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「不要不急」を読んで

  随分前に、横田南嶺、細川晋輔、藤田一照、阿純生章、ネルケ無方、露の団姫、松島靖朗、白川密成、松本紹圭、南直哉著「不要不急」(発行所:㈱新潮社)を読んだ。サブタイトルは、「苦境と向き合う仏教の智慧」

 読んだけれど、いつまで経っても自分の中で消化しきれない。
今だって、どうだかわからない。
でも、時間が経って記憶が曖昧になる前に、ちょっと考えてみた。

数年前のことなのに

 新型コロナ感染症(COVID-19)の発生源がどこか。それすら判っていない。
東京都医学総合研究所のサイトでは、「中国の武漢の市場において動物からヒトに感染したという’自然感染説’と、武漢の研究所から漏洩したという’研究所漏洩説’の2つが有力」と書いてあったが・・・

 コロナ感染は、世界を変えた。 これだけは間違いない。
たくさんの悲しみ、苦しみ、取り戻すことの出来ない日々。

 厚労省のHPでは、2021年1月時点で、世界保健機関(WHO:World Health Organization)に報告されている全世界の累積コロナ感染者数は3億2,361万人、累積死亡者数は552万9,693人となっている。

 WHOの調査結果は、ジョンズ・ホプキンス大学のそれとは違うけど、たぶん、正確な情報は世界中のどこにもない。
だけど、コロナ感染は戦争と同じくらいの悲惨な状況だったと推測はつく。

  日本では、2020年3月に「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が制定され、当時の安倍首相が最初の緊急事態宣言を発出。取り組みが加速した。 
 法律では、都道府県知事が住民に協力を要請する建付け。 都道府県知事が、外出の自粛や学校の休校等の行動制限や、百貨店などの施設の利用制限、臨時の医療施設整備などを要請する強大な権限を持つことになった。
 けれど、未知のウイルスとの闘いの最前線に立つには、都道府県には専門的知見を持つ組織・人員も少なく予算も脆弱。
 緊急事態宣言なんだから、もっと政治がリーダーシップを発揮し、厚労行政に丸投げせずに、国から現場まで、風通しの良い政策実現に努めるべき。

 ともあれ、人々の行いが良かったのか、治療薬の開発や予防の徹底などが奏功したのか知らないけど、事態は治まっていった。
 でも、経済や社会の立て直しだけでなく、緊急事態下での取り組みについて、冷静に評価し、反省しなくていいのか、と気になった。 

不要不急、なんて言われたくなかった

 心に強く残っているのは、「不要不急」なんて言われたくなかった。
そういう思い。たぶん、『不要』が良くなかった。

 コロナ感染下、外出を規制する動きが顕著になった。感染を封じ込めるには、人と人との接触を少なくした方がいいに決まってる。 もちろん、食品の買い出しや、治療や検査のために病院に通うとか、生きてくための外出はなくせない。

 だから、「不要不急」と言う言葉で線引きした。 解っているけど・・・

  『不急の外出自粛』は、わかる。でも、『不要不急』はどうか。
いや、人との接触の少ない方法に感染リスクを低減させるから『不要』もあるよ。言ってる意味は分かるけど。
それは要らないわけじゃなくて、改善・革新ってこと。
進化の過程で、無くなっていくものもあるのも事実。 

 当時、不要不急のラベルを貼られたエンタメや物販店、外食産業等で働いてる人たちは、必要ない人と言われているようなモヤモヤが生まれた。 

 コロナ感染による病気治癒や予防促進が大事だったけど、『不要』と言ってしまったが故に、もっと多くの人の心のケアが必要になってしまった。

 みんな、生きてくために働いている。 
だから、無くてもいい仕事なんてないんだ。 そう思いたい。
「職業に貴賤なし」なんて言うけど、『不要』は多くの人達を傷つけた。

 本書は、そんな時代に、どう生きていけばいいのか等々を、宗教界の識者たちがあれこれと説いている本。流石に話は面白いし、なるほどなぁと納得させられる。

 そんな中で私が気に入った言葉は「要に急がず」。 そうだよな。

世の中には、急がなくてもイイ仕事がある。それは、そうかも。

 急ぐ必要のない・・・マイペースでもイイ仕事。 
そう考えると、何だか大御所の芸術家にでもなった気分。 
「急いては事を仕損じる」か。鷹揚に構えよう。 

 粛々と、静かに、真摯に、今出来ることを、精一杯やっていけばいい。 せめて、自分くらいは、ヘンな線引きは止めよう。

 そんな気分にさせられる一冊。

                          (敬称略)

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