
新自由主義が生んだ「矛盾」
アメリカでは長らく「セイの法則」が信じらていた。「市場に全てを任せることで経済はうまくいく」という考え方で、「モノは作っただけ売れるはずで、供給が足りないから不況になるのだ」という。しかし、「世界恐慌(1929〜33年)」による長引く不況はその考えに疑念を抱かせた。そこでケインズの考え方が注目を浴びた。ケインズは「需要が足りないから不況になるのだ」と主張し、需要を作り出すためには減税や公共投資によって社会にお金を回し、波及的な効果が積み重なることでさらに消費が活発になると唱えた。その後大統領となったフランクリン・ルーズベルトはこの考えに基づき、公共事業への大幅な支出と大規模な雇用政策を行なった。これが「ニューディール政策(1933〜39年)」だ。ニューディール政策は、それまでアメリカの歴代政権が取ってきた市場への政府の介入も経済政策も限定的に止める古典的な自由主義的経済政策から、政府が市場経済に積極的に関与する政策へと転換したものとなった。
この政策は当初はうまくいっていたのだが、時間が経つにつれ問題が発生する。経済成長が続いていた時代にケインズ的政策や為替の自由化を進めてインフレが加速する一方で、1970年代のオイルショックによって経済が停滞し、失業者が増加。物価が上がるのに賃金が増えないスタグフレーションになった。「この原因は、政府の規模が大きくなったことで非効率化が進み、多くの規制や税の負担が自由な経済活動を妨げていることにあるのだ」という考えが広まった。そこで脚光を浴びたのがミルトン・フリードマンだ。元々フリードマンは「リバタリアン」と呼ばれる「人間にとって『自由』が最も大切だから、他人に迷惑をかけなければ何をしても『自由』にすべき」という考えの持ち主だ。彼はそれを経済政策に適用し、規制緩和・減税・関税の撤廃など14の提言を行なった。その中でも、特徴的な主張は生活保護や雇用保険といった社会保障を全て「負の所得税」によって置き換えるという提言だ。例えば、いま生活保護の受給者を行政が決めているが、それでは行政の負担が大きくなる上に、裁量が入るので不公正が生じる。もしこれを仮に一定以下の所得に対しては負の所得税をかける、つまり所得額に応じた割合の給付金が受けれ得るようにしたらどうなるだろう。社会保障についても一律に公平に行うことで生活の見通しを立てやすくなり、人々の生活に政府が干渉することがなくなる上に、社会保障にかかる経費そのものを圧縮できる。これが新自由主義だ。
古典的自由主義とは区別される新自由主義の特徴は、独特の保守的側面とラディカルともいえる徹底した側面にある。前者は絶対的な国家秩序を批判しつつ啓蒙主義的勢力として現れた。「啓蒙主義」とは、理性による思考の普遍性と不変性を主張する考え方だ。すなわち、政府による制約よりも個人の自由を、国家の役割よりも市場の役割を重視する思想だ。
対照的に新自由主義では、個人が平等な自由を獲得するためには、国家によって自由は制限されなけらばならないとしている。自由が万人に確保されるには、自由は制限を含むこと、つまり侵害者・強者に対する規制が不可欠である。一方で、従来は市場の倫理には馴染まないとされてきた領域ーー例えば公教育、福祉、犯罪政策などーーにまで、その倫理を拡大する徹底した傾向を持つ。
こうした新自由主義の政策はアメリカ、イギリスで、そして遅れて日本でも導入された。アメリカでは共和党のレーガン政権が「レーガノミクス」と呼ばれる大幅減税と規制緩和を行い、市場原理を大幅に取り入れるようになった。イギリスは1970年代から高い失業率とストライキに悩まされていた。そこで保守党の「鉄の女」ことサッチャーが登場し、「サッチャリズム」により金融引き締めや財政支出の削減、規制緩和を大きく進めた。日本で新自由主義政策を進めたのは中曽根政権だ。行政の民営化が大きく進んだ。NTTやJT、JRなどが独立して民営化された、つづく橋本政権でも「金融ビッグバン」と呼ばれる金融制度改革を行い、大手銀行は合併を繰り返しメガバンクが誕生した。少し時期は遅れ、小泉政権下では竹中平蔵と共に「聖域なき構造改革」と称された数々の規制緩和を行なった。日本郵政や道路公団の民営化を初め、地方への財政委譲、労働派遣法の改正が行われた。
イギリスでは、金融市場の規制緩和によって金融の中心としてロンドンが再興を果たした。日本でも民営化されたJRやNTTは黒字化され、法人税によって国家の財政に貢献している。また規制緩和によって参入障壁が減ったことで、自由競争が活発になった。例えば航空業界ではLCCと呼ばれる格安航空会社が誕生し、航空運賃の値下げにより利用者は大きな恩恵を受けることができた。コンビニでキャッシングができることも規制緩和のおかげだ。
一方、新自由主義的政策を導入したことで、世界中で「矛盾」も生じている。一般的に言われるのは、格差の問題だ。自由競争が促進されることで、「持つ者」と「持たざる者」の差が開いていった。例えば、小泉・竹中らの規制緩和によって派遣労働が自由化され、リーマンショック時に大量の派遣切りが起きた。正規労働者と非正規労働者の間の格差が固定化、拡大している。またアメリカでも同様に貧富の格差が増大し、社会保障が充実していないために低所得者に満足な福祉を受けることができないという問題に直面している。日本ではバブル崩壊後、まだ経済が未回復の時期に消費税増税と規制緩和を同時に行なったことで、不況が長期化したとも言われている。規制緩和で自由競争を促している一方で、減税せず、かつ財政支出の削減を行なったことで、市場に出回る金が減ってデフレーションにつながった。
新自由主義的政策がこうした矛盾を抱えている原因は諸説ある。1つの考えられる原因として、「大きな社会」が未成熟であったと言われている。政府の財政に限りがある以上「大きな政府」ではやっていけないから、政府による支援のシステムを社会に戻す「大きな社会」で「小さな政府」を補完するのが本来の新自由主義的政策の役割だった。新自由主義政策によって生じてしまう弱者に対して、手を差し伸べるべき社会が未熟であったことが、矛盾の原因といえる。
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/viewer.html?pdfurl=http%3A%2F%2Fwww.zenkokuyuiken.jp%2Fcontents%2Ftaikai%2F32taikai%2Fyoshizakisan.pdf&clen=110021&chunk=true