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すべてが自分の選択だ!という事実を再確認したコーヒーvs白湯vs紅茶会議

主体性って奥深いなぁ
薄く捉えてたかもしれないと
思うことが多いこの頃です。

人間は日々
約2万回の選択・判断をしているとどこかで学びました。
“選択”を科学する、という本の中で謳われていたような。

その判断の元となるものが
確固たるものか、そうじゃないのかによって
自分の選択の自信や軸も揺らいでくるんだなぁと
それは誰もが悪気なく、そういう不確定ななかで
一生懸命に判断をしているなぁ。

私もそうだし、誰もがそう。

判断の元って何だろう?


他者の期待をもとにしていたり
社会で“〇”とされていることを元にしていたり
他者にこっち向いてほしいという欲求からだったり
自分が楽できるからだったり。

そして、今朝の私は
いつもと違う冷たいコーヒーではなく
お湯を沸かして、紅茶を入れてみました。
この選択について、(しょうもないけれど)振り返ってみました。

「冷たいコーヒーは、
ボトルに入って常に冷蔵庫にストックされている。それ飲もうかな。
楽だ。(でも嫌だ、なんか納得できない)」

「何に対して楽をしたいの?考えたくないだけじゃない?いつもの朝のルーティンってだけ?(自分という人間が興味不快)」

「それは置いておいて、なんか温かいものが飲みたい。これはどんな欲求なんだろう。おへそのあたりが、冷たいものではないと言っている(本当かいな)とにかく、冷たいものではない。」

「白湯?白湯か~・・(嫌だ、想像するだけで不快だ)」

「そうだ、なんかあのお茶があったな。(快感に感じる)」

だから紅茶を飲んでいるというストーリーです。
私は自分の欲求に目を向けて
自分の欲求を満たすために
アイデアを出して、比較して、判断をしました。
そして今、これ以外の選択なんぞなかっただろうくらい
とにかく安定的な感覚を結果的に得ることができました。

過去のストーリーで思考・欲求の把握などの
内的資源をを使った私は、私の思考の中だけで存在しているだけ。
今は安定した感覚を得られている自分がいて
その感覚を得るための選択は、私自身でした。

仕事もおなじような選択の連続

もし、読んで下さっている方が
サラリーマンだとしたら
こんなことがあるかもしれない。

自分が楽をしたくて、
でも会社でのステータスや役割を果たすという欲求を満たす必要もあって、
アイデアを出すフリをして、他者のアイデアを評価し、
他者のアイデアを傍観するという判断をした。

自分が自ら、楽をしたい、人の上に立ちたい、傍観者でいたい
という目的に向かって選択しているということもあるよな、
と気付くことができたら、素晴らしいことです。

もし、仕事の生産性をものすごーーーく上げたい方であれば、
細かな欲求・目的をひとつひとつを分解していく必要があって、

たとえ生産性向上の本を読んだとしても
このブログを読んだとしても
結局、仕事の生産性を上げる答えは
自分の判断のプロセスを生産的にするしかありません。

楽な方向に逃げたくなる自分もいる。
そういう自分が面白くて、かわいくて、笑えてくるという気持ちになれたら
今後、仕事の生産性が上がりそうですね。



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