。最近瞑想がとても良い。深くて広くて静かな蒼い湖にいるような感覚になる。心身ともに具合が良いことの表れと思う。

          瞑想日記31 note久しぶり。ここ数ヶ月?文字を書くことが謎に億劫になっていて(好きなことも時々嫌になる、これまた人間よ)瞑想をしていても書き起こしてなかった。でも、残すことに意味があると思い出した。 最近は良い意味で適当に瞑想をしている。運転中とか。マントラを唱えている。

          瞑想日記31 note久しぶり。ここ数ヶ月?文字を書くことが謎に億劫になっていて(好きなことも時々嫌になる、これまた人間よ)瞑想をしていても書き起こしてなかった。でも、残すことに意味があると思い出した。 最近は良い意味で適当に瞑想をしている。運転中とか。マントラを唱えている。

          瞑想日記30 庭で瞑想。マハーマントラ。心を開くことについて考えた。認めてもらいたいという想いがあり、バカにされるのではないかと誤認知していることがわかった。そう思っている相手には心を開けない、でも思考のクセで勝手に心が固くなる。理由はきっと高校大学時代だろうか。明日につづく。

          瞑想日記30 庭で瞑想。マハーマントラ。心を開くことについて考えた。認めてもらいたいという想いがあり、バカにされるのではないかと誤認知していることがわかった。そう思っている相手には心を開けない、でも思考のクセで勝手に心が固くなる。理由はきっと高校大学時代だろうか。明日につづく。

          瞑想日記29 番外編 ここ数週間、瞑想をしてなくて、一昨日からまたゆっくり始めた。ふと、感じたのは、わたしはもう瞑想をしても頭がスッキリした感じがしない、ということだ。しかし、ネガティヴなイメージでない。これは瞑想をする前から、日常的に頭がスッキリしているということかなと感じた。

          瞑想日記29 番外編 ここ数週間、瞑想をしてなくて、一昨日からまたゆっくり始めた。ふと、感じたのは、わたしはもう瞑想をしても頭がスッキリした感じがしない、ということだ。しかし、ネガティヴなイメージでない。これは瞑想をする前から、日常的に頭がスッキリしているということかなと感じた。

          最終的には愛なのだ。

          愛だろ、愛。 ってCMが昔ありましたね。懐かしい。 ってか、テレビ業界が全盛期だったバブル期や90年代って、カッコイイCMがありましたよね。伝説的なね。 で 今日は愛について語りたい。 前回の記事で 結果への執着について書いた。わたしはまだまだ結果を出すことにこだわりが強く、上手くいかなくて疲れることも多い、と。 『がんばらないでいいんだよ』とわたしが伝えたところで、そのわたし自身が結果を手放せない限りは、言葉にリアルさがないから、実はあんまり伝わってないのでは、とい

          最終的には愛なのだ。

          結果への執着

          写真は昼間の月。 今日はなんとなく落ち込んでいて それでいろいろ考え事をしながら高速を運転して (夕方から出張ヨガクラスだったのです) 降り立ったカフェて空を見上げたら 猛烈な青空があり 月が浮かんでるのが見えて まぁいっか わたしもよくやってるさ って気分になって 結構すっきりした。 何に落ち込んで、何を考えてたかというと やっぱりわたしは結果を欲しがっていたのだということ、だ。 結果に執着しないで生きたい、と思っているが、気がつくと結果に執着している自分がい