わたしとヨーガと神に関するはなし③
2度目の自宅療養。その時たまたま再開したのが、ヨーガだった。
(初めてのヨーガは新入社員の頃でした)昔やっていたヨーガを思い出し、とても心地よかった。お腹のあたりがほんわか暖かくなる感覚があった。
ヨーガが面白くなってきた頃、ヨーガは単なる柔軟体操ではなくて、哲学的な考え方が根底にあることを知った。
それが、まさかの 「自分の中に神がいる説」だった。
ヨーガ的には真我。ブラフマンとアートマン。
アハン ブラフマ アスミ
梵我一如
我は神なり
自分は神様、周りも神様。
誰でも内なる神性を発揮できるようになる。
とても驚いた。
まさか自分が勝手に思い込んで決めつけてたものが、ヨーガで広く認められてるものだとは!これが正解だったんだ、わたしはずっと前から正解を知ってたんだ、と。
高校時代から考えてきた神への疑問や思いに、ピタッとパズルがハマった感じがあった。今までの全ての出来事、心を病んだことだって、神への想いを感じささせ、思い出させる手段、すべて神様の計らいだと感じた。
また、わたし独自の「自分の中に神がいる説」 には足りないものもあったと分かった。
どんなことも神様が用意してくださったもの。
受け入れることで健やかに生きられる。
受容の考え方。
ここが足りなかったから、エゴばかりが強くなってしまった。
わたしはヨーガをやるべくして生まれてきたのかもしれない、と、ふと思った。
20代前半で初めてヨーガをやった時に感じた
ヨーガのほうがわたしを待ってたような感覚
前から良く知ってるような感覚
これは気のせいではなくて、理由があったんだ。
ここから数年経った今
最近気がついたのは、わたしの心の奥には、こうゆう神様の話を誰かにしたくてしょうがない、という想いがあるということだ。でも、それをやったら怖がられる、嫌がられると思い、ずっと封印してきた。
中学時代、親友の家が宗教団体に入ってるのが分かった時、大学時代の友人もそうだと分かった時、その時に見聞きした周囲からのネガティブな言葉や態度が、わたしから宗教を遠ざけていた。これ以上踏み込んではいけないと長い間ブレーキをかけてきた。
ヨーガの指導をしていても、あまり触れてこなかった(生徒さんには見えていたかもだけどね)
神様のことを考えているわたしはきっと変わっているから
そう見えないように、普通に見えるようにしよう
こう思ってきた。
でも、今いるヨーガの世界だったら神様の話をしてもいいんだ!っていうことに最近ようやく気がついた。
わたしはちゃんと自分のやりたいことができる世界に居て、大好きな神について語ってもいい世界をいつの間にか作っていたのだ。
ここに気がついたとき
今までの人生が1本の道になり
ほんとうに救われた思いがした。
わたしはずっとずっと神に守られて生きてきたのだった。
すべてのことがわたしのために順序よく用意されてきたんだ。
こんなことを自粛期間中から考えていた。
わたしはヨーガをするために生まれてきたんだ。
きっとそうだ、と。
今いるヨーガの世界がわたしの生きる道なんだ。
高校時代に持った、神に対する疑問に自分で答えを出すのには、随分時間がかかった。でもきっと最短で最良なルートだったように思う。
すべては神の計らいだったんだ、と思う。
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