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友人・知人、タイミングと勢いに乗っかってみた【ローマでちょっとグレタさん生活】

夫のハンドメイド感が満載のDIYリフォームから月日は流れ、このマンションにはいつの間にか「妻、と言うらしい」人物(それは、わたしだ)が居座るようになり、2人で少しずつ何かを手放したり、何かを迎えたり、何かを変えたりしていたのだが、あるとき、我が家はプロが介入する本気のリフォームの必然性に直面することとなった。

よくよく考えてみると、わたしたちがいつも食事するときに使っているキッチンのテーブルに、娘のStokkeのハイチェア(もちろん、夫の叔母から譲ってもらった)を置くスペースが1mmもないのである。

その当時、娘はまだ母乳100%で日々を送っていたものの、授乳ライフがトラブルだらけだったわたしは、1日のほとんどをリビングやベッドルームで娘や搾乳マシーンや哺乳瓶と格闘しながら過ごしており、ロックダウンだったことあって、その他の家事は全面的に夫が引き受けてくれていた。
これだけで、日本の新米お母さん・比で凄まじい欠落ぶりを露呈しているのだが、できる限り授乳できる量を多く、楽に授乳するには…というのを真面目に考えていたのかはさておき、いつの間にかわたしたちは1日2回、リビングのソファーでそれぞれがご飯を乗せたトレーを抱え、わたしはそれにプラスして娘を抱きかかえ授乳体制を維持しながら、どうにか「食事をする」という行動に臨むようになっていた。
娘を「降トマトソースやチキンソテー爆弾による潜在的危険性」と隣り合わせにさせた状態で6か月、なんて、ダメダメにもほどがある。
夫は大きなものはあらかじめ切ってくれたり、パスタのソースの量やサラサラ加減までベストのところまで調整してくれて、娘は辛うじて大惨事とは無縁で離乳食生活に突入したのであるが、むしろ「…夫のほうが日本人なのでは?」と疑惑を抱えたことは言うまでもない。

―と、話が脱線したのを元に戻して。
そんなある日、娘の離乳食をそろそろスタートさせてもよいのでは…と2人で話していたところ、夫の口からさらっと「そういえば、あのStokke、きっと入らないよね」という、聞き捨てならない一言が発射された。
一瞬、軽くパニックになり、久しぶりに足を踏み入れたキッチンで、わたしは悲しいかな、それが事実であることを目の当たりにしたと共に、自分たちがきちんと計画を立て、一から十まで念入りに準備する人たちとは真逆の、全てにおいて無秩序極まりないタイプの人間であることを改めて悟ったのである。

そんなときは、やはり「住まいのプロ」建築士である夫の父に話してみるのが望ましいだろう…ということで、翌日、夫が電話で我が家の最優先事項となった「Stokke入らないよ問題」について話したところ、その翌日に夫の父の事務所への招集命令が届き、実際に足を運ぶと、座る間もなく夫の父は我が家の図面をデスクトップに映し出し、10秒もかからないうちに
         だったら、一気に変えちゃえば?
という、これ以上なくさわやかで単純明快な回答、並びに
          やるなら、今でしょ、今!
という、どこかで数年前に聞いたことのあるような進言をくれたのであった。相談者であるわたしたちの意思や金銭的能力は全く意に介する気はなさそうで「わぁ、新しいプロジェクト、うれしいなぁ♡」と暴走作業に取りかかり、その勢いに流れる形で半ば強引に、リフォームが現実のものとなったのである。

(注:そのとき、イタリアでは「条件を満たせば、リフォームにかかった費用の半額を国が負担する」政策(通称「Bonus Casa」)が行われており、わたしたちにも資材と改装費用が現在進行中で戻ってきているので、結果的に本当に「今でしょ、今」だったのは、疑う余地のない事実である)

その後、新緑の1か月は図面とにらめっこ、夫の父と長年いっしょに仕事をしている建築会社の人にお願いし、同時進行でリフォームに使う資材を探しにローマを360°移動しながら果てはナポリの先まで足を運び、真夏の2か月は一家3人の荷物をスーツケース2つに凝縮、工事中はイタリア中を大移動しながら、夫がチェックのためにときどき作業中の現場に戻る生活を送った結果、キッチンと2つのバスルーム、トランクルームが新しくなり、わたしと夫が仕事できるようワークスペースまで作られた、新しい我が家ができあがった。

キッチンの大きさは2倍になって、Stokkeに座る娘もいっしょにテーブルを囲める広さに
太陽の位置が高い冬は、キッチンに暖かい光が入るようになった
コンロは、夫がやって来る前から我が家にあったもの
手前にある棚も夫の父の叔母たちが使っていた
美しいタイルを貼ったキッチンが夢だった夫
アマルフィ海岸にある工房へ行って、全て手作業で仕上げたものを特別にお願いした
上のランプは、探して探して、キッチン完成から1年後に偶然マーケットで出会ったアンティーク
立てても使えるものを、夫が取り付けてくれた

導線を考え、収納スペースをしっかり取り、コンセントも使いやすい位置に配置して…と、とにかく(基本的には夫の)こだわりを詰め込んだリフォーム、その中でも特に譲れなかったのが、この世でずっと活躍してきたものをできるだけ活用させてあげたいということだった。
もちろん、費用を抑えようという目的もないわけではなかったけれど、それ以上に昔からあるクラシックなものを、このご時世に新しい形で活躍させてあげたいというのが、わたしたちの希望だった。
というわけで、これまでもキッチンにさりげなく存在していたレトロなガスコンロ、夫がペンキを塗り直したり棚のレイアウトを変えたキャビネット、夫の叔父がある日、何の予告もなく「これ作ったからあげる」と持ってきたテーブルは残し、新しいものはそれに馴染むようなものを選んだ。

床のタイルは、夫の父の友人が同様に家のリフォームを行った際「いらないから持って行っていいよ」と言われ、夫が親戚の家からミニバンを借りて1枚1枚、梱包して自分で運んできたものを地下のカンテナから引っ張り出して、使うことにした。
タイルは厚みが5cmもあり、業者さんも敷き詰める際にいくつか切断しなければならなくなったときには、かなり苦戦したらしい。
それだけ、昔のものはしっかりと長持ちするよう、丈夫で丁寧に作られていたということを知って、なんだか胸が詰まった気がした。
当初はわたしが「この微妙な色合いをキッチンに持って来るのは、ちょっと…」と文句たらたら難色を示していたものの、最終的に今の時代にはちょっと珍しい、なんだかレトロな雰囲気がとても可愛らしくて、なんだか全てを引き立てているようなところが、わたしもとても気に入っている。

一時期は「場所を取るだけだから、処分しようよ」枠に入っていたタイル
イタリアでも、この色をキッチンに配置することは珍しいらしく、来た人には驚かれることが多い
どっしりとした印象を与えるのも、これまでこのタイルが存在した証なのかもしれない

壁面を覆うキャビネットは、工事の後、夫が叔父とIKEAのものを取り付けてくれた
ただ、取っ手は納得できるものがなかったので、夫の父からお勧めがあった
取っ手やドアノブの専門店で、職人さんが手作業で仕上げているものをお願いした
左側の三脚みたいな椅子は、夫の父方の祖父のものだったらしい
唯一、リフォーム前と後で大きな変化がなかったのが、この窓
わたしはこれまでにも、ここでよくパスタを打ったりケーキを焼いたりしていたので
リフォームするときにはひびが入っていた石を新しいものと交換した
石は、夫の叔父&夫の父の知り合いがご贔屓にしているところで注文した

無限大に組み合わせや可能性がある中から、一定の期限までに決めなければいけないし、同時進行でやるべきことが次から次へと降ってくるし、何よりも自分がどうしたいのか、理想をきちんと形にしなければならないし、これまで「ある決まった空間に自分を合わせていく」ことしかしたことのなかったわたしは、いざ「どんなことでもいいですよ、ご自由にどうぞ」と言われると、逆に戸惑ってしまうことも多かった。
とはいえ、今、こうして振り返ってみると、改めていろいろな人々が力を貸してくれて、これ以上ないベストなタイミングで進めた大きな大きなプロジェクトだったことが、改めて思い知らされる。
そして、実はそれが、イタリアでの生活そのものを、それはそれはよーく表しているのかもしれない。
やって来た流れには遠慮しないで乗って、助けを求められたら自分のことのように手を貸して、やり始めたら心から楽しんでしまう。
第三者的な目線だと「これは…何のために計画したのかな?」と思う予定変更や「…ギャグですか?」と思うようなハプニングは日常茶飯事で、突っ込みどころしか見当たらずにイライラすることのほうが多いこともあるけれど、ため息をつきながら、最後には見事に帳尻を合わせてしまう夫やその周りの人々を、ちょっとうらやましく思ったりして。

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