今さらながらの視覚支援と感覚統合
お久しぶりです。実は2ヶ月ほど前に自分自身の足を骨折し、目の前の小さな家族の生活を何とか続けるのに必死で、長らく何も書けずにいました。
実は15年前にも似たような骨折を経験しているのですが、40代に差し掛かった今回は、前回の約2倍の時間を掛けて骨がくっつきました。その間は色んな予定や計画も一旦ストップ。怪我をする直前に色々と新しいことを始めようとしていたのですが、神様から「焦るな」と言われているような気持ちになりました。まだリハビリ中ではありますが、回復に取られていたエネルギーが少しずつ頭にも戻りつつあるので、また書ける時に少しずつ書いていきたいです。
一年前を振り返ると、娘の小学校入学を前に、不安で一杯の日々でした。我が家は元々「自閉症・情緒」区分の支援級の設置が無い地域に住んでおり、特別支援教育を求めて入学の一年前に現在の地域に引っ越したという経緯があります。引っ越しのプロセス自体大変でしたし、望んでいた支援級自体にも「コインの表と裏」的な両面性があります(完璧な場所なんてどこにも無いよね)が、あの時決断してよかったと思える日々を過ごせています。
小学校に入ると、学習のサポートが大変になるのかな、と予想していたのですが、実際に今、私が親として家庭で支援を頑張っているのは、スケジュールを中心とした「視覚支援」と「感覚統合」を狙ったお外遊びです。私自身、初めは、週2~3日のマイペースな登校をする娘に対して、不足する分の学校での学習を補うことが必要だと焦る気持ちでいましたが、小学校で用意されている環境の設定や、支援級担当の先生方(有り難いことに専門性が高く熱量も大きい先生方に出会うことができました)との対話を通して、そして、同じ時期に出会った「おめめどう」さんからの学びを通して、少しずつ、上述の2点に変化していきました。
実は、「視覚支援」も「感覚統合」も自閉症支援の基本のキのはずで、知識としては以前から知っていたにも関わらず、入学前は「ウチにはあんまり関係無さそう」という態度で見過ごしていました。娘の場合には、集団の中での困りが大きいものの、お喋りで語彙が多く、運動も手先の器用さも同年齢の平均水準と比べると「問題無い」というアセスメントになってしまいます。就学前の療育も当時住んでいた自治体の判断で(自治体所属の心理士がアセスメントの上、個別に必要な療法や受給者証の支給日数が決定され、事業所とも繋いでくださるタイプの地域でした)OTもSTも対象外、「心理療法のみ」という判断になっていました。
なので、医療と繋がり、療育を開始してから約3年間、ひたすら「こころ」に注目してきたのですが、就学をきっかけに、「こころ」の安定のために必要な「本人に分かる世界を作る」ための具体的な手立てをしていくこと、そして、こころが安定するためのからだづくりの考え方を教えていただき、まずは学習の前段階として(もちろん学習も大切だとは思うけど、我が子の学習の準備性を整えるためには見通し不安の改善と感覚統合が必要なので)今はそちらに注力しようと思っている次第です。
「こころ」は「からだ」と繋がっている、なんて、一見当たり前のようなことなのに、見えなくなっていた。。。感覚統合の観点から娘に特に必要なのは「粗大運動」なのですが、一緒によじ登り系のアスレチックをしたり、ボルダリングに挑戦したりと、過訓練にならないよう、楽しいと思える方法を探していきたいと思います。
視覚支援については、我が家では5月から「おめめどう」さんのカレンダーを中心にメモ帳も数種類使い始めていますが、これまで如何に音声言語でのコミュニケーションがすれ違っていたかが分かり過ぎて。。。!私自身(不注意傾向が強い)も見通しが立ち楽になっているし、日々の生活が確実に穏やかに変化しています。具体的なことはまた別の機会にしたためるとして、家庭の中での暮らしのための具体的な手立てをしながら、生活の中の困りごとを一つひとつ解決していくおもしろみ、そして、子供の人権を尊重する考え方の一つひとつに感動しているところです。こちらはコツコツ続けながら、1年、2年などのタイミングで振り返られたらと考えています。
2年ほど前、まだ子供と中々離れられない日々の中出かけたキャリコン資格の更新講習の中で、講師の方が、伊勢田尭先生の「生活臨床」という考え方について話をされていました。理解はしないまま、でもなんとなく、自分は今、仕事はできなくても、家庭の中で「生活臨床の実践者」として生きているのかも、と勇気づけられたことを思い出します。大変さもあるけど、おもしろみもある。私はこれからも、そのおもしろみを見つけ続けていきたいです。