Paoloのこと ― 「自然な生活」を教えてくれた人【ローマでちょっとグレタさん生活】
わたしがまだ駆け出しのフリーランス実務翻訳・通訳者だった頃 ― もう、10年くらい前だと思う ― あるプロジェクトでとても印象的な人に出会った。
Paoloはわたしより2歳ほど年上の靴の職人さんで、自分の作る靴をより多くの人に知ってもらおうと来日した際、わたしが通訳を担当したのだ。
フィレンツェのあるトスカーナ州のお隣、マルケ州の南の小さな町に工房を構え、奥さんと2人のお嬢さんと暮らすPaoloは、カスタムオーダー(またはビスポーク)で靴、正確に言えば主にメンズのドレスシューズを作っていた。
東京へ戻る前、イタリア生活・その1を送っていたわたしは、知らない人はいないといっても過言ではないほど有名な某・ラグジュアリーブランドに務めていた。日頃から美しいもの、そして美しいものを知っている人に囲まれていたわたしは、美しいものができる背景には本当に多くの人が携わっており、各々が感性や意図、想いを込めて最高の技術を駆使して作られる…ということがそれなりにわかるようになっていた…と、自分では思っていた。
ところがPaoloが手がけた靴を初めて見て、手で触れたとき、わたしはちょっとした衝撃を受けた。
流れるようなラインを描く靴は本当に美しいのに、どこかほんわかとした柔らかさがあるのだ。
そして、芸術作品のように堂々とした印象とは裏腹に、手に取るとじんわりと温もりが伝わってくる。
厚みのあるレザーを丁寧にラスト(木型)に合わせ、Paoloが一針一針、しっかりとステッチを刻んで縫った靴は、見るからに頑丈そうで持ってみるとずっしりとした重みを感じるのに、実際に足を入れてみると、靴が足をふんわりと優しく包み込み、まるで足と一つになってしまったかのようで、思わず走り出したくなるほど軽いのだ。
サイズの合っていないサンプルでこう感じるのだから、自分のための一足を作ってもらったらどれほど素敵なことだろう…思わず夢を見てしまうほど、強烈な体験だった。
「ありのーままのー♪」というあの歌を贈りたいPaolo
Paoloは毎回10日間ほどのスケジュールを組んで、3回ほど来日した。
Paoloが真剣にアッパーとソールを縫い合わせるのを見ながら、靴を愛して止まないお客様へシューズを販売しながら、アポイントの入っていない空いた時間や食事中に他愛もないことをあれこれ話しながら、わたしは次第にPaoloの靴がどうして不思議な力を持っているのかがわかるようになった。
Paoloを取り巻くなにもかもが、とにかく「自然」なのである。
Paoloが靴へ向き合う姿勢、靴に使う素材や靴の作りかた、靴を作っている環境はもちろん、Paolo自身の性格や人柄がどこまでも「自然」なのだ。
できる限り天然由来のものを使い、自分のリズムを尊重しながら制作する。
自分が理想とするレベルに至るまでは妥協をしないけれど、自分にできないこと、止めておいたほうが賢明なことについては極めて明確に「無理」というメッセージを伝えることを恐れない人だった。
作り込むことも、演出することも、誇張すること、身の丈から外れるようなことは絶対にないPaoloはいつだって自然体で、裏と表がいつもぴったりと一致しているのだった。
ドイツで人間工学に基づいたシューズについて勉強したこともあるPaoloがオーダーセッションでまず最初にすることは、足型を取ることだ。
メジャーを駆使しながら、お客様の足を乗せた白いA4の紙に鉛筆を走らせ、ときには手のひらでお客様の足の形を感じ取り、Paoloにしかわからない「Paolo式」で必要な情報を手早く残していく。
日本ではゼロからラスト(木型)を起こしてもらって作るビスポークのシューズが「最高のドレスシューズ」として認識されているけれど、Paoloは
過去の怪我や病気、何らかのトラブルで足が著しく変形してしまった人でなければその必要はなく、自分の手持ちのラストに自分の言葉で書いた情報を落としこんで調節すればいいだけ、ラストを作るなんてはっきり言って無駄
と言い、何人ものお客様の知識や固定観念をそれはそれは潔く斬っていった。
デザインや素材を選ぶステップに移っても、そのスタンスは一切変わらなかった。
Paoloはあくまでもお客様の意向を尊重したうえで、どうがんばっても足の形との相性がよくないモデルや、フォルムに合わない素材やカラーを選ぶお客様には、ストレートにしっかりとリスクを伝えて他の選択肢をお勧めした。
何の疑いもなく世論に従うことも、あるものに自分を合わせることも、ちぐはぐなものを力技でどうにか合わせることも、Paoloにとっては不自然なことなのだ。
(それでも…という場合「最大限の努力はするが、ご満足いただけるかはわからない」旨を伝えてオーダーを受けたこともあったが、Paoloの顔はずっと曇っていて、わたしは「Paoloはこの靴を作るとき、きっと義務感でいっぱいで楽しくないだろうな」と直感したものだ)
そして、靴も「ありのーままでー♪」全開
オーダーセッションでは、Paoloが(日本でいろいろとコーディネイトを担当してくれていた凄腕のファッションコンディレクターさんに急かされて)Paoloの靴の特徴を語るのだが、お客様が軒並み絶句したのが靴を構成するパーツについての話だった。
靴は、アッパーとソールを糊で接着してから縫い合わせていくのだが、Paoloは自分の工房で栗の粉と水を混ぜ合わせ、糊を手作りするのである。
そしてメンズのドレスシューズでは型くずれを防ぐため、アッパーとソールの間、ちょうど土踏まずの部分に「シャンク」と呼ばれるパーツを置いて上下を合わせるのだが、一般的には金属のシャンクが使われているのに対し、Paoloは自分で竹をちょうどいいサイズにカットし、削ってシャンクを作るのだ。
さすがのビッグメゾンでも、見えない部分については外部から仕入れたパーツを使って制作するだろうに、わざわざそんなところに時間とエネルギーをかけるPaoloに対し、お客様は一様に不思議そうな表情で、「どうして?」と尋ねられることも珍しくなかった。
Paoloは一貫して、こう答え続けた。
自然のものに調和するのは、やっぱり自然のものだから ― 天然のレザーのアッパーに化学的に合成された糊や機械で作られた金属のシャンクを合わせてしまったら、全てのバランスが整ってできた一体感が壊れるでしょう?
その回答を聞いた多くのお客様は、それからしばらく沈黙に陥っていた。
いかに効率的にコストを抑え、画一的なレベルの製品を製造するか…という観念が大前提の絶対条件となっている日本で、そんなことを気に留めるゆとりがある人はどれほどいるのだろうか。
木々と草原に囲まれて、自然の声を耳にしながら人生を歩んできたPaoloにとってはごくごくありきたりなことだったのかもしれないけれど、わたしはPaoloの言葉をお客様に伝える度に、ファッション(というより衣服)、ひいてはスタイルというものに対する意識の違いを肌で実感したのだった。
お手入れをしながら末永く愛用できる、自然とつながった靴を作るPaoloの姿に、お客様は自分が生まれた地球を思いやる、無条件の温かさを感じたことだろう。
デジタル第一主義にも否定的で、昔ながらのスタイルを自分なりにアレンジして突き進むPaolo。
わたしはそんなPaoloと仕事ができることを、とても誇らしく思った。
そして「言われたことをただ日本語にするだけではなく、イタリア語で語られる彼の言葉にこもった熱や抑揚、感覚をできる限りありのまま日本語にしてお客様にお伝えするには、どうすればいいのだろうか」ということを何度も何度も考えさせられた…という意味では、わたしの「通訳・翻訳観」にも影響を与えてくれたのが、Paoloとのプロジェクトだった。
AIが発達していろいろと自動化してしまってはいるけれど、発する人の言葉の「形」に捉われず、選ばれた言葉や語られるトーンの「本質」を可能な限り汲み取って、受け取る人にできるだけ自然で、人間らしい形でそのまま丁寧に伝えたい…という想いは、今も変わっていない。
過去と未来は、いつかつながるものなのだね
ファミリー農園の実況中継に手打ちパスタのエピソード、夫のDIYラブストーリー…というわたしたちの「ゆるい生活」についてここで綴っているので、見る人によってはわたしが「もともと『スローライフ』に対してある種の憧れを抱いていた人」のように映る(または映っていた)のかもしれない。
でも、実はそこに行きつくまで、全く違う視点で毎日を過ごしている夫と出会い、ロックダウンを経験して、妊娠中に身体のバランスを派手に崩したうえ、娘が生まれてからは「いつまでも彼女らしく、女性として人として、輝ける生活を送ってもらいたい」と思うようになった…わけで、実はいろいろと紆余曲折があったのだ。
そして家族3人が無理をせず楽しく自然に、日々の生活に幸せを感じられるような生活を心がけながら、できる範囲でできることをやっていくうちに、現在進行形で「我が家のスタイル」が確立しつつある。
…のだと、ずっと思っていた。
しかし、ある日、わたしの頭の中に突然、Paoloが「Ciao!」と登場した。
そのときに、わたしのなかで何かがクリアになったのだ。
自分で作り上げた空間で自分のスタンスを貫きながら靴に向き合い、その傍ら、自分たちが食べる野菜を育て、自分たちでオリーブを収穫して絞ってオイルにするPaolo。
大きな瞳が印象的な奥さんと、それを見事に受け継いだ2人のお嬢さんといっしょに、マルケの自然の中でシンプルで素朴で温かい毎日を過ごしていたPaolo。
まさかその10年後、今度はわたしが夫と娘といっしょに畑を耕し、キッチンでピザを焼いて、家具を作って…そんなのどかな生活を少しずつ実践しつつあるなんて。
当時は思ってもみなかったことが、未来に何らかの影響を与えることがあったり、現在は過去から見た未来であって、どこかで点と点がつながったような気持ちになることがあるのも、やっぱり自然の法則によるものなのだろうか。
わたしは胸を突くような驚きの中に、なんだかじんわりとした特別な気持ちを覚えたのだった。
何年も何年も、アッパーとソールを前にのめるような姿勢で力強いステッチで縫い合わせていたPaoloはしばらくして、腰の手術に踏み切ったのだけれど、今はもう復帰したのかな。
自然を心から愛して、自分の美学を大切に、毎日を楽しんでいるPaoloとご家族が、いつまでも幸せでありますように。
↓ Paoloが来日したときのインタビューは、こちら
(インタビューと英語版・イタリア語版記事は、わたしが担当させていただいたのでした ― OPENERSの皆さま、本当にありがとうございました)