冒険と物語とライフストーリーは突然に。【祖父・三谷昭と新興俳句を巡る冒険:序章】
物語は、いつだって突然に始まる。
とりわけ、長い友人に「もう三谷の人生には何が起きても驚かない」と言われたことまであるわたしの人生では。
わたしの祖父は、三谷昭という。1978年12月24日に没した俳人である。
わたしの祖父は、日本最初の言論弾圧事件と言われる新興俳句弾圧事件(京大俳句事件、昭和俳句弾圧事件とも呼ばれている)の中枢の人物として知られている。
祖父が没した約一年後、1979年12月19日にわたしは生まれた。顔を合わせたことは無論ない。
わたしの両親は、わたしが12歳の頃に離婚をし、わたしは母方に引き取られた。三谷昭は父方の祖父だった。
当時は、三谷昭の寡婦であるわたしの祖母、俊子も存命ではあったが、わたしが母方に引き取られた分、父方の親戚とは会いにくかった。
思春期のわたしは、本は好きだったけれど、俳句とは縁遠く、祖父のお墓の場所も知らず、けれど、いつの間にかに小説を書くことを夢みていた。
その憧れから、わたしが作家になるまでの道のりは、半自伝的小説でもある『腹黒い11人の女』に詳しい。2022年5月から、noteで無料公開をしているので、興味がある方はそちらを読んでいただきたい。
さて、祖父についての話に戻ろう。
2022年4月。
ふと、祖父のことを思い出したわたしは何の気なしにスマートフォンでTwitterを開き、〝三谷昭〟で検索をした。
祖父は、新興俳句の俳人の中では比較的地味な作風で、作品というより日本現代俳句協会の初代会長を勤めるなどの功績で知られている、とは、三谷昭の息子であるわたしの父の弁だ。
身内特有の謙遜なのか父はそう言うけれど、Twitter上では、祖父が他界して44年が経つ今も、祖父の俳句をつぶやいている人がいる。わたしは孫のわたしですら会ったことのない祖父の言葉が、今もワールドワイドウェブに存在していて、それを今わたしがスマートフォンで見ていることになんだか不思議な気持ちになる。
そう、そして、インターネットの醍醐味は、繋がることだ。
ワールドワイドウェブは、世界中に張り巡らされた深遠で精妙な蜘蛛の巣。
実際に、wikipediaにもこう書いてある。
さあ、この物語を始めよう。
これは祖父と祖父の仲間たちが残したハイパーテキストから始まるストーリー。
そして、わたしとわたしの仲間たちは、いつだってハイパーリンクをタップしてクリックするのが得意なんだ。
そう、それはドアをノックするように。
遥か彼方まで荘厳に響く、チャイムを鳴らすように。
ノックはいつだって、開いてほしい扉にするものだし、呼び鈴はいつだって、会いたい人に会うために鳴らすもの。
祖父たちがしたノックは、今も、世界中に響いている。
ねえ、お祖父ちゃん。これは、嘘でも大言壮語でもないよ。
「俺は地位や名声のために俳句をやっていたわけじゃない」
会ったことはないけれど、祖父はいかにもそんな風に言いそうで、実際に祖父のことを知っている人々もいかにもだ、と頷くだろう。
そして、祖父の俳人としての人生を今も研究し続けてくれる研究者たちも、きっと、同意をするだろう。
わたしは孫の特権で、「いいからお祖父ちゃん、好きなようにやらせてよ」と言いたいところだけど、他のことには甘くても、祖父はきっと文章にだけは、孫だろうがなんだろうが厳しいだろう。
ねえ、だけど。
『お祖父様と、お祖父様の仲間たちと同じように晶子さんも自由に書いてください』
そう言ってくれた人がいたんだよ。
さて、このインターネットからスタートする新興俳句を巡る物語を始めよう。
これは、わたしの祖父と祖父の仲間たちの物語。
そして、もちろん、今を生きるわたしたちの物語だ。
- Adventure of New Haiku with grandfather Akira Mitani -
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